濛々とした煙が立ち昇っていた。
砕けた瓦礫に崩落した家屋。灰色の空。
戦場となった街の至るところに破壊の爪痕が残され、至るところで戦火が燻る。
「くそっ、なんでこんなことに……!」
彼はひび割れた街路を駆けながらも、困惑の言葉を吐かずにはいられなかった。
——こんなはずではなかった。
そう、こんなはずではなかったのだ。
手には銃。はばたく翼のような
「俺は、勝つために——」
その銃のグリップをひしとにぎりしめながら、たった独りで崩れた街を行く。
仲間はいなかった。正確にはいたが、四人とも既にやられていた。まさに電撃のような戦闘だった。
(俺たちは……! 勝つためにここまで来たのに!)
立て直さなくてはならない。不利を覆し、形勢を逆転させる手段を考えねばならない。
だが結果はもう出ているに等しかった。もう間もなく、やってくるのだ。描いてきた夢の終わりが。
それが恐ろしくて、本当に怖くて、現実を直視できないでいる。
しかし、役者に幕が下りるのを止められるだろうか。終幕は既に彼の前へ訪れていた。
彼に先回りする形で前方の道を塞ぐ、敵影として。
「あっ……!」
向けられる冷たいアサルトライフルの銃口。
——嫌だ。
反射的な思考。
せめてもの抵抗、奇跡に賭けるような心持ちで、彼も短機関銃の銃口を跳ね上げる。
否、跳ね上げようとした。
だがそれより先に、眼前の人影が放った一発の弾丸が、寸分たがわず彼の額を撃ち抜いた。
(……ああ、そうか)
痛みはない。それは当然のことだ。血が出るわけでもない。
けれど確かに、その弾丸は舞台に幕を引き、彼に悟りにも似た圧倒的な敗北を刻みつけた。
決着がつき、かくして
どこか呆然とした頭で、彼は機械的にVRヘッドセットを外し、銃を模した形状の白いコントローラーを手放す。そうして仮想の戦場から現実へと戻ってくる。
一万人以上の観客の熱気に揺れる、広大なドームの中心へと。
『オーバーストライク』。全世界でプレイヤー数3000万を超える大人気FPSゲームの名だ。そしてここは、その国内大会決勝戦の会場だった。
『決めたああああぁぁぁ————ッ! 最後はフランボワーズ選手のオールキル!! アレン選手を撃ち抜き、勝利したのは王者〈ゼロクオリア〉だぁ————!!』
実況席からマイクを通して熱を孕んだ声が響き、それを上回る熱狂が会場を塗りつぶす。今日一番の割れんばかりの歓声。
それに反し、彼の体は冷えていくようだった。
彼は——
(——俺は、偽物だったんだ)
『アレン』は、ステージの上で、自分たちではなく勝者へと向けられる、会場の興奮冷めやらぬ声援を聞きながら。
己の夢が終わったことを自覚した。
*
それから少しばかりの時が経ち、『オーバーストライク』国内大会の決勝戦から二か月後。
敗退したアレンはそのままプロゲーマーを引退し、彼が所属するチームである〈デタミネーション〉も解散となった。
「お名前よろしかったですかぁ?」
「あ、はい」
「ありがとうございますぅ、ここにサインか印鑑だけお願いしますねえ」
早朝、アレンは自宅の玄関先で郵便物を受け取る。
もちろんアレンというのはゲーム上で使う名前、いわゆるハンドルネームというやつ。
配達員の女性が抱えた段ボールに貼られている伝票には、どこにでもいそうな日本人の本名が記載されている。
「できました」
「はぁい、ありがとうございましたあ」
ゲームの世界を離れれば、アレンはただの、十七歳の青年だった。
去っていく配達員にぺこりと頭を下げ、アレンは段ボールを抱えて自室に戻る。
「ふっふっふ……ようやく届いたか、
そして嬉々として箱を開封していく。中に入っていたのは大きな、これまた頭部に装着する一種のVRデバイスだ。
だがただのVRではない。このSEABEDは世界で初めて一般向けに販売された、フルダイブ型のVRデバイスなのだった。
そしてローンチタイトルとして、今日は生成AIを用いた超大規模MMORPG『アーカディア』が発売される日でもある。
アレンの目的はまさしくそれだ。
自身が青春を捧げた、FPS……ファーストパーソン・シューターではない。
だがそれでよかった。
「FPS以外のゲームは本当に久しぶりだな……銃を捨てて、たまには剣と魔法のファンタジーってのも悪くない」
もう、アレンの夢は終わったのだ。
FPSで世界の頂を目指すという夢想は、あの日〈ゼロクオリア〉のフランボワーズ選手によって砕かれた。
自身は偽物で、眼前のプレイヤーこそが本物なのだと。
(……いつまでも夢見ていられないもんな)
SEABEDが起動し、ヘルメットのようなデバイスの電源ランプに淡い青色の光が灯る。
アレンは一瞬だけその光を見つめ、それから、自身が慣れ親しんだヘッドセット型VRデバイスのそれよりも一回り大きなSEABEDを頭にかぶる。
