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第26話 『魔弾:矛盾穿殺』

 逃げ場はない。ならばここから起こりうる駆け引きなど、たかが知れている。

 アレンはさらに接近して懐に潜り込み、拳銃の優位性を活かすだろう。

 ならば、マグナはそれを防ぐため、まだ距離があるうちにアレンを迎え撃たねばならない。


(相手は鈍重なスナイパーライフル。さらにこっちはHP的にもSP的にも、もう一度だけならブラストボムが使える。有利なのは俺の方だ)


 極限の集中。碧色の眼差しが宿敵を穿つ。

 対し、マグナもまたわずかに重心を落とし、金の髪を揺らす『鷹の眼』をにらみつけた。

 近距離の的と遠距離の的、より射撃しづらいのはどちらの方だろうか?

 当然、近い方が的は大きく見える。ならば前者だ。

 だがしかし、その的が左右に激しく移動しているならばどうだろうか?

 移動する的を追従して射撃を行う際、的が射手に近ければ近いほど、射手が動かす銃身の移動量は大きくなる。


(そう、だからこそ、この人なら——)


 駆け出したアレン。手にはその髪色と同じ、黄金のリボルバー銃。

 一歩。

 マグナがアレンに銃口を向けた瞬間、アレンはブラストボムで自ら横方向へと吹き飛ぶだろう。

 二歩。

 近距離で大きく横へ飛ぶアレンのことを鈍重なスナイパーライフルを振り回して即座に追従することは不可能だ。照準を合わせるまでのわずかなタイムラグが、この近距離では致命的な隙を生む。

 三歩。

 だがマグナはまだ動かない。あえて引き付けることで、逆に至近距離でのQSクイックショットを狙っているのか?

 四歩。

 ……動かない。

 とうにアレンの射程圏内。それどころかあと一歩踏み込めば、仮にマグナがアレンに『クリムゾン』の銃口を向けたとしてもその銃身にアレンの手が届くほどの距離になる。

 マグナは不気味にも動きを見せないまま、アレンを懐に招き入れた。

 五歩。


(————来た!)


 巨躯が動く。その太い腕が銃身を持ち上げ、よどみない所作で小銃を構える。

 それはアレンが今まさにキングスレイヤーを向けようというタイミングでの、機先を制するような動作だった。

 しかし、それでも遅すぎた。

 今更アレンへ銃口を向けようとも、アレンの手はその銃身を十分に払い落とすことができる。空いた手で一瞬押さえつけ、キングスレイヤーを撃ち込めばそれで終わり。

 そうして機を逸したマグナは、標的に銃口を向けることさえできず敗北する——

 はずだった。


「おれの勝ちだ。アレン」


 銃口はアレンへと向けられなかった。むしろ肩越しにアレンを越え、その背後へと伸ばされる。

 その先には、廊下での攻防の折にマグナの手によって設置されていた、壁面で渦を巻く赤いポータル。

 銃声がアレンの耳をつんざく。肩越しの銃口が火を吹いて、発砲の音を間近に聞いたアレンの聴覚を一時的に狂わせる。

 それはありうべからざる射撃だった。

 二色領域の支配者バイカラー・ドミネーション。アレンのすぐそばより放たれた弾丸は、後方の壁面にある赤いポータルを経由し、まったく別の位置に慣性を保ったまま現れ出る。

 すなわち、アレンの斜め後ろの壁、天井近くに密やかに設置された青いポータルから。

 アレンの頸椎を貫き穿つ、必殺の軌道を描きながら——


「————」


 凍り付く刹那、アレンの視線は眼前のマグナのみを見据えている。

 鈍重なスナイパーライフルでは接近戦は不利になる。そんな当然の摂理をも、この熟練の狙撃手は覆す。

『近距離での狙撃』という矛盾さえ撃ち殺すその一発は、アレンのそばから遠のくように放たれながら、ポータルによってアレンのくびへと迂回する。

 廊下での激しい攻防のさなか、マグナは赤青のポータルを適切な位置へ配置していた。

 すべては背後という視覚・意識の外より敵を撃ち抜く、たった一度の完璧な射撃、たった一発の絶対的な弾丸のために。

 ある特定の状況下におけるその射手にとっての最善手。理論と論理が交錯する、明確なビジョンを以って撃ち放たれた弾丸は勝利すべき必然性を帯びている——

 それこそは、魔弾であった。


「いいや。俺たちの勝ちだ」


 そして。必然的な一射であるがゆえに、その軌道は限定されうるのだ。

 前を向いたまま、後ろ手に伸ばされたアレンの左手。

 そこに、白銀の盾が現れた。


「盾——!? なんでお前がそんなもの……ッ!」

「貰い物だ。使う機会なんてないと思ってたが、人生わからないもんだよなぁ!」


 幼い体つきのアレンにはやや大きすぎるきらいのある盾は、カキンという甲高い金属音とともに不足なく弾丸を弾いてくれた。

 インベントリの虚空より取り出されたそれは、装備屋でノゾミがアレンへ渡していたものだ。『鷹の眼』は防御の手段を前もって用意していた。

 マグナがポータルを経由した背後からの射撃を行うことさえ読みきったのだ。かつて肩を並べ、無二の信頼を預けて戦ったこの男なら、近距離からの狙撃という夢想じみた射撃さえ現実にすると信じた。

