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第2話

「拓也、アンタどんだけ飲み物持ってきてるのよ」


 家中にあった飲み物を持てるだけ持ってきたので母親が呆れ気味に呟く。数年ぶりに聞く母親の声に涙が出そうになるがここは堪えるしかない。


「ちょっと喉乾いちゃってさ。コンビニで買うよりお金掛からないしさ」


 間違ったことは何も言っていない。喉も乾いたしコンビニで買うより持参した方がお金も掛からない。しかし、これだけの量を全部飲めるかわからない。でもやるしかない。今ここで俺が尿意に晒されないと俺は家族を二度も失うことになる。家族を失うことに比べたら尿意に苦しむくらい屁ではない。屁じゃなくて尿ではあるけど。


「よし、みんな乗ったな。行くぞー」


 父さんの声だ。昔から威厳なんて感じられないただただ優しい父の声を聞いて流石に俺は涙を流さずにはいられなかった。同時に「本当に戻ってきたのだ」と確信を得た。頬を滴る涙を感動ではなく、欠伸だと誤魔化すのと飲み物をがぶ飲みするのに必死で家族が俺のことをどう思っているかわからない。朝も早いからみんな眠そうにしているし俺を見る余裕はないのだろう。それより今はこれからの旅行を楽しみにしているのだろう。東京から長野へ向かう旅行。何処か行きたい場所があるわけではないのだが、ただ温泉で癒やされ旅館の美味しいご飯を食べるだけのもの。たまの贅沢というやつだ。


 道中は他愛のない会話が続く。その際も俺は必死に飲み物をがぶ飲みする。車はこれから高速道路に入る。サービスエリアまでは数十キロ。ここで事件が起こる。


「…………大変だ。やばい……」


「どうしたのよ、拓也?」


 姉が心配そうに俺の顔を見ながら尋ねる。

 本当に心配しているのは、わかる……わかるのだが。


「飲みすぎて漏れそう」


「「ええっ!?」」


「おいおい。お前、まさか去年買ったばかりの新車に漏らそうって言うんじゃないよな? しょんべん臭くなるだなんて勘弁してくれよ」


「ほら、飲み干したボトルあるし最悪そこにしたら? 動画撮るけど」


 父さんは笑いながら、姉は心配したのが馬鹿みたいと思ったのか嘲笑いながらそんな風に答える。


「だ、ダメだ!!!! サービスエリアは!? 父さん、サービスエリアはまだなのか!?」


 対する俺は必死だった。死活問題とも言えよう。漏らすのも、ペットボトルで用を足すのもどちらも避けたかった。


「うーん、そうは言ってもなぁ。今高速に乗ったばっかりだし早くても三十分は掛かりそうだぞ」


 父さんがそう呟いたのと同時にポーンという音と機械的な音声が車内に響く。


『この先、事故のため片側通行です』


 無慈悲な一言だった。それだけでわかる。この先は絶対渋滞するということを!

 思うよりも早く、前を走る車はみんな右に寄りはじめた。もちろん父さんが運転する車も右に寄ろうとしているのだが中々タイミングがつかめずにいた。

 俺は全身にさらに力を入れて漏らさないよう必死になるしかできなくなってしまう。


「ハッハッハ。だそうだ、拓也。男ならもう少し頑張れ」


 心のこもっていなさそうな父の笑い声と励ましの言葉。男だろうが女だろうが関係なくはないか!? 俺は家族を守るためにこうして文字通り身体を張ってるんだが!? なんてツッコミを入れたかったが俺は力を入れてしまうと溢れてしまいそうだったので内股にして耐えるしかなかった。


「うぐぐ……」


 回帰して早々、尿意に襲われるだなんて神が見たら腹を抱えて大爆笑しているだろうな。もしも今後、神に会う機会があるのならば、しょんべんの一発や二発かけても許されるだろう。クソだってしてやろうと思う。