つまるところ、アレンの目的は息抜きだ。
頭にかぶるだけで年齢や性別、体格なんかも自動で判別してくれるらしく、セットアップの手間はかからなかった。
あとはゲームを起動すれば、フルダイブ機能により、ゲームの世界に意識ごと飛び込むことができる——はずだ。
「って、サービス開始は昼からかよっ」
早速始めようとしたところで、サービス期間外だとエラーメッセージが眼前に飛び込んでくる。
SEABEDを外し、時計を確認すると、時刻は十時過ぎ。サービス開始は十二時からなので、まだ二時間近く猶予があった。
出鼻をくじかれ、アレンはやきもきしながら時間をつぶす。母親の作った少し早い昼食を摂ったり、SNSでエゴサーチをして微妙な気分になってみたり。
やがて時計の短針と長針が、真上を向いて重なる頃。
十二時ぴったりになった瞬間、アレンはアーカディアを起動した。
「よし……! ゲームスタートっ!」
——それが、あまりにも長い戦いの始まりになるとは知らずに。
継ぎ接ぎのゲーム世界へと、SEABEDを通してアレンの意識が送られる。
肉体は途端にだらんと脱力し、ふかふかのゲーミングチェアに沈み込む。
まるで電源を落とすように意識をなくした部屋の主を、各種ゲーミングデバイスの1680万色の光が虚しく照らしていた。
*
「……んぁ?」
柔らかな草の上で目を覚ます。
「
アレンは起き抜けに胸の痛みを覚え、顔をしかめた。胸部の表面ではなくその奥、心臓辺りの痛み。
だがそれも次第に引いていき、落ち着くとアレンは周りを見渡す。
「……森?」
そこは緑あふれる森の中だった。
周囲には木々がランダムに立ち並び、そよ風に揺れる枝葉は重なり合いながらもいくばくかの陽光を差し込ませている。
「これがゲームの中だってのか? すごいな、最新技術ってのは」
ぺたりと木に触れてみる。硬く冷たい表面の感触は、決して作り物の印象など与えない。
だがここが現実世界でないのは、視界の端、左上に浮かぶ『Lv.1』というレベル表記や、ArenのID表記、緑のHPバー、それからその下にあるオレンジのバーから明らかだ。
遠くで響く鳥の声。暖かな木漏れ日。
アレンはしばらく、木に触れたままリアリティに満ちた眼前の光景に見入っていたが、ふとあることに気付いた。
「……なんか、手ちっちゃくない?」
木の幹に手を伸ばす、自身の手。それが妙だった。
ちっちゃいのだ。おまけにちょっとぷにぷにしている。
「——」
加えて、普段に比べて視点も低い。二、三十センチほど。
しかも自身の肩には長い髪がかかっていて——その色はかすかな陽光を受けて輝くような黄金のそれ。
どういうことだ?
アレンは疑問に思い、視界の端に澄んだ湖の姿を認めると、その湖面へと
そこに映っていたのは、あどけなくも整ったつくりの見知らぬ顔。子ども特有の丸みを帯びた輪郭、長いまつ毛に縁どられた瞳は青く、くりくりとした丸いガラス玉に似て、肌は白いが頬にはわずかに赤みが差す。陽の光に濡れる背中ほどまで伸びる癖のないさらりとした髪は、やはり馴染みのないブロンド。端麗ながらも稚気を残したその容貌は両の目の印象も相まって、どこか精巧に造られた人形のよう。
つまりは——
「女の子になってる——————っ!!?」
アレンはこの世界、アーカディアではどういうわけか女性になっていた。それも金髪碧眼、麗しい少女の
「なっ、なんで……おかしいだろっ!」
狼狽しながら、アレンはその手で顔をぺたぺたと触る。湖面の鏡像は確かにその動きに追従し、手から伝わる柔らかな肌の感触も間違いではなかった。
本当に、少女の姿になっている。
(嘘だろ? いくらゲームの中だって……SEABEDは頭部の情報から使用者の骨格を推定するはずだ。多少の誤差はあれど、性別ごと変わるなんてありえない!)
SEABEDのセットアップに間違いはなかったはず。
しかしいかに否定しようとしても、湖面は確かに少女の姿を映している。小さな口をあんぐりと開き、そして青い目もぱっちり見開いて驚愕する、まるで童話の中にでも出てきそうに可憐な姿となったアレンを。
一体なぜ? なぜこんなことに?
視線を下げ、自身の姿を見下ろしてみる。視界に映るのは金色の髪、それとぺたんとした胸、お腹、すらりと伸びる脚、小さな靴のつま先。もちろん服は着ていたが、下がズボンなのはともかく、上のブラウスがノースリーブなのがどうにも落ち着かない。
誰か状況を解説してほしい。あとなにか羽織るものも欲しい。
そんなことを考えていると、アレンの背後の茂みががさりと不自然に揺れる。
騒いでいたせいで、犬かなにかでも呼んでしまったのか。あるいは通りがかった人でもいるのなら、この状況について説明を頼みたい——
そういった心持ちで振り向いたアレンの鼻先に、ぎょろりとした目玉があった。