「えっ」
「グゥルルルルル————」
巨大な頭部。縦に長い瞳孔をした黄色の眼球が、すぐそばでアレンを見つめている。
剥き出しになった鋭い歯の合間から生暖かな吐息が漏れ出る。その奥から響く唸り声は、地の底から発せられたように低く、重い。
それは燃えるような赤い鱗に覆われた、一個の生物だった。
ゲームの世界だからこそ目の当たりにできる、巨大で、とうに絶滅した、誰もが知る古代の肉食動物。
「————ガァァァァァァァァアアアアアアッ!!」
「わあああああぁぁぁぁぁっ!?」
警戒は敵意へ、恐竜型モンスターはアレンを標的と定めたらしく、森の外まで響かんばかりに咆哮する。驚いた鳥たちがぱたぱたと周囲の枝から飛び立ち、アレンも驚愕から叫び声を上げた。
もはや容姿のことなど気にしている場合ではない。昼下がりのオヤツになってしまう前にこの場を脱さなくては。
アレンは一目散にその場から駆け出すも、恐竜型モンスターはその発達した太い
「くそ、チュートリアルとかないのかよぉっ!」
あるいはこれこそがアーカディアの手荒い歓迎なのか。
森の中を必死に駆けるアレンだが、立ち並ぶ木々や地面の傾斜、そこらに転がる石や浮き出た木の根などにより、思うように走れない。
否——走りを阻害する最大の要因は、その肉体の変化だ。
少女の体躯では歩幅も小さい。どれだけ足を働かせようが、かの巨大生物を引き離すのは到底不可能だった。
(なにか……アイテムとか持ってないのか!? 説明書によれば確か、こうすればメニューが開くはず……)
顔を上気させ、肺から空気を絞り出すようにして走りながら、アレンは虚空に指を滑らせる。するとインベントリのウィンドウが開き、所持品が表示される。
そこにはたったひとつだけアイテムが納められており、こう銘打たれていた。
『キングスレイヤー』。
「——迷ってる暇はないか。来い、『キングスレイヤー』……!」
一か八か、項目を指でタップするアレン。するとその手に一丁の銃が現れた。
拳銃、それもリボルバーだ。小さな手になじむウッドグリップ。弾倉のそば、銃身の根本にあるヒンジがいささか特徴的。金属でできたボディはアレンの髪と同じ黄金色を湛えている。
剣と魔法のファンタジー。それを求めてアーカディアを起動したはずが、なぜ銃がインベントリに入っているのか?
そんな疑問を覚えるより先に、アレンは体を反転させ、振り向きざまに発砲した。
「ガァァァァァアアア————!?」
轟く銃声の音。放たれた弾丸は過たず恐竜の鼻先を捉え、その巨躯を大きくのけぞらせる。
続いてもう一発。のけぞった上体の先にある頭部、その下顎を次弾が撃ち抜く。
さらに駄目押しの三発目。振り乱される巨大な頭のこめかみを、アレンの弾丸は正確に捉えきった。
三発続けてのヘッドショットも、アレンにとっては驚くようなことではない。引退を表明したとはいえプロゲーマー、そして〈ゼロクオリア〉に大敗を喫したとはいえ『オーバーストライク』国内大会の準優勝チーム、〈デタミネーション〉のひとりだ。
プロゲーマー同士の撃ち合いとは当然のようにヘッドショットの競い合いになる。多くのゲームにおいて、頭部は他の部位よりもダメージが高く設定されているからだ。
人体に比して格段に
「グゥ、アアアアァァァ————ッ!」
「……硬いな。いや、ふつうこういうものなのか? PvEはやらないからよくわからないな」
しかし恐竜型モンスターは頭部に三発の銃弾を叩きこまれても健在で、むしろ怒りを込めて鋭い眼光をアレンに向ける。
もはや逃がしてはくれまい。肩で息をしながら、アレンは手元に碧色の視線を向ける。
(
『鷹の眼』が情報を精査する。交戦は必至。
怒り狂った恐竜は木々を蹴散らし、大口を開けながらまっすぐにアレンへと向かってくる。
対し、アレンは再び拳銃を構える。
照準を定めてしまえば、迷いも疑問も頭には浮かばなくなる。普段と同じ、相手が人間から怪物に変わっただけだ。
「ガアアアアアアアァァァァァッ!!」
牽制の一発を撃ち、当然のように額に当てる。だが激昂した恐竜型モンスターはその程度ではひるむことなく、アレンの柔肌に牙を突き立てんと迫ってくる。
そこへ、アレンは自ら駆け出した。
「ふっ——!」
そのままスライディングで股下に潜り込み、破壊的な咬合を紙一重のところでやり過ごす。
さらにすれ違いざまの射撃で二発続けて下顎を撃ちつつ、そのまま恐竜の後方へと抜ける。角度的に難度の高い射撃だったが、アレンであれば問題はない。
しかし、これで六発を撃ち切った。弾倉の中は空っぽだ。
(弾薬は……どこかに持ってたりするのか?)