 他愛のない会話が俺抜きで続く。


「理恵、高校生活どう?」

「別に普通だよ。でもまぁ毎日楽しいかな」

「理恵は先生になるのが夢だったよな。大学は何処へ行きたい?」

「んー、近くで安いところがいいかな」

「金なら心配するな。お前たちのために貯めてるからな」

「えー、自分たちで使いなよ。後で請求されたら怖いし」


 そんな他愛のない会話。でもそんな他愛のない会話でも今の俺にとっては嬉しいものばかりだ。あの日、あの時、家族みんなが死んで生活はがらりと変わった。確かに父さんの言う通り俺たちの学費のために貯金は馬鹿みたいにしてあったので俺がバイトをしなくても大学を卒業するまで余裕で生活できるほどの金額だった。それは姉の大学の学費も含まれていたからだろう。本当にあの数年は楽しくなかったな。金があっても家族が生き返るわけでもないし、心が満たされることは一生なかった。改めてこうして戻ってこれて生きるという意味を噛み締められた気がする。


「……うっ、ダメだ………………」


 帰ってきた現実をしっかりと噛み締めたいのだが思考は尿意という目の前の恐怖に俺は頭の半分を、いや。八割以上を支配されてしまっている状態だ。気を緩めば堰き止めてあったダムのように、浴槽に溜めてあったお湯の元栓を抜くように、俺の膀胱は今にでも勢いよくおしっこを出しそうになっている。次第に意識を遠のきそうになる。おしっこを我慢するのは良くないとこの日を通して俺は最も理解したことだろう。


 我慢、我慢するんだ俺。


 何度も身体全体をビクつかせて俺の息子に「まだだ、まだだぞ……」と言い聞かせる。でもそれも我慢の限界だ。先端だけほんの少しだけ尿意がご挨拶をしてきやがる。ほんの少し、ほんの少しだがパンツが湿っていくのがわかる。


「と、父さん……そろそろ俺……」


「ま、まままま待て!? あと少しだから! 頑張れ! 頑張ってくれ!!!!!」


 父さんが必死に励ます。最初は軽はずみな態度をとっていたのだが俺の限界そうな無様な声を聞いてこのザマだ。もし、今度何か怒られるようなことがあったら車におしっこするぞと脅せるな。なんて考えもできるくらいには落ち着いてきた。もうダメだ出る。


「ほら、着いたぞ!!! 拓也、急げ!!!」


「拓也、早くして!!!」


 俺は姉に押し出されるようにして車から出ると一目散にトイレを目指す。


 やっと、やっと辿り着く。幸いにもトイレは空いていた。小便器の前に立ち、ズボンのチャックを下ろし、しょんべんをする。


 フルマラソンを完走したような、長時間掛かったゲームをクリアするかのような、高揚感と頭の中でファンファーレが流れる。達成感、という言葉が何故はハマっている気がした。


「あー……超スッキリ〜〜〜〜」


 生きるか社会的に(家族内のみだが)死ぬかの二択だったが、何とか前者の生きるという道に辿り着けた。後はもう少しサービスエリアで時間を稼いで家族みんなも生きたまま楽しい旅行をすることだ。とりあえずお土産コーナーでも見て時間を潰そうか。


 ──そう考えた矢先。


 爆発音がサービスエリアに鳴り響く。


「な、なんだ!?」


 駐車しようとしてブレーキとアクセルを間違えて車が突っ込んで来たのかと好奇心旺盛野次馬のごとく音のした方へ向かってみると、悲鳴を上げ逃げ惑う人々が俺が来た方向へと走っていく。


 てっきり車が暴走して向かってきていると思ったが俺の予想とは裏腹だった。人だ。人がゆっくり、またゆっくりと歩いては手を翳し、ビームを放つ。ありえない光景が拡がっていた。


「──ようやく見つけましたよ」


 ビームを放っていた人は紺色のスーツに金髪の男性。背はスラッとしていて俺よりも高い。男性は何か呟くと全速力で俺へと向かってきていた。というより気付けば既に男性は俺の目の前に居た。


「これが危険因子だなんて主様も面白いことを言う」


 眼前でまた何か呟いたかと思えば俺は腹部に衝撃を受け、後方へと飛ばされる。数メートルはゆうに飛ばされた。


「──ガハッ!?」


 痛い、苦しい。


 俺はあっという間に壁へぶつかり口から血を吐いてうずくまる。


「いった……。ど、どうなってんだこれは……」


 まるであの時、空中で繰り広げられていた光景の一部を目の当たりにしているような感覚だった。神とやらが「この世界やばくなる」と言っていたのはこれのことなのか。


「この程度で血反吐を吐くだなんて拍子抜けもいいところですネッ! この星の危険因子なんて赤子以下なんですかネッ! こんなのの、ために、私が、駆り出されてるだなんて、ありえない、話、ですから、ネッ!」


 何度も何度もスーツの男性は俺の腹を蹴る。一発、一発が威力を増していく。俺のことが相当気に入らないということがそれだけでわかった。


 一体俺が何をしたというのか?

