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第3話 『謎だらけの転移』

「……きょ、教会でお祈りすればやめられるとか。もしくは国王に話しかける」

「古いゲームだけだよ、そんなの」


 由緒正しい国民的RPGゲームでさえ、最近はオートセーブだ。


「動揺するのはわかる。でもわたしたちはみんな、このアーカディアに意識ごと囚われているの。アレンちゃんだって、いくら最新のフルダイブ型ゲーム機だからといってこの没入感は異常だと思わない?」

「最新機種だから、このくらいスゴいのかと思ったが……」

「そんなわけないよぉ。だってなにより、この世界には……通常遮断されてしかるべき、痛覚が存在するもの」

「あ」


 痛覚。それはアレンが漠然と覚えていた疑問にひとつの解答を返すものだった。

 まだ怪我を負ったりはしていないが、走った後は息切れの苦しさがあったし、わずかに肺も痛んだ。ふつう、ゲームの世界ではそうしたネガティブな信号はカットされる。


(じゃあさっき、あのデッカい恐竜に嚙みつかれてたら……)


 先ほどはいつものゲーム感覚で銃を構え、股の下を潜り抜けるようなリスキーなこともできた。

 けれど、ここがゲームの世界であろうとも、痛覚を反映しているのであれば。

 あの鋭い牙で肌を貫かれ、ぎざぎざとした歯で肉を噛み潰されていたら、はたしてアレンの精神は無事でいられたかどうか。今さらのように恐ろしくなり、アレンは身震いする。

 そんな姿を見て、ノゾミは労わるような表情でアレンの肩に手を置いた。


「うん、予定変更っ。大丈夫だよアレンちゃん、あなたのことはひとまずわたしが責任を持って守ってあげる」

「ん? 守るって、どういう……」

「町へ行けば、アーカディアに閉じ込められた子どもを保護してる善良なギルドもあるって聞くし……心配しなくっても大丈夫。お母さんやお父さんがいなくて心細いかもしれないけど、わたしにできることはなんでもするよ」


 屈むようにして、ノゾミはアレンの小さな背と目線を合わせる。濡れた丸い瞳がすぐそばでアレンの碧眼を見つめる。


(これは……もしや……)


 なんとなく、すれ違うものを感じるアレン。

 そう、アレンの表情に浮かんだ恐怖もきっと、彼女は元の世界に帰れないがゆえのものと取り違えたのだろう。


(本当にただの子どもだと思われている……!!)


 ノゾミにしてみればアレンは、幼いながらに『アーカディア』のゲーム世界に閉じ込められてしまった、哀れで可愛そうな子どもというわけだ。

 誤解を解く必要があった。それもすこぶる早急に。


「あの、いいかなノゾミ。話がある。どうかよく聞いてくれ。大切なことなんだ、そう、朝食がパンかご飯かってこととは比べ物にならないくらい」

「うん? どうしたのアレンちゃん? お腹空いてるの??」


『アレンちゃん』という三年間にわたるプロゲーマー生活の中でもついぞされたことのなかった呼び方についてもアレンは触れたかったが、話がこんがらがるので断腸の思いで一度棚上げすることにした。


「いいか——俺は……十七歳の男だ!」

「へっ?」


 一瞬、二者の間に沈黙がわだかまる。

 ちゅん、とどこかで鳥が鳴く。そして次にアレンの耳に入ったのは、思わずといった風にくすりと音を立てて漏れ出るノゾミのかすかな笑い声だ。


「えぇ~、なにそれ? あはは、そんなわけないじゃんかぁ、アレンちゃんってば面白いこと言うね」

「あぁーやっぱりダメか!!」


 アレンは頭を抱えた。やはり信じてはもらえない。

 だが事実だ。このまま子ども扱いを受け続けるわけにもいかないので、アレンはより強く訴えかけるほかなかった。


「本当なんだって! 職業はプロゲーマーで……あっ、いや、ちょっと前に引退したんだが……アレンって聞いたことないか? オーバーストライクって有名なFPSがあるだろ」

