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第36話 『サクリファイス・エスケープ』


 陽が沈む間際の、死にかかった陽光が辺りを照らす。にぎやかで雑多な街並みは瓦礫と炎、それと砕けた石畳ばかりの殺風景と化している。

 玉座なき王はそれでもここがユートピアに見えているのか、鷹揚とした足取りでアレンたちへと近づいていく。『クラウン』のバフがある今、世界最速のスプリンターをゆうに超える初速で走り出せるカフカがあえてゆっくりと歩むのは、相手に対する侮りと余裕の誇示にほかならない。


「——来い、『キングスレイヤー』!」


 そこへアレンはインベントリの虚空より愛銃を手繰り寄せると、即座に狙いをつけて発砲した。

 常人であればまず間違いなく反応できない早撃ち。そしてエイミングも完璧、プロゲーマーとしての技巧を十分に反映した一発。


「はッ。当たるかよ、そんなガキのオモチャが」

「く……あいつまで子ども扱いしやがって……!」

「気にするのそこなの?」


 まず間違いなくヘッドショットになるはずの弾丸は、軽く振るわれたカフカの剣によって後方へそらされる。

 やはり『クラウン』の力は驚異的だ。類稀たぐいまれな才と多大な時間を費やして獲得したアレンの射撃能力も、銃弾を目視されてしまえば通用しない。


「正直、第15層でテメェの銃の腕を見た時は驚いた。どんなに小さな弱点でも撃ち抜けるその腕なら、バベルの頂にだっていつかたどり着けるだろうよ。だが、それさえこの『クラウン』の前では無力! 無意味なんだよォ!!」

「まずい、あの構えはユニークスキル……! ノゾミ、盾を出すから俺の背に隠れろ!」

「うん、わかった!」

「耳鳴りの時間だ——『燎原之火ワイルドファイア』ァッ!!」


 マグナの超越的な射撃を防いだ立役者ならぬ盾役者、銀色に輝く貰い物の盾をアレンは今一度取り出す。

 まだカフカまでは距離がある。いかに強力無比なユニークスキルと言えど、盾の裏にいればダメージはいくらか防いでくれるはずだ。


「アレン! アレンの背中じゃちっちゃくて隠れられないよ!」

「確かに……! しまったっ」

「あの、真剣な場面で即興コントみたいなことしないでくれる?」


 壊れるような音を立て、カフカが持つ異形の剣が炎を吐いて振るわれる。

 火炎の怒濤に飲み込まれる直前、アレンはノゾミに盾を渡しながら位置を交代し、ノゾミの後ろで身を屈める。元の持ち主へと帰った盾は見事に炎を防ぎきってくれた。

 なおユウはツッコミを入れながら燃やされていた。例のユニークスキルでダメージを受け流しているため、防御や回避の必要はないのだろう。


「ノゾミ、平気か?」

「うん。ちょっぴりHPは削れたけど、まだ大丈夫。戦える!」

「ちィ、この距離じゃ流石に死なないか。まァいい、だったら間近でぶっ放してやるだけだ!」

「おっと、そうはさせないよ。ふたりを見てたらなんだか気が抜けちゃったけど、仕事はきっちり果たさないとね」

「またテメェか、モブ顔……! ならテメェからゲームオーバーにしてやるよ!」

「あっ、気にしてることを! 顔のことはほっといてくれないかな!?」


 カフカの頭上で輝く黄金の冠が、無際限のSPをその剣へと注ぐ。

 耳をつんざく暴走機関。街を無残な焦土へと変える大火が、再びチェーンソーのような刀身から放たれる——

 その刀身で蠢く細かな刃の様相で、すべてを破壊する恐ろしい駆動音で、なにもかもを燃やし尽くす赤々とした炎の熱で、見る者を恐怖させる圧倒的な力。

 そこへあろうことか、ユウは自分から近づいた。


「死ねェッ! 『燎原之火ワイルドファイア』ァ!!」

「——『糠に供儀サクリファイス・エスケープ』」


 炎がその身を包むより先に、異形の刃がユウの胴を貫く。

 それはどんな拷問よりも痛ましい行為だった。サクリファイス・エスケープ——アイテムへダメージを肩代わりさせることができると知っているアレンでさえ、思わず目を背けてしまいたくなるほど。

