以前。
魔術王、の漫画を見せた時、流転の魔術師はかさねにこう言った。
『ただ、私の記憶はゴウジ・サンドウとカードバトルをする直前で途切れているのだ。この戦いの様子は覚えがない』
かさねたちが読んでいる漫画では、あの時点でゴウジ・サンドウとのバトルの結果までが描かれていた。主人公である蒼井星空がゴジとのバトルを制して、いざ仲間を助けるべく前へ!という希望のあるエンディングだ。
あの漫画で描かれた物語と、実際の流転の魔術師たちの時間軸にズレがあってもなんらおかしくはない。実際に、あの物語通りに魔術師たちの未来まで動くという保証はどこにもない。
でも。
――なんとなく。全てが解決して、流転さんが元の世界に戻る時が来るとしたら……その時、彼は元居た時間軸にそのまま戻るのだと思ってた。つまり、ゴウジ・サンドウとのバトルの直前に。そして。
そのまま星空とともに戦い、敵を倒して物語をハッピーエンドに導く。だから、安心して彼を元の世界へ返してやればいい、そのための努力をすればいいとかさねはそう思っていたのである。
しかし。
今回描かれた物語の続きは、あまりにも残酷な展開だった。
『マスター、危ない!』
『え』
『流転――っ!』
星空を庇って切りつけられ、血飛沫を上げて倒れていく流転の魔術師。彼の本体のカードも切り裂かれ、長らくマスターと共に戦った魔術師は消滅していく。それを、絶望の顔とともに見守る星空。そして、高笑いする、卑怯な四天王の一角――。
今回の更新分で描かれたのは、まさにそんな惨劇。あの状態で、流転の魔術師の復活は見込めるのだろうか。答えは、限りなく絶望的だとしか言わざるをえない。つまり。
――もし、流転さんの世界が、同じような未来を辿るなら。
かさねはポケットの中、魔術師のカードを握って思う。
――流転さんを、元の世界に帰したら……この人は、死んでしまう?あんな風に殺されて、そ、それで……。
彼とマスターを再会させること。元の世界に帰すこと。それは本当に正しいことなのか?今回の更新で、それが揺らいでしまった。
「……かさね?どうしたんだ?」
かさねの動揺を悟ったのだろう。小声で、流転の魔術師が声をかけてくる。彼はスマホの画面は見えないはずだった。教えていいものか。苦しめるだけではないのか。
いや、わかっている。教えたところできっと、彼が選ぶ選択は同じだ。元の世界に帰りたい。マスターの元へ戻りたい。そもそも、流転の魔術師が戻らなければ、星空はあのカードバトルに勝利することはできない。その時点で、マスターの未来が絶望に閉ざされてしまう可能性が高い。ならば彼は、命を擲ってでも、元の世界に戻ることを望むのではなかろうか。
――でも、私は……流転さんに死んでほしくない。
どうすればいい。ああ、自分はどうすればいいのだろう?
***
その日の放課後のことだった。学校に、警察の人が訪れたのは。
かさねが呼び出されるまま訪れたのは、螢が入院している病院である。怪我事態は大したことがなかったものの、手傷を負わせた相手が相手なので感染症の疑いがあり、暫く検査もかねて入院することになってしまったのだと聞いていた。
病室で螢と再会したかさねは、さらに度肝を抜かされることになる。なんと、その場にいかにもお偉いさん風のスーツ姿の警察官が数名待機していたのだから。
「病院なのに、押しかけてしまってすまないね。それから、大馬かさねさん、貴女も。学校から急に呼びつけて申し訳ない」
そう頭を下げてきたのは、背の高いダンディな紳士だった。綺麗に整えられた口髭、優しそうな瞳。年は四十代後半くらいだろうか――髭があるせいでかえって年齢がよくわからない。髭を落としたら存外若いのかもしれなかった。スーツの上からでもわかるほど、鍛えられた体付きをしている。若い頃はさぞかしイケメンだったんだろうな、なんてことをついつい思ってしまうかさねである。
その隣には、やっぱりスーツ姿の男性が一人、女性が一人。女性警察官らしき人がいるのは、かさねへの配慮なのかもしれなかった。
「まず先に名乗ろう。私は、
「け」
「けいしそうかん……!?」
思わずかさねは、ベッドの上の螢と顔を見合わせてしまう。警視総監。それが、警察のトップであることは小学生である自分でも知っていることだ。まさか、そんな偉い人と顔を合わせる機会があろうとは。
さらには。
「小学生である君たちには、申し訳ないと思う。ただ、単刀直入に言おう。……力を貸してほしい、我々に」
彼はポケットから、一枚のカードを取り出した。かさねは目を見開く。チョコレート色の裏地に十字架の紋章。――間違いない、魔術王のカードだ。
