『ば、馬鹿な……何故倒れていないのだ!?』
いかにも悪役。そんな顔をした屈強な男が、眼を見開いて叫ぶ。
もくもくとした砂塵が晴れていくと、そこには藍色の衣を纏った美しい魔術師の姿が。そして、その魔術師を従えるマスターの少年も。
『残念だったな……お前が攻撃した瞬間、俺はトラップを発動していたのさ!お前の攻撃は、無効となった!』
少年はしてやったりという顔で宣言した。
『トラップカード、“流転復活!”この効果により、墓地から流転の魔術師を蘇生したんだ!』
『そ、そんなはずは……お前の場はがら空きで、伏せカードもなかったのに』
『甘いな。墓地は第二の手札だぜ?さっき俺が何のカードをコストで墓地に送っていたのか、お前はチェックしていなかっただろう?流転復活は墓地にある時、相手の直接攻撃を受ける場合墓地から発動できるのさ!』
『な、なんだと……!?』
わなわなと震える男。既に戦局は決している。
何故ならば男が召喚したドラゴンは、強化魔法の効果により――男のバトルフェイズ終了時に破壊されてしまうのだから。
今度は男の方の場ががら空きである。これで、上級モンスター・流転の魔術師を従えた少年の方が圧倒的有利となった。
『さあ俺のターンだ、覚悟しな!』
少年が美しい青年魔術師と視線をあわせる。呼吸のあった相棒。お互いの心など、言わなくても伝わるのだと分かる瞬間。
『流転の魔術師で、ゴウジ・サンドウにダイレクトアタック!“ホーリー・マジック!”』
『う、うわあああああああああああああ!』
魔術師の光輝く魔法が、男に降り注いでいく。機械音と共に、ゼロになるライフポイント。男は衝撃とショックで、その場に膝をつくことになるのだった――。
***
「ああああああああああああああああああああああああああ!」
転がる。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
ベッドの上で転がる、転がる、転がる。
「今日も推しが、かっこいいよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「うっさ!」
スマホを見ながらギャーギャー言う妹に、姉が呆れたように返してきた。
「いい加減にしな、かさね!ご近所迷惑でしょーが!」
「ふごっ」
ついにはベッドから叩き落される。妹――
十二歳。小学校六年生のかさねの現在のブームは、『魔術王』というカードゲームバトルを描いた漫画とそのアニメ化作品である。魔法の力を宿したカードゲームが流行する世界。イケメン高校生が、相棒の流転の魔術師とともに、カードの力を使って次々と悪者を撃破していく物語だ。
その世界では、カードゲームの内容が実体化してしまう。ゆえに、召喚したモンスターの力で悪さをする人間が後を絶たない。正義感の強い少年はそれが許せず、町の安全と仲間たちの未来を守るためデッキを片手に次々と悪を成敗していくのだ。
少年誌に連載されている少年漫画ではあるのだが――この話、女性ファンも少なくないのである。
理由は、イケメンキャラが非常に多いこと。主人公の高校生はもちろん、彼が操るモンスターにもイケメンキャラクターが多いのだ。イケメンのみならず、美少女キャラや、かっこいいドラゴンも少なくない。人間の登場人物以外にもファンがついているキャラが多く、かさねとその友人達の間でもちょっとしたブームになっているのだった。
「姉ちゃん、痛い……ちょっとテンション上がっちゃっただけじゃん」
かさねは打ち付けた額をさすりながら高校生の姉、なつねに言う。
「私はね、お姉ちゃんにもこの漫画の素晴らしさを知って欲しいの。隙あらば布教したいの。オタトークしたいの、わかる?」
「おう、そうかそうか。うおおおおおおおおおおおおとかすげえええええええええええええええとか叫んでいるだけで布教になると思ってんなら、あんたも随分おめでたい頭してるわよね」
「あぐっ」
ジト目の姉に、ものすごい正論のツッコミを食らってしまった。かさねのライフポイントに1000の大ダメージである。最近漫画の影響で、なんとなく衝撃を数値化して心の中で呟いてしまう癖がついている。
「こっちは中間テストの勉強したいつーに……お受験しない小学生はお気楽ですこと」
まったく、と。ため息をつきながらもこっちに向き合ってくれるなつねは、なんだかんだで優しいとかさねは思う。
「布教するなら、ちゃんとその漫画の面白さってやつを言いなさいよね。まあ、超人気漫画だから大体のあらすじはあたしも知ってんだけどさ。……あんたって、元々はそんなに少年漫画読む方じゃなかったでしょ?最近急にどうしたの。何がそんなに面白いの?」
