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第16話 『プロ同士の戦い』


「そこかよ……」

「アバターの設定とかなかったよなぁ!? お前そりゃあ、流行りの……バビ——なんだ、バビ……えーと……バビンダ?」

「——? オーストラリアの話か?」


 オーストラリアの北東、クイーンズランド州のこれまた北東にある小さな町の名だった。雨が多く、珊瑚の美しい澄んだ海と青々しい熱帯雨林に囲まれ、またサトウキビを用いた製糖工場が名高い。

 おそらくマグナはなにかと言い間違えたのだと思われた。


「あのおじさんのこと知ってるの、アレンっ!?」

「あの人は俺の元チームメイトだ。信じたくはなかったけどな……! 『紅蓮』のマグナ、十年以上FPSゲームのプロを張ってるベテランのスナイパーだ!」

「ねえ、プロゲーマーってみんなそういう二つ名みたいなの持ってるの?」

「だがマグナさんが〈エカルラート〉のリーダーなら、ノゾミの『ゴーストエコー』に執着するのも納得がいく。FPSプレイヤーにとってあのユニークスキルはチート同然だ。やはりあれを使って〈解放騎士団〉と抗争を起こす気なのか……!?」

「アレンってば? ねえ? チームメイトみんな二つ名持ってるの?」


 アレンが見上げる先で、マグナは歯を見せて笑った。チームにいた時と変わらぬ笑み。

 チームでの練習は普段オンラインで行うが、オフライン大会や、それに備えてのブートキャンプ……率直に言えば合宿の際なんかは、同じ場所に集まって顔を合わせることもある。ゆえに、アレンもマグナも互いの顔は知っていた。


「なんでそんな姿になってるのかは知らねえが、アレン! お前もこのアーカディアに来ていたとはな。それならどうだ、おれと来ないか?」


 マグナは屋根の上から手を伸ばし、まるで、それこそゲームに誘うような気軽さでアレンに言う。


「え?」

「FPSのプロは対人のプロだ、少なくともこの世界じゃあな。おれとお前が組めば怖いモンなんてねえ! 最強だ! 仮に『ゴーストエコー』がなくたって騎士団は余裕で倒せるだろうよ!」

「さい……きょう?」

「ああそうだ、最強だ。おれたちが組めばこの世界を支配できる。世界一だ、アレン。一番になれるんだよ!」


 高揚をにじませ、マグナは謳う。

 世界一。一番。

 あの日、届かなかった栄冠。挑む資格さえ得られないまま終わった夢。

 だが——


「最強? 支配? そんな……まるで、ゲームの中みたいな」

「ああ。ここは最高のゲームだ。FPSプレイヤーにとっての、ユートピアだよ」


 一切の臆面もなく。水が低きに流れる当然の摂理を口にするように、マグナは言い切った。

 けれどもアレンは知っている。マグナがゲームだと評したこの世界で、友人を亡くし、悩み、苦しみ、挙句の果てには自死まで選ぼうとした少女のことを。

 隣に立つ、気丈なふりをしてばかりの、独りで眠ることさえ厭う寂しがり屋の少女のことを。今のアレンは知っている。


「——違う。ここはゲームなんかじゃない……! 現実と同じ、命のかかった世界だ! 当たり前に人が死んで、そのことに苦悩する……そんなゲームがあってたまるか!!」

「あ?」

「アレン……」


 細い喉から声を張り上げ、アレンは否定する。

 あの円盤のオブジェの前でノゾミの頬に流れていた涙のことを思えば、マグナの称するユートピアを認めるわけにはいかなかった。

 ゲームと同じように……それこそアレンたちのプレイしてきたオーバーストライクというFPSタイトルと同じように人を撃つことなど、許されるわけがない。

 ゲームオーバーになった転移者プレイヤーは、本当に消えてしまうのだから。


「そうかよ。あぁ、失望したよ、アレン。お前がそんな腑抜けで、中途半端なやつだとは思わなかったぜ」


 だがマグナは笑みを消し去り、冷たい瞳でアレンを見下ろした。


「中途半端……?」

「そうさ、半端者だよ。FPSプレイヤーとして偽物だ、お前は」


——偽物。

 心臓が凍り付く。


「FPSでプロになるやつなんてのは、例外なくゲームジャンキーだ。銃で人を撃つ快感……それに魅せられたのがおれたちだろうが。それを認めないお前は偽物だよ」

「この世界で人を撃ち殺すのはただの殺人だ! 許されるわけがないだろ!」

「誰の許しが要るんだよ、このアーカディアで!」


 もはや相互理解は不可能だった。完全に二者は決裂している。

 マグナにとってここはゲームなのだ。いつもプレイするFPSとなんら変わらない、ゲームの世界。


「おれたち〈エカルラート〉の仲間にならねえってんなら……予定通りに事を運ぶだけだ。『ゴーストエコー』。その身柄、いただいていくぞ」

「っ、ノゾミ! 遮蔽物に入れ!」


 対立が明確になった以上、対話は終わりだ。マグナはゆっくりと銃を構え始める。その姿を見た途端、アレンの頭で最大級のアラートが鳴った。

 相手は素人ではない。アレンと同じ、FPSのプロだ。昨日のスラプルや、森で戦ったレッドティラノのような愚鈍なモンスターたちとはわけが違う。


(顔を出せば……撃ち抜かれる!)