「現れよ、『変革の女王』」
「!!」
獅子神が唱えた瞬間、病室に光が満ちる。嘘だろ、と螢が茫然と呟いたのが聞こえた。現れたのは、豪奢な赤いローブに、王冠を被ったドレス姿の女性。変革の女王――確か、魔術王のヒロインの一人が使っていたカードではないか。
しかも、それを彼が自ら呼び出したということは。
「貴方も、カードを手にした一人だったということですか……!?」
啞然とした様子で、螢が言う。獅子神は「いかにも」と頷いた。かさねの頭の中で、パズルのピースのように様々な疑問がハマっていく。
何故、警察が迅速に情報規制をすることができたのか。
彼らは犯人たちと事件を通じて、カードの精霊の存在を知ることができたはず。カードのモンスターたちが実体化していること、それを使って悪行を成す者達がいるということ。それに対して対策を打たねばならないということ――信じる者信じない者。当然だが、警察だって大混乱に陥って然るべきのはずなのだ。
それなのに、世間に動揺は一切見られない。
あの事件は、カメレオンのコスプレをした男が起こしたものとして、綺麗に片づけられてしまっている。あまりにも対応が速すぎて違和感を覚えたほどだ。でも。
「……なるほど。警察はもっと前から、カードの存在を知ってたってことですか。それで、水面下で対策を練っていたと」
「その通りだ」
かさねの言葉に、警視総監は頷いた。
「一番最初のカードが現れたのは、十年も前のことなのだ。最初は、誰もカードの精霊の存在なんて信じなかった。そして、事件が起きても『人間か動物が起こしたもの』として片付けられていた。だがついに、警察官の中にもちらほらと現れるようになってね……カードを手にして、それを実体化できる能力を得た者が。私もまさに、その一人だったというわけだ」
「警察のトップがカードの存在を認識してたなら、そりゃ対策も早いか……」
「その通り。ただし、君たちもわかっているだろうがこの存在は公にできない。理由は説明するまでもないな?対策のしようのない力を前に、人は平静さを保っていられるほど強いイキモノではないからだ」
「……ですよね」
それは言われなくてもわかる。カードの力に怯え、人々は疑心暗鬼になるだろう。それこそ、カードを持った人間を探そうと、魔女狩りじみたことまで起きるかもしれない。
なんにせよ、ろくな状況にならないのは確かだ。カードを持っている人間=犯罪者、なんて歪んだ認識が広まらないとも言い切れない。実際、犯罪に走った人間が既に何人も出てしまっているなら尚更に。
ゆえに彼らは、秘密裏に捜査本部を設置して、誰にも知られない形で捜査してきたということなのだろう。何よりも、人々の心と安全を守るために。
「このカードが、少年誌に掲載されている漫画、『魔術王』のカードであることは我々も把握しています。同時に、この原作者である漫画家集団、フライルについても調査が進められているのですが」
女性警察官が、苦々しい表情で言った。
「実は、警察の力を持ってしても……この原作者の正体がわからないのです。一体誰が、どのようにして漫画を描き、出版社に送り付けているのかも」
「え、ええええええ!?」
かさねは思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
どうやら事態は想像以上に深刻で、そして思いがけない方向に進んでいるようだった。
いや、流石に予想なんてできないだろう。警察にも、フレイルの正体が掴めないだなんて。
「現在、カードについて情報を知るための手段があまりにも少ない。……フレイルが書く漫画が、唯一の情報源と言っても過言ではない。ゆえに、出版や掲載を差し止めさせるわけにはいかないのだ。その正体と、出自がはっきるするまでは。ただ、漫画の掲載が続けば続くほど登場するカードが増え、さらに多数のカードがこの世界にバラ撒かれる可能性があることも視野に入れなければいけない」
そこで、と獅子神が続けた。
「小学生の君たちに、酷なことを言っていることを承知で……頼みたい。どうか、我々に力を貸してくれないだろうか。カードの精霊の力は、仮マスターとして選ばれた者にしか扱えない。警察の中の“カード持ち”だけではとても対処しきれない。カードの精霊には物理攻撃も有効だが、いつでも銃や警棒を当てられるわけじゃない。それは、実際に戦った君たちがよくわかっているはずだ」
だから頼む、と。男は頭を下げてきた。隣の警察官たちもだ。かさねはあっけにとられるしかない。
カードを取り上げられるどころかこんな頼み事をされるだなんて、一体誰に想像がつくだろう?