「プロゲーマー?? うーん、わたし、FPSって全然わかんないから……それって確かモニターの設定かなにかだよね?」

「それはフレームレート! 全然違うっ」

「えー?」


 ノゾミの言うFPSはゲーム画面が一秒間に処理するフレーム数のことで、アレンの言うFPSは一人称のシューティングゲームのことだ。まったく異なる。

 両方とも同じFPSで呼ばれ、しかもどちらもゲームに使う用語のため、時たまこうして会話をややこしくさせるきらいがあった。誰かなんとかしてほしかった。


「よくわかんないけど、警戒しなくてもいいんだよ。わたしのこと、すぐには信じられないかもしれないけれど——」

「いや、ノゾミを疑って大人のフリしてるとかでもないから! くそっ、どうして全人類がオバストをプレイしていないんだ……!」


 国内大会準優勝と言えど、当然それはゲームの中の実績。

 世の中はFPSをやらない人間の方が圧倒的に大多数だ。ノゾミがアレンのことを知らないのも無理はない。


「あくまで大人のひとってこと? えぇー? ほんとに?? こんなにほっぺたぷにぷになのに??」

「ほっぺは関係ないだろうが。まあ……十七だから成人はしてないけどさ、子どもって歳でもないだろ」

「でもでも、SEABEDは着用者の体型なんかを読み取るでしょ? アーカディアの体はそれを使ってるって話だよ。一応、ちょっぴり背が伸びたり縮んだり、髪や目の色が変わったりはするみたいだけど……」

「それは——」


 二の句を告げないアレン。同様の疑問を、湖面に映る金髪碧眼の自分を見て覚えたばかりだ。

 曲がりなりにもアーカディアはSEABEDから得たデータを利用し、ほとんど現実のものに近しい論理肉体を構築する。だが、それではアレンがこのような幼女と化してしまったことの説明がつかない。


「——俺も、わからない。どうしてこんな姿なのか……SEABEDのセットアップはきちんと実行されてたはずなんだけど」


 だから、はたから聞いたときにこの上ないくらいに怪しいとわかっていても、正直に言うほかなかった。


「そう、なんだ。うん……わかった。アレンちゃんがそう言うなら」

「信じてくれるのか?」

「うん、ひとまずはね。それにどうあれ、転移したてで困ってるのは本当みたいだし。わたしが町まで案内するよ」


 ノゾミは怪訝な表情ひとつ見せず、微笑んでみせる。

 疑問は確かに感じている。だが、それでもアレンが困っているのを見かね、助けようというのだ。


「町に着いたら色々説明してあげるね。わかんないことばっかりだと思うから」

「ノゾミ……ごめん、ありがとう」

「いいよー。わたしたち転移者プレイヤーはみんな、アーカディアに閉じ込められた仲間だから。助け合わないとね!」


 含みのない様子で先導して歩き出す。

 心の中でもう一度礼を言ってから、アレンはそのあとに続いた。


「それにしても、ノゾミはずいぶんと情報通みたいだな。MMOには慣れてるのか?」

「え? いやいや、情報通だなんてことないよぉ。MMOは結構やってきたけど」

「そうか? でも、町の場所も知ってるし、さっきギルド? の話もしてたじゃないか。俺だってサービス開始と同時にゲームを起動したはずなのに……どうやってこんなに早く情報を得たんだ?」

「ああ——そういうこと」


 歩きながら、合点がいったとばかりにノゾミは手を打つ。


「わたしが転移したのはだいたい半年前だよ。五カ月前……ってところかな」

「は、半年ぃ!? え……ど、どういうことだよ!?」

「理由はわたしにもわからないけれど、アーカディアに入ってくるタイミングは人によって違うの。不思議なのは、アレンちゃんみたいにサービス開始と同時にゲームを始めた人も、転移するのは遅かったりして」

「なんじゃそりゃ。じゃあ、俺は大幅に出遅れたってことか?」


 地面から浮き出た木の根をひょいと跨ぎ、前を行く背にそう問いかける。

 ノゾミは半身で振り向きながら、「そうなるね」と答えた。


「だけど悪いことじゃないと思う。アーカディアが始まった半年前……混沌期の頃は、転移者プレイヤー同士の争いもすごかったから。わたしは一か月くらいしてからの転移だったけれど、ギルドとギルドの抗争があったりして」

