──くだらない日常に変化が欲しかった。
朝起きて、支度をして、学校に向かう。
何気ない日常、くだらない日常。
日常を幸せだと思う人もいるだろうが、俺は苦痛で仕方がなかった。
友達は居ない、仲の良いクラスメイトも当然居ない、恋人も家族も親しい人間は全て居なくなった。
こんな日常、幸せだと思うだろうか?
思うやつなんか居ないだろう。
くだらない日常に変化を……いや。
──終わりが欲しかったんだ。
終わる方法? そんなの簡単だ。
電車が来るタイミングに合わせて白線を飛び越える、それだけで簡単に終わることができる。
ガヤガヤと騒がしい駅のホーム。個々が電車に乗るまで時間を潰す。俺のことを見ている奴なんて誰一人として居ない。
梅雨時期だというのに今日は天気が良い。まるで俺の死を祝福しているようだった。
心臓の鼓動はやけに落ち着いている。焦りや不安は驚くほど何もない。
死ぬ間際の人間はこんな感じなんだ、と拍子抜けにも思えた。
白線を飛び越える。後、一歩。後一歩で俺は幸せになれる。
焦りや不安より今はこの世界から解放されるという多幸感が感じられた。
「弟くん? 弟くんだよね! 久しぶりだ〜」
後方から声がして気付けば俺は後ろへと手繰り寄せられていた。
もう少しで死ねたというのに誰が一体邪魔をしてしたのか。
癇癪を起こしそうになるがグッと堪えて後ろを振り返ると、そこに居たのは見覚えのある人物だった。
スーツに身を包んだポニーテール姿の女性。
ここ数年見たことがなかったが俺はよく覚えている。
「確か、姉さんの──」
「そう! 理恵の大親友の神無月春夏(かんなづき はるか)だよ! いや〜、覚えててくれてお姉ちゃん嬉しいよ〜」
神無月さんは俺に会えたことが相当嬉しかったのか「今何年生?」や「ちゃんとご飯食べてる?」など有無を言わせないマシンガントークを連発してくる。
この人は相変わらずで姉とウチで遊んでいる時や姉が自室で神無月さんと電話をしている時も大きな声でずっと話し続けているのが漏れて聞こえてくるくらいだった。
モデルやアイドルみたいな顔立ちなので黙っていればモテるのかもしれない、なんていうどうでもよい感想が出るくらいには神無月さんの話は長かった。
そのせいで電車は駅に辿り着いてしまう。
今から死のうと思ったのに。今から俺は幸せになろうとしていたのに。この人に邪魔をされてしまった。
この世界に神という存在がいるのだとしたら神は俺をとうの昔に見捨て今も尚、救いの手を差し伸べようとはしてくれない。
「でさ、弟くん。君って東崎高校だったよね? 実は私、今日から東崎高校の教育実習生になったんだよね〜! 実家から遠いし後で泊まりに行くね。あれ、弟くん!? ちょっと!? 置いてかないで〜〜〜!!!!」
まだ何か喋っているようだが俺は無視を決め込みさっさと電車に乗って学校へと向かった。
学校には屋上もあるし死ぬにはもってこいだろう。
朝、ホームルームの時間。今日も俺は気だるく早く終わってくれと願ってはいるが今日幸せになれると思ったら自ずと口角も緩む。
初老の担任が何かを呟いているが俺には関係がない。担任の言葉にクラスはいつも以上に盛り上がる。何をそんなに騒いでいるのだろう。
「本日から教育実習生としてこのクラスを担当させてもらう──あああああっ!? 弟くん!!! やっほ〜!」
あろうことか神無月さんがこのクラスの教育実習生になるだなんて思いもよらずに驚いたし、日陰者の俺を流しにするのにも驚いた。
神無月さんが俺に向かって指を差したり手を振ってきたりするものだからクラスメイトの視界は自ずと俺へと向かってしまう。
「おい、今、弟くんって言ったか!?」
「アイツ姉なんて居たのか! しかも、超絶美人な!!!!」
「でも苗字が違うよね?」
「家庭の事情でもあるのかしら」
などと俺を置き去りに勝手に盛りあがっている。
今日は厄日なのだろうか。
──だがこれは序章に過ぎなかった。
「弟くん、隣に座るね」
「ねぇ、弟くん。この問題わからないんだけど、答え何?」
「あ、弟くん。もしかして、トイレ? 私も行く〜」