「我々と共に、戦ってほしい。カードの謎を解き、彼らを無事に元の世界に帰してやれるまで」
***
悩むことばかりだ。
獅子神は自分達に選択肢を与えた。つまり、自分達に協力するか、もしくはカードを自分達に預けるかどちらかを選んで欲しい、と。
警察の立場から考えれば至極真っ当な考え方ではある。カードの力を使って敵と戦ってくれるならよし、そうでないなら悪用されないためにカードを預けてもらいたい、と。かさねも、彼らの立場だったらきっとそうしていたことだろう。
――カードを預ければ、安全が買える。でも、私が今一番欲しいのは……自分の身の安全じゃない。
どうすればいいのだろう。本当に、どうするのが正しいのだろう。
かさねが協力を拒んだところで、結局大人たちが動くのであれば同じではないのか。流転の魔術師がいつか元の世界に戻り、そして悲劇的な運命をたどるというのであれば。
「かさね」
病院を出たところで、魔術師が声をかけてきた。丁度信号にさしかかり、かさねは足を止める。
「今日、『魔術王』の続きが更新されたのだろう?そこで、何かあったんじゃないのか?」
「……やっぱり、わかる?」
「わかるに決まっている。あまりにも露骨だ。貴女は嘘がつくのが苦手だろう?」
「……あはは、そだね。すっごく苦手」
信号が変わるのを待ち、立ち止まる人の群れ。ここにいる人達はみんな、自分達のすぐ傍にある脅威を知らないのだろう。
知らないことが幸せである、ということさえも。警察も、かさねたちも、その『知らない幸福』を守ろうとしていることに変わりはない。
ただ。知ってしまった者は戻れないだけだ。――知る前の自分には、けして。
「流転さんが、酷い目に遭うんだ。……元の世界に戻ったら、本当にそれが流転さんの未来になっちゃうかもしれない。私は、貴方に死んでほしくないし、傷ついて欲しくないんだよ。だからね。……元の世界に戻らない方がいいんじゃないかって、そんなこと思っちゃったんだ。まあ、警察の人達が、みんなを元に戻すために頑張るって言ってるから……私が抜けても結果は同じなのかもしれないけどさ」
はあ、とため息をつくかさね。
「流転さんは、自分が死ぬかもしれないってわかってても、元の世界に戻りたい?」
「無論だ」
「即答かいな」
「そもそも、漫画の世界の未来が実際の私の未来になるという確証はどこにもない。わかっていれば、回避することもできるかもしれない。何より……死にかけたからといって、本当に死ぬとは限らない。“奇跡の可能性は、いつだって残されているもの”だ」
それは、かつて漫画の中で蒼井星空が言ったのと同じセリフだった。
「かさね。さっきの警察官の話もそう。……貴女は、貴女がけして後悔しない道を選ぶべきだ。私は貴女に危険な目に遭ってはほしくないが……それでも、貴女が後悔しない選択がなんであるかは見当がついている。ここまで知って、自分だけ安全圏にいることを良しとしないのが貴女だろう?」
その言葉に、思わず笑ってしまった。この短い付き合いで、すっかりかさねのキャラは把握されたということらしい。
実際、間違ってはいない。
ここで知らないふり、気づかないふりをして自分だけ逃げるなど――それができてしまったらもう、大馬かさねという人間ではない。
「……そうだね」
ポケットの中、カードを握りしめる。同時に、信号が青へと変わった。
「足掻いてみるか、お互いに。……望んだ未来を、力技で掴み取るまで」
恐怖に抗い、未来を見据え、絶望へ立ち向かう。
かさねは意を決して、一歩を踏み出したのだった。