「そうなのか?」

「うん。でもその争いも〈解放騎士団〉が勝利を収めて、今は落ち着いてるから平気。まあ、中には危ないギルドもあるにはあるんだけど。以前ほど表立ってはいないかな」


 しばし歩くと、徐々に木々が減り、やがて開けた平野に出る。

 なだらかな丘陵の先に、灰色の壁に囲まれた巨大な都市が窺えた。

 聞くまでもなく、あれがノゾミの言う町だ。森からはそう遠くなく、ここまで開けた地形であれば迷うこともありえない。昼までにはたどり着けるだろう。


「……あの、塔は?」


 目を引くのは、その都市の中心から天に向かってそびえる、巨大な塔。

 まるで空と地上をつなぐようだ。


「『バベル』——ま、あれは町に着いてから説明するよ」


 地面を覆う草の背は低く、視界を遮るものはない。この辺りにモンスターはいないようだった。

 春先を思わせるうららかな風が吹き、草を揺らす。

 遠景の町を目指すふたりの道程に危険はなく、どこか牧歌的でさえあった。


「そういえばさっきの音……銃声? みたいなのってなんだったの?」


 遠くに見えていた、都市を覆う外壁がさっきより大きく見える頃。今度は、ノゾミの方からそう訊いてくる。

 やはりと言うべきか。ノゾミはアレンと恐竜型モンスターが交戦する音を聞きつけたようだ。

 しかし、アレンのように転移したてでもないノゾミが、なぜさっきのようななにもない森の中にいたのか? 内心でアレンは訝しんだが、問いに答えた。


「えーと。転移してすぐ、デカくて赤い恐竜に襲われたんだ。そんで、戦って倒した」

「え? 赤い恐竜って……レッドティラノ? またまた、アレンちゃんってば嘘ばっかり!」

「本当だ。あと、ちゃん付けはよしてくれ。さっきも言ったが俺は今年で十七だ」

「転移したてのレベル1であんな強いモンスター倒せるわけないよ! わたしだって勝てっこないもんっ。だいたい、いくらボーナスウェポンがあったってレベル1じゃ攻撃もろくに効かないよ」


 冗談でも聞いたかのようなリアクション。悪気はないのだろうが、笑い混じりに否定され、アレンは少しムッとする。


「効かないなんてことはない。ボーナスウェポン……って言うのか? インベントリに入ってたキングスレイヤーとかいう銃で、七発当てたら倒せた」

「七発? まさかぁ。レベル1なんだから、どう考えても三十発くらいは当てないと倒せないって。そりゃあ、全部弱点に撃てるとかなら別だけど……」

「当てたんだよ、全部頭に! あんなデカい的、ヘッドショットするのは楽勝だ!」

「あはは、全弾ヘッドショットってこと? そんなすごい人、騎士団にもいないよぉ。意地張っちゃダメですよ〜」

「あッこら、ナチュラルに頭を撫でるな! 子ども扱いするな……!」


 だが残念なことに、ムキになればなるほど逆効果だった。今の容姿で必死になっても子どもらしさが増すだけだ。


「アレンちゃんはかわいいねー。髪もさらさら、わたしは癖っ毛な方だから羨ましいなぁ」

「ちゃんを付けるなちゃんを! え!? さっき信じてくれるって言ったよな!? 俺が男でプロゲーマーだって!」

「そうだけど、なんか話してるとそんな気しなくって」

「なんだよそれぇ……っ!」


 見た目の印象とは恐ろしいもの。なにを言っても取り合ってはくれず、アレンはこの幼女ボディを呪った。


(本当、なんでこんな体に……災難だ!)


 アーカディアの世界に閉じ込められ、そのうえ体までおかしくなって、本当のことを言っても信じてもらえない。

 不幸を嘆くには十分だ。アレンの口元から言葉にならないうめきが漏れ出る。

——剣と魔法のファンタジーで、息抜きをするつもりだったのに。

 おまけにアレンに配られた初期武器、ボーナスウェポンは拳銃だ。

 誰がそう望んだのか。どうあれ、ここでもアレンは銃撃戦から逃れられそうにはなかった。

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