 必殺の一射を完璧に防いでみせたアレンは、盾をインベントリにしまい直すと即座に発砲する。


「ぐぅッ!!」


 咄嗟に腕で頭を防御するマグナ。その上から叩き込まれたキングスレイヤーの弾丸が筋骨を貫き、確実なダメージを思わせるうめき声を漏らさせた。

 だがまだ浅い。再度、アレンは射撃を行おうと引き金にかかる指へ力を込める。

 その瞬間しかし、マグナの手に白いガラス玉のようなものが現れた。インベントリから取り出したなんらかのアイテムだ。マグナは間髪入れず、それを床へと叩きつけた。


「……! スモークか」

「ご名答、煙玉ってアイテムだ! 仕切り直しといかせてもらうぜ!」


 割れ砕けたガラス玉の内側から真っ白な煙があふれ出る。煙はすぐにふたりを呑み込み、廊下の方にまで広がっていく。

 それはアレンたちFPSプレイヤーであればなじみ深い、スモークグレネードに近かった。現実においても軍隊で用いられる、煙幕を作る発煙手榴弾。

 煙の中、姿が見えないのでは射撃どころではない。これでアレンの攻撃の手を止めさせ、改めて距離を取ろうという魂胆だろう。そうなれば、HPもSPも底をつきかけているアレンではジリ貧だ。

 されど、それもまた、アレンの想定の内だった。

 幸運にもそのアイテムの存在を事前に知る機会があった。道具屋でポーションを購入した時、ノゾミと交わしたやり取りだ。

 あとはモンスターから逃げる用の煙玉とかも買っておくと安心なんだけど——ノゾミは確かにそう言っていた。


(狙撃手のあんたなら、姿をくらます煙幕は必ず常備する。モンスターから逃げるためなんかじゃない、狙撃後に位置を変えるために……!)


『鷹の眼』が視た終局まであとわずか。アレンは白煙の中、焦ることなく、事前に肺いっぱいに吸っておいた息を声とともに吐き出した。


「今だ、ノゾミぃぃぃぃ————っ!!」

「……っ!?」


 細い喉を震わせ、精一杯の声量でアレンは叫ぶ。

 白煙の中、敵がわずかに驚く気配。だが真に驚愕すべきは、音もなく訪れる異変だった。

 白い煙よりもなお白い、グリッドのような光の実線——

 壁の方から窓の方へと。煙の中を精査するそれはすぐに、見えないはずのマグナのシルエットを浮き彫りにした。


「この光——まさか『ゴーストエコー』か……!? お前っ、なんで、どうやって隠し場所を……!」

「言ったはずだ。俺たちの勝ちだってな!」


 マグナは仕切り直すという言葉通り、欄干のそばを行き、戦いの初めに通った左側の通路へと戻ろうとしていた。

 そこへ、アレンは一目散に飛び込む。

 小さな体でも、全力でぶつかればバランスを崩させるくらいの衝撃はある。いきなり煙の中から現れたアレンを受け止めることも避けることもマグナはできず、そのまま装飾の乏しい欄干の上へと倒れ込み——


「やああぁぁぁぁぁぁっ!」

「んなッ、無茶苦茶だお前——!」


——二者はもつれあうようにしながら、手すりの向こうへと落下した。

 一瞬の浮遊感。臓腑が縮こまるような感覚。

 そしてすぐ、一階エントランスの硬い床に激突する。


「ぐぁああっ!」


 苦悶はマグナのものだ。彼の体を下敷き、クッションにしたことでアレンの方にダメージはない。肝はそれなりに冷えたものだが。

 しかしどうあれ——


「チェックメイトだ。マグナ」

「うぐっ……」


 倒れるマグナの眼前に、黄金の銃口を突きつける。

 詰みだ。この距離ではどうあがいても避けられまい。そして、落下のダメージも相まって、いくらレベル差があったとてヘッドショットを受ければマグナのHPも尽きよう。


「……まったく勘違いしてたぜ。お前はずっと、ふたりで戦ってたってわけだ」


 諦めたようにマグナは笑った。そうして息を漏らすのと同時に体から力を抜いたのか、深紅の銃クリムゾンの銃先が硬い床にぶつかって軽い音を立てる。

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