 道の上に目を走らせる。目ざとくアレンは放置された手近な荷車を見つけ、ノゾミとともに急いでその裏に入った。ちょうど木箱がいくつも積まれていて、即席の掩体えんたいとなってくれる。

 だが膠着するほかない。マグナは今、こちらに銃口を向け、スコープを覗き込み、獲物が顔を出すのを今か今かと待っているに違いないのだから。

 そして実に厄介なことに、時間はマグナの味方だ。


「ど、どうしようアレン。このまま待ってても、さっきの人たちが追いついてきちゃう」

「ああ……」


 もとより頭数で負けている。このままここでじっとしていれば、〈エカルラート〉の手下たちに囲まれ、本当に逃げ場を失うだろう。

 かといって破れかぶれに飛び出すのは自殺行為だ。

 相手はプロのスナイパー。運よく外してくれることに期待する……などというのは、あまりに甘い目算だろう。


「この距離だ、ちらとしか見えなかったが、マグナさんのスナイパーライフルはボルトアクション方式のようだった」

「ボルト……アクション??」

「…………要するに一発撃ったら、二発目はすぐには撃てない銃ってことだ」


 射撃のたび、ボルトハンドルを前後に動かして排莢・装填を行う必要がある。この動作をコッキングと呼んだ。

 流石にコッキングの要らない、セミオートで連射のできる狙撃銃はバランスブレイカーもいいところ、ということなのかもしれない。それでもスナイパーライフルなんてものがボーナスウェポンとして成立していること自体、アレンにしてみれば驚きだったが。

 しかし要するに、一発マグナに撃たせることができればその隙に移動ができる。なんとか後方の路地まで逃げ込むことができれば、もうマグナの射線は通らない。


「俺が一発、マグナさんに撃たせる。直後、後ろの路地まで逃げ込むぞ」

「う、撃たせる? おとりになるってこと!? だめだよそんなっ」


 連射ができない以上、アレンがわざと撃たれれば、その隙にノゾミは逃げられる。

 それも手のひとつ。とはいえ、アレンの策はそうではない。


「早合点するな、そんなんじゃない。だがそうだな、念のため『ゴーストエコー』を頼む」

「——? わ、わかった。アレンを信じる……! 『ゴーストエコー』っ」


 周囲を走査する白い光が走り、荷車越しにマグナのシルエットがぼんやり映る。

 そこは屋根の上ではなかった。


(下に降りてる? いつの間に? どうして自分から高所を捨てた……?)


 アレンたちと同じ高さ。地に足をつけ、マグナは建物のそばに立っているようだった。

 少しでもFPSをかじったことのある人間であれば——

 否。未経験者であっても、高所の優位性というのは容易に理解が及ぶ範疇だろう。

 低きより高き。より視野を広く取ることができ、動きの幅も同じく広い。

 特にスナイパーとなれば、高所を取るのはセオリー中のセオリーであり、それを自ら捨てるなどというのは素人でさえやらないような愚行。

 だからこそ、不気味。

 だとしても動かねばならない。時間は今、アレンたちの敵なのだから。


「いくぞっ……!」


 アレンの打つ手は極めてシンプルだった。

『遮蔽物から出ると見せかけて戻る』。ただそれだけ——荷車の陰から肩だけを出して、すぐさま体を引き戻す。

 一種のフェイントだ。

 それにより敵の弾を外させる、FPSゲームにおける対スナイパーの技術。一般にショルダーピーク、クイックピークなど、いくつかの名称で呼ばれていた。

 ノゾミの『ゴーストエコー』で捉えたマグナの位置から、ぎりぎり肩が見えるか見えないか程度の動きで射撃を誘う。


「————ッ!」


 腹に響くような、短くも重い銃声が鳴る。

 そこまではアレンの想定通り。

 想定外だったのは、撃たせた弾丸が肩をかすったことだ。


「アレンっ!」

「かすっただけだ、問題ない! だが……ショルダリングに初見で当てるかよ、ふつう!」


 軽くかすめただけなので、HPはさして減っていない。しかし驚愕するには十分だった。

 なんという反応速度。このアーカディアにおいても『紅蓮』の名は健在らしい。


「二発目はない、逃げるぞ!」

「うんっ!」


 ともあれ一発は撃たせた。コッキングの隙を突いて、アレンたちは脱兎のごとく後方の路地へ逃げ込む。

 そこに、男が立っていた。


「……なっ」


——なんで。

 アレンも、そばのノゾミも言葉を失う。

 間近に見てみればやはりその銃には遊底ボルトの存在が窺えた。

 真っ赤な銃床。

 動きに合わせてかすかに裾を揺らす、銃床と同じ深紅のコート。

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