「面白いよ姉ちゃん!カードゲームの話だから、ルールわからなかったらつまんないかなーって思ってたけど全然そんなことなかったんだもん。それに、負けたプレイヤーが死んだり傷ついたりするから、なんだかんだで普通の刺激的な現代ファンタジーとあんま変わらないというか?それでいて、カードゲームバトルもものすごく戦略的で面白いというか?」
これ幸い、とかさねはスマホをいじる。そして、自分が今最も愛してやまないキャラクターのドアップ画像を表示させ、姉に突き付けたのだった。
「極めつけは彼!主人公の相棒のカード……『流転の魔術師!』主人公はね、このカードを拾ったことで、正義のカード戦士として目覚めたんだから!」
藍色の衣に青い髪、蒼い瞳の二十歳くらいに見える青年。その手には、派手な装飾がついたステッキが握られている。
一見人間のように見える姿だが、彼もカードの精霊なのだ。
主人公に最初に拾われた一枚であり、この世界の危機をはじめに知らせてくれた存在でもある。以来主人公は、この一枚のカードを相棒として戦い、悪人たちとの勝負に勝ち続けてきたというわけだ。
人間ではないので、カードバトルで召喚された時にしかまず登場することがない。しかし穏やかな口調と美麗な容姿で、女性ファンも多くついているキャラクターなのだった。
「今の私の推しなのー!アニメでの声優は、人気声優の
「はいはい。……主人公とかライバルとかじゃなく、精霊にいっちゃうあたりがあんたらしいと言えばあんたらしいか」
猛烈な勢いで流転の魔術師の魅力をアピールするかさねに、なつねは苦笑いして言ったのだった。
「まあ、確かにかっこいいとは思うけどねえ。……その様子だと、リアルの初恋をするのは当分先ね。二次元の沼に堕ちたら、現実の男なんて目に入らなくなるらしーし」
「そりゃそうだよ。二次元の男の方がかっこいいもん」
「ハイハイ」
次の配信と、コミックス発売が待ちきれない。かさねは再びベッドにごろんと寝転がったのだった。
推しがいる生活は、なんとも幸せなものである。例えそれが、実際に会ったり触れたりすることのできる推しでなかったとしてもだ。
***
姉とそんな話をした、その夜のことだった。
かさねは夢を見ていた。黒い黒い、まるでタールのような海を一人歩いて渡る夢だ。
匂いは何もしないが、足が酷く冷たい。足がつく深さとはいえ、一歩前に進むだけでもえらく体力を消耗する。何でこんな夢を見ているんだろう――そう思いながら、かさねは前へ前へと足を進めたのだった。周りには誰もいない。己の体が光っているのか、自分の周囲だけがうっすらと確認できる程度。こんな暗闇を独りぼっちで歩き続けたら、普通の人間は発狂してしまうだろうなと思う。
幸いにしてかさねはこれが夢だとわかっていたので、さほど恐ろしくはなかったが。どうせ、このまま歩き続けていればそのうち覚めるだろう。面倒だが、それまで待てばいいだけのことだと。
「?」
やがて、景色に変化が現れた。黒い海の上、何かが浮かび上がっているのがわかったからである。なんだろう、と思いながらゆっくりと近づいていく。そして、どうやらそれがローブを着て、膝を抱えて座っている〝人〟であると気づく。海の水から数センチほど浮いた場所で、その人物は体操座りをして俯いているのだった。
――一体どういう仕組み?まあ、夢だから突っ込むだけ野暮なのかもしれないけど……あれ?
傍に寄ったところでかさねは、その人物が長い青い髪をしていることと――それより濃い色のローブを身に纏っていることに気付くのだった。このデザイン、この装飾。彼は、まさか。
「る、流転の魔術師、さん?」
どうして、魔術王に出てくる推しがこんなところに、一人ぼっちで存在するのだろう?夢の中で大好きなキャラに会えるのは嬉しいことだが――いやしかし、何やら様子がおかしいような。
「ど、どうしたの?こんなところで何を悲しんでいるの?」
そうだ。悲しんでいると、そのように見えたのだ――かさねには。
「……貴方は」
かさねの声に、青年はその美しい面を上げた。その目には、涙の雫が光っている。
「貴方は、私の心が見えるのか」
「え、え?」
「マスターが見つからないのだ。帰り道がわからない。このままでは、私は……ああ、だから、頼む」
流転の魔術師は、縋るようにかさねに手を伸ばしてきたのだ。
「頼む。マスターを探すために……力を貸してくれ」
彼に腕を掴まれた途端、目の前で真っ白な光が弾けた。
そして。
かさねの夢は、砕けるようにして終わりを迎えたのである。