丸みを帯びた鈍色の弾頭。
「はっ、こりゃ便利でいい」
六発の弾丸を小さな手になんとかにぎりこみながら、アレンは逆の手の親指で撃鉄のそばのレバーを抑え、キングスレイヤーの
トップブレイク式特有の排莢だ。草の生えた地面に、金色の薬莢がぼとりぼとりと落ちていく。そして空いた
装填を終えて銃身を戻した時には、既に敵はアレンの方へと振り向いていた。
「グウゥゥゥゥゥゥ————ッ!」
「——終わりだ!」
再度の突進。だが、その暴威が触れるよりも、アレンがキングスレイヤーを構える方が一手早い。
引き金を絞る。パンッと鋭い銃声が鳴り、弾丸はまたしても厚い額を撃ち貫き——
巨体の足が止まる。赤い恐竜は、ぐらりとその体を傾がせると、ようやく倒れ込んだ。
「倒した……か」
かすかな硝煙を立てるキングスレイヤーを下ろすと、アレンは一息つく。
恐竜の死骸が細やかな光り輝く粒子となり、空気と溶けるようにして消えていく。すると、軽快なファンファーレがどこからともなく鳴り響いた。
——レベルが2になりました。
——レベルが3になりました。
——レベルが4になりました。
——レベルが5になりました。
——レベルが6になりました。
「……なんだって? レベル?」
頭の中に響く、無感情な少女の声。
レベルアップを知らせる通知のようだったが、頭に直接届くようで妙にぞわぞわする。
「てか、一気にレベル6ってことは……やっぱりふつうの敵じゃなかったのか? 銃だけ持って森の中に放り出されて、体もこんなんになって、一体なにがどうなってるんだ??」
戦闘が終わって落ち着いてみれば、疑問が再噴出してくる。わけのわからない状況だ。
——一度ログアウトして、攻略ウィキ的なサムシングでもネットで調べてみるべきか?
そうアレンが思ったところで、後ろから土を踏むような物音がした。
すわ、またしてもモンスターに襲われかけているのかと咄嗟に振り向くアレン。
「子ども? きみ、こんな郊外でなにしてるの? って、あなた……!」
予想に反し、そこに立っていたのは人間だった。それも年若い、アレンと同じか少し下くらいの年齢——言うまでもなく今の幼い外見年齢ではなく中身基準の話だ——と思しき。
肩ほどまで伸ばした栗色の髪と同じく茶色がかった瞳の、おそらく高校生程度の少女。背は特別高くはないが、顔を見るためには、今のアレンでは多少首を上げる必要がある。
彼女はどこか不用心な、ぽかんとした面持ちでアレンのことを見つめた。その頭上には、『Nozomi』というアルファベットが浮かんでいる。
少女は突然、ぱあっと表情を明るくさせてアレンへ駆け寄る。
「わあっ、すっごいかわいいぃぃ————! お人形さんみたい! えーっ、どこから来たの!? うわー肌白ぉっ、髪もさらさらですっごく綺麗!!」
「なんだ、うわッ? お、おい……っ!」
「すっごいっ、お肌すべすべ、ほっぺも柔らかーい! やーん、モチモチしてるぅ——!」
「ぷえッ、やめ——やめろッ、ほっぺをひっぱるにゃ……! 離せっ!」
「わ。あ、ごめんね? もしかして痛かった……?」
いきなりもみくちゃにされ、さらにほっぺを執拗にぷにぷにされるアレン。突然の暴挙に驚きつつも、アレンはなんとか拘束を振りほどいて少女をにらむ。
「ホントごめんなさい、悪気はないのっ。最近ちょっと疲れてて……目の前にとってもキュートな女の子がいたからつい我を忘れて……」
「そのストレス解消法は改めることを勧める。誰だか知らないが、そういうのはせめて見知った相手に許可を取ってからするべきだ!」
「う……これ以上ない正論……」
栗色の髪の少女はがくりとうなだれ、いかにもいたたまれない様子で肩を落とした。
こう素直に反省されてしまえば不必要に責める気も起きない。アレンは「まあいいよ」と頬をさすりながら息を吐く。
「許してくれるのっ? うぅ、ありがとう……。えー、あーる、いー、えぬ……アレン? アレンちゃん?」
「えっ?」
ふと、少女が名前を言い当てる。驚いたのはアレンだ。
「なんで俺の名前を……」
「なんで、って。そんなのID表示を見たに決まってるでしょ?」
ほらほら、と少女は自らの頭の上を指で差す。ふよふよ浮かんでいる『Nozomi』のアルファベット。
「……ノゾミ?」
「そう、近づけば頭の上にこれが出るでしょ? え? もしかしてあなた、今アーカディアに
どうやらアレンの頭の上にも『Aren』の表示があるようだった。
試しにアレンは頭上を見上げてみたが、見えるのは木々が両手を広げるように伸ばす枝葉と、その合間から窺える青い空だけ。自分のIDは見えないらしい。
ノゾミは自身の頬をぺちんと軽く叩きながら「えらいこっちゃ」とつぶやき、アレンのそばへと駆け寄ってくる。
「まさか、まだ新規の
「転移?」
「ええとね、落ち着いて聞いて。わたしたち
「……は?」
ゲームに閉じ込められている?
そんなバカな話があるわけがない。そう思おうとしたアレンだったが、ノゾミの神妙な表情を見て、まさかと再び虚空に指を走らせてメニューを開いてみる。
装備やステータス、インベントリ、それからギルドといった項目は存在する。
だが、どこにも『ログアウト』の五文字だけは存在しなかった。