「お昼だね。実は初日だからって気合い入れてご飯作ってきたんだ〜。弟くん、一緒に食べよ?」
神無月さんは、ことある事に「弟くん、弟くん」と連呼をして教室内だけでなく廊下でもトイレでも俺に付きまとってくる。
そのせいで俺は一向に一人の時間がやってこない。
今日死のうと思っていたのに決心は鈍くなりつつあり、もう明日でいいやと投げやりになりながら帰宅をする。
五階建てマンションの二階の角部屋。西日が半端なく当たって最悪ではあるが、家族の思い出が詰まった大切な場所だ。
「ただいまー」
って言っても誰も返事なんてしない。
いつものように帰宅し、いつものように家事をこなし、いつものようにだらだらと過ごす。
本当にこんな毎日は飽き飽きするほどだ。
家のチャイムの音がした。
何か荷物でも来たのかと思い、玄関に向かうが俺の予想とは相反する存在がそこには居た。
「えへへ、約束通り来ちゃったっ☆」
神無月さんは自分の右手で自分の頭を軽く叩いてウインクをし、更にはペロッと舌を出す。
ぶりっ子……を演じているのだろうか? 今日一日神無月さんのせいで最悪だったから物凄く腹が立つが怒りより呆れが勝ってしまう。
「はぁ、来るなら一言くらい言ってくれればよかったのに……」
「言ったよ? でも言っている間に弟くんが行っちゃったんだから。悪いのは弟くんだからね?」
全くもって心当たりしかなかった。
朝で時間もなかったし鬱陶しかったので無視をした自分が悪い……悪いのだがあんだけ付きまとっていたのならもう一度言うことは何度でもできたじゃないか。
「まぁまぁ。来ちゃったのは仕方ないし、私もただ遊びに来た訳じゃないからね」
そう言いながらも神無月の左手にはコンビニで買い物をしてきたのか袋を手にしている。
隙間からはホットスナックらしきものと缶ビールが二本。明らかにこの人は俺の家で飲むつもりなのだろう。
怒りからの呆れ、そして諦めが俺を襲う。
「用が済んだらさっさと帰ってくださいよ。こんなとこ学校のやつに知られたら大問題なんですから」
ましてや神無月さんは教育実習生だ。そんな彼女が他の先生たちにこの現場を見られてしまったら先生になるどころか教員免許を取得することも叶わなくなってしまうだろう。
まぁ俺には関係の無いことだが。
「もちのろんだよ〜。はぁ〜、理恵の家に入るのは何年ぶりかな〜。この匂い、変わらないねぇ」
神無月さんは家にあがるなり深呼吸をして懐かしんでいた。
それからは向かい合って食事を摂る。俺はさっき作った野菜炒めと中華スープ。神無月さんはホットドッグに唐揚げにコロッケにポテトにと揚げ物ばかりで見てるだけで胸焼けがしそうだった。
「うんま〜! やっぱり労働の後は揚げ物とビールがしみるね〜!」
オッサンみたいに飲み食いをし神無月さんの目の前にあった食べ物は全て彼女の胃の中に消える。そうしてビールも飲みきった後に神無月は俺を見て真面目な表情に変わる。
「実は弟くんの家族はみんな生きてるんだ」
何を言っているのかと思えば訳のわからないことだった。
「要件はそれだけですか? 酔ってるならさっさと帰ってくださいよ」
「酔っ払ってなんかいない! 私は本気で言ってるんだよ! これを見て、モニターオン」
神無月さんは右手を目の前にかざし、何かを唱えるとホログラムが浮き上がる。映像はあの日だ。家族みんなで京都に向かっている最中の車の中。対向車が暴走して俺たちの乗っている車にぶつかったあの瞬間。咄嗟に俺は下を俯く。
「ごめんね。辛いのはわかってたんだ。けど、ここ!!!」
下を俯く俺の両頬を抑えて無理やり画面を見せる。衝突事故が怒った瞬間、何か黒く蠢く渦に俺の家族は飲み込まれるかのようにして消えていった。そして、変わるかのように見知らぬ遺体がすげ変わるようにして残されていた。
「な、なんだこれ……」
「どうやら理恵たちは何者かに連れ去られたようなの。それでね」
そんなことあるのだろうか。あの時、あの事故で俺以外の家族はみんな死んだんだ。葬式だってやったしもちろん火葬もした。あれはどう見ても正真正銘、俺の家族だった。
神無月さんは俺を励ますために嘘をついているのだろうか?
