人を形作るのは、記憶である。
記憶が、その人の人間性や行動基準、性格から技術に至るまで全てを形作る。
そして人は死ぬ時、その記憶を失い。生者の記憶の中でのみ生きることとなる。
それは人だけではなく、土地も似通った部分がある。
その荒れた大地は、どこまでも果てしなく広がっていた。かつての栄華を物語る石造りの道は、ひび割れ、崩れ落ち、苔すら生えぬほどに乾き切っている。
そびえ立つ巨大な遺構は、時の風に削られ、かつての威厳を失い沈黙している。尖塔の欠けたその影は、まるで折れた剣のようで、過去の戦火の傷跡を静かに語っているようだった。
草木はほとんどなく、わずかに残る枯れた枝が、地面に細い影を落とし、まるでこの地に最後に残された命の名残のように見えた。人もなく、ただ風だけが、低く唸るように吹き抜ける。
空は灰色に染まり、雲の切れ間から差し込む薄い光が、荒野に冷たく差し込む。
その姿はこの場所が、忘れ去られた記憶の墓標であるかのようだった。風が一瞬止むと、静寂が全てを飲み込み、過去の栄光も、人の声も、ただ虚しく響くだけだった。
少女はなぜ自分がその場に佇んでいるのか、分からなかった。
この名を失った土地で目覚め、自身が何者かも分からず歩き続けた。道中でいくつか麻布の衣類を拾い、身に纏い、比較的に保存状態の良いものに変えては歩み続ける。
目的もなく、帰る場所も分からず、しかし歩みは止めなかった。
(私は、何を)
歩みを進めると瓦解して、根元しか残っていない人工物がほんの少しだけ増えていく。
(どこへ向かえば、良いのでしょう)
空の遠くで低音が唸り、肌寒い風が彼女の体を吹き抜ける。
辺りに視界を遮るものは何もなく、振り返れば空は徐々に晴れて、陽の光が大地に大きく斑点を落としていた。
見渡せば、ただただ広がる荒涼とした大地。足元の地面はひび割れ、乾いた土が風に舞い上がる。遠くに目を覚ました場所である崩壊した大きな建物が見えた。
(……どうして、私は)
その時、大地を大きな影が埋め尽くした。
彼女が咄嗟に見上げると、天高くに大きな船が浮かんでいた。
◆◇◆◇◆
空の中では、船員である女の子の言葉が船内を慌ただしくさせていた。
「なんか!地上に人が居まーす!!」
単眼鏡を覗き込みながら、その女の子は獣耳を忙しなく動かしながら寄ってきた仲のいい船員を抱き寄せ、単眼鏡を渡して覗き込むように促した。
「あ、ホントだ。おかしいですね、ここら辺人里もないのに」
「迷子かな、それとも擬態型の魔物だったりして、がおーって」
そんな風に女の子と船員が顔を見合わせて話し合っていると、背後から無言で近づいたおじさんが、いつの間にか単眼鏡を手にじっと地上を見つめていた。突然の気配に、女の子と船員は目を丸くして振り返り、驚きの声を上げた。おじさんは低い声で、しかし確固たる決意を込めて船員達に声を響かせた。
「万が一のこともある。遭難者だった場合、見過ごす訳には行かない。翼竜を用意しろ、私が向かう。いや、やはりあと一人の同行を願う」
おじさんは準備に取り掛かった。革のコートを羽織り、襟元を正すと、腰に下げた革ベルトに短剣と水筒をしっかりと固定してゴーグルを額に押し上げる。
一方、船員たちは慌ただしく動き出し、甲板の端に設けられた竜舎。翼竜を飼うための木と鉄でできた頑丈な小屋から、小型の翼竜を一頭ずつ引き出していた。翼竜の鱗は鈍い灰色。首を振るたびに低く唸る声が響く。
船員たちは鞍を装着し、翼竜の首に巻かれた手綱を確かめ、乗り手を待つ準備を整えている。
「あ!はいはい!任せて!私が見つけたんだし!あいあむ、命の恩人、いぇあ」
女の子が元気よく名乗りを上げながら、答えを待つまでもなく彼女は革製の小さなポーチを腰に結びつけ、肩に軽いマントを羽織った。獣耳がぴくりと動き、目を輝かせながら、彼女は翼竜の背に飛び乗る。
「よし、我々で向かうぞ」
「はいはーい!」
おじさんが翼竜の頭を力強く撫で、その硬い鱗の感触を確かめると、手綱を握り締めた。翼竜は首を振って応え、鋭い目を光らせながら飛び立つ準備を整えた。
飛空船の甲板から二頭の翼竜が一斉に羽ばたき、荒涼とした大地へと降り立とうとしていた。