 神が俺に与えたという能力とやらもわからないし、痛いし血反吐吐いてるし、ハッキリ言ってもう詰みだろう。

 段々と、意識が遠のいていく……。


 ──


『はぁ〜、これがオレ様の契約者なのか。ずいぶんシケてんなぁ〜〜〜〜』


 気が付けば白い空間に居た。真っ白で何もない。

 でも周り全体から声が聞こえた。まるでその場の周りにスピーカーが置かれているような感覚だった。声がやたらと反響している。声の主は見当たらないみたいだ。


『返事は? えーと、なんだっけ。タクヤ?』


「俺を呼んでいるのか?」


『そうだ。この場にオマエしか居ないだろ。はぁ〜、なんで神はオレ様をこんなやつと契約させたのか。もう少し強そうなやつと契約したかったぜ。まぁ三百年ぶりに外の世界に行けるなら仕方ないか』


「神を知ってるのか!? アイツ何者なんだ!?」


『オレ様にもよくわからんし、知っててもオマエなんかに教えたくもないな。時間もないし。ほら、さっさと力を使え。じゃないとまた死んじまうぞ』


「力って神が言ってた能力のことだよな? 使えって言われても何も知らされてないし使い方もわからないんだが」


『オマエはただ念じればいい。アイツを倒したいんだろう?』


 何者かがそう言うと、突如として白い空間に先程までの光景がスクリーンのようにして浮かび上がる。これはリアルタイムの映像なのだろうか。俺は未だにスーツの男性にひたすら腹部を蹴られ続けていた。しかし、そこに誰かがやってくる。姉だ。


「ちょっと!? うちの弟になにしてるの!?」


 姉は恐れもせずにズカズカとスーツの男性に向かっていった。

 それに気付いたスーツの男性は止められたことに腹が立ったのか言葉にならない怒号を上げ、姉へと襲いかかろうとしていた。襲われそうになっているのに今の俺は何だか落ち着いていた。いや、心の中では激昂している。ただ一つの揺らがない信念が俺を鼓舞する。


「倒したい……そうかもしれないし、そうじゃないのかもしれない」


『は?』


「俺はただ、──家族を守りたい」


 白い空間はガラスが割れたような音を発して崩壊し、現実世界に戻ってきた。俺は無意識にスーツの男性の手を掴んで制止する。俺が視界に入るなりスーツの男性は明らかに嫌な顔をし、溜め息を吐いた後に口を開く。


「こんな価値のない人間を守ろうとするだなんて馬鹿にも程がありますね。それとも貴方は相当なマゾヒストなのでしょうか?」


「……」


「図星ですか。ならば諸共あの世へ送ってさしあげましょう!!!!」


 スーツの男性が俺の眼前に手を翳し、ビームを放つ。先程暴れていた時よりもかなりの出力だった。


 しかし、俺は交わすことも受け止めることもしない。

 その必要がないからだ。


「なっ!?」


 俺の髪は真っ白に変色し、身体には青い炎の刺青が全身に浮き上がる。身体全体が熱い。でも不快な気分ではない、むしろ心地良い。


「その程度か」


 俺は左手を広げて下から上に上げる。何も触れていないのだがスーツの男性は身体の半分が焼け焦げる。


「そ、その力は……リュ──」


 何かを呟こうとしたがスーツの男性は突然として姿が消えた。初めから彼がここに存在してはいなかったかのように。


「逃げられたか?」


 逃げ出したというよりも何者かが彼をここから逃がしたような突然さだった。きっと倒せてはいない。


「ぐぅ……!?」


 同時に俺は吐き気が出そうな程の頭痛に襲われてその場に倒れる。脳裏には何年、何百年という映像が一瞬のうちに流れていった。ハッキリ言って酷いものを見た、という感覚だった。


「拓也!? ねぇ、拓也ってば!?」


 最後に姉が俺のことを心配する声が聞こえたような気がした。

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