俺が思考を巡らせていてもお構い無しに神無月さんは話し続ける。
「理恵がどこに連れ去られたか特定できたんだ。それは──」
全て言い終わる前に停電が起こり、同時に家のガラスが全て割れた。割れたのは俺の家だけではないようでかなり大きなガラスの割れる音が響き渡る。耳が痛くなるほどだった。
「な、なっ…………!?」
何が起こったのかわからず俺は立ち上がり割れたガラスと外の景色を眺めることしかできなかった。
「チッ。こんな大事な話をしてるってのにアイツらは何をやってるの。ごめん、弟くん。話は後で! ちょっとやっつけてくる!」
「えっ、ちょ!? 神無月さん!?」
2階だというのに神無月さんそのまま窓から外へと出てしまう。さすがに危ないと思って止めようとしたのだが彼女は一瞬でこの場に居なくなり下へと落ちていく。落ちたならば下から大きな音が聞こえてもよいものだが、そんなことはなく、代わりに神無月さんが空中を飛んで遠くへと消えていった。
「な、何が、どうなってるんだ……」
俺はただただ目の前の光景に驚くだけだった。
飛んで行った神無月さんは何かと戦っているようだった。アニメやゲームなんかで見るような空中爆撃が広範囲に広がり、銃撃、砲撃、閃光が繰り広がる。
何と戦っているのか全くもってわからないし、何がどうなっているのか皆目見当もつかない。今日一日が全て夢だと思いたい。
「驚きましたか?」
背後から男性の声がした。聞き覚えのない声だ。
恐る恐る振り返ると燕尾服に黒いハットを被った高身長の男性がそこには居た。この混乱に乗じて入ってきたのだろう。
男性は俺が驚いている顔をしているのを見て楽しいそうにニヤリと笑った。
──そして。
「君にはここで死んでもらいます」
男性は俺の左胸に自身の右手を近づけると、俺の心臓はグチャりと不快な音を立てて潰れた。
痛い、苦しい、辛い、死にたくない、死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない、死にたくない。
──死にたくない。
俺はこの瞬間初めて死を後悔した。
──
「拓也、ねぇ拓也ってば!」
誰かが俺の眠りを妨げる。懐かしい声、懐かしい感覚、香りまでも懐かしい。
「……姉ちゃん?」
「やっと目が覚めた。これからみんなで旅行でしょ? もしかして、楽しみすぎて寝れなかった? いつまで経っても拓也はお子ちゃまだね〜」
寝ぼけ眼で俺の意識はハッキリと覚醒していない。姉が笑っているのか口角を上げているのが見えるだけだ。その光景が、先程までの出来事と重なる。あの燕尾服の男。
──そうだ。
「だっ!? ──アイツは!?」
ようやく俺の意識は完全に覚醒し、自身の左胸を抑える。あれは夢だったのかと思いながら頬をつねるがやはり痛みが伴う。部屋にあった鏡に俺の姿が映る。まだ中学三年生の俺の姿。部屋の壁にあったカレンダーも家族が死ぬ前の物だ。あれは夢でなく、俺が家族旅行を行く前にタイムスリップしたようだった。
「拓也何してるの? 私、車に荷物詰め込んでくるから早く顔洗ってきてね」
俺を見て呆れ顔をする姉は気だるそうに言い放ち俺の部屋から出ていく。懐かしい姉の姿に涙がこぼれそうになる。
だがイマイチ状況が飲み込めない、一体全体どうなっているのか。
そう思うのと同時にズボンのポケットに違和感を覚える。
何が入っているのか確認するとぐしゃぐしゃになった紙の塊があった。便箋のようで汚い字で何か書かれていた。
内容は以下の通りである。
どお〜? 神である俺ちゃんの回帰のチカラ!
全く、うら若き男の子が死のうなんて考えるもんじゃないよぉ〜?
代わりにちょちょいと昔に戻してあげちゃった。あとこの世界やばくなるから仲間を集めて救ってネ☆
能力? そんなもんは自分でなんとかしてよ!
と言いたいところだけど今回は特別に能力を授けます!
嬉しい? 嬉しいでしょ〜? 俺ちゃんに感謝するんだよ〜少年。
まっ、能力の詳細は追々分かると思うから後のことは頼んだよ〜。
それよりきっと今は大事なことがあるでしょ?
じゃ、また〜!
PS.燕尾服姿の俺ちゃんカッコよかったな〜。
気さくな文とこれまた気さくな文字で書かれてた汚い。
「あれはお前かーーーー!!!!!!」
久しぶりに、数年ぶりに、大きな声を出した気がする。
世界がやばくなる、なんて曖昧なことが手紙には書いてあったが今はこうして家族が死ぬ前に戻って来れたから些細なことだろう。
でもこのまま車に乗ってしまったらまた同じ悲劇を繰り返す。
なので俺は持てるだけの大量のジュースを手にして家を出た。
名付けておしっこ大作戦だ。尿意で時間を稼ぐ。我ながら名案である。