 ならばきっと、それを知らないカフカの衝撃は相当なものだった。


「キミみたいなプレイヤーがはっきり言って僕は嫌いでね。ゲームっていうのはルールを守って楽しく遊ぶものだ。マナーのない人間はお呼びじゃない」

「なんだ……ッ、テメェは! 気味が悪い、どうなってやがる!? HPは……いや、それ以前に……痛みを感じねえのか!?」

「キミこそどうなんだ? 卑しいその王冠のため、自らを慕う団員を殺したことに心は痛まないのか? 良心の呵責は?」


 今もまだカフカの剣は駆動を続けている。細かな刃が動くのに合わせ、火も漏れ出ている。

 ここアーカディアでは、すべての外傷はHPへのダメージとして扱われる。よって血が出ることはないし、そのHPへのダメージもユニークスキルの効果により、耐久値を持たない不壊のボーナスウェポンに肩代わりさせる。つまりはまったくのノーダメージ。


「だからって……無茶しすぎだろ、あいつ! ボーナスウェポンを封じる秘策ってそういうことかよ!」


 ユウの横顔が痛みに引きつる。そう、そのユニークスキルはダメージこそ受け流せるが、痛覚への信号まで消してくれるわけではなかった。

 体を貫く剣。その刃が音を立てて蠢き、体内を削り取られる。さらには炎によって体表と体内を同時に焼き尽くされる。

 その発狂しかねないほどの激痛すべてをねじ伏せ、ユウはあろうことか、むしろ武器を離すまいと刀身を素手のままつかんでいた。


「今だ、アレンちゃん! 撃てッ!」


 戦術と呼ぶにはおぞましく、奇策と呼ぶにも惨たらしい。

 ならばそれを実行する者にあるのは、苦痛を正常に捉えられなくなるほどの狂気——あるいはそれに限りなく近しい、何者にも傷つけられぬ鋼鉄のような信念だ。

 味方であるならそれはいい。だがもしも敵に回った時、その在り方は最も手を焼くアレンの天敵と化すだろう。


「ユウ……! お前の犠牲、無駄にはしない!」

「いや死んでないからね?」


 アレンは再度狙いをつけ、キングスレイヤーの引き金を引く。

 ユウとカフカはすぐそばだが、誤射をするような生ぬるいエイムはしていない。自らの武器をつかみ取るユウに気を取られたか、カフカは襲い来る弾丸に反応できず、頭部への被弾を避けられなかった。


「ぐッ——クソがっ、鬱陶しい……!」

「相変わらず的確な射撃だ。味方になると頼もしいね、ホント」


 ヘッドショットを受け、カフカは離れたアレンをにらみつける。

 いかに『クラウン』の防御バフがあろうとも、ボーナスウェポンによるヘッドショットを受け続ければHPも底を突く。

 ゆえに、そうなる前に——


「もういい、テメェはあとだ。先にあの目障りなプロゲーマーをぶち殺してやる」


 ボーナスウェポンを捨て置いてでも、カフカはアレンへの対処を優先する。

 狙い通り武器を奪うことに成功した。しかし、想定外の手札がひとつ、カフカには残っていた。


「備えあれば、とはよく言ったもんだ。来いよ、『ワダツミ』!」

「あれは……!?」


 異形の剣、アデランタードをユウに突き刺したまま、ユウのそばを離れだすカフカの手にまったく別の武器が収まる。

 それはカフカ本来のボーナスウェポンとは趣を異にする、工芸品のように美しいひと振りの日本刀。やや湾曲した刀身の刃渡りはアレンの背丈の半分ほどもあり、このアーカディアには存在しない月の光を思わせる銀の輝きを湛えている。


「ボーナスウェポンっ?」


 ノゾミがつぶやく。確証はないだろう。だが、その存在感は単なる店売りの品とは一線を画している。


「ご名答、抗争の時にぶっ殺したやつから奪ったアイテムさ! もう持ち主の顔も忘れたけどなァ!」


 ワダツミと呼ばれた太刀を無造作に構え、カフカはアレンへと斬りかかる。

 二つ目のボーナスウェポンを備えていることなど予想外。だとしても事前の取り決め通り、アレンへの攻撃はノゾミが前へ出て阻むしかない。


「——っ、くぅっ……!」

「おいおい、盾になろうってかァ!? 無理に決まってんだろバカ女が、栄養ぜんぶ胸に吸われてんのか? オレのレベルは63、一方ビビって騎士団を抜けたテメェのレベルなんざ30もねえだろ! 『クラウン』のバフもある今、力が拮抗するかよ!!」

「だとしても……負けない、もん! あと栄養はちゃんと摂ってるもん!」

「その摂取した栄養の行方について言ってるんだがァ!?」

「きゃあっ!?」


 しかし力の差は歴然、ノゾミは自身のボーナスウェポンである剣でカフカの刀を受け止めようとするが、呆気なく弾き飛ばされる。


「ノゾミ!」

「効かねえんだよプロゲーマー! 自慢のエイムも、臆病者の奮起も! 無為、無駄、無価値! 無意味だって言ってんだろォ!?」


 アレンの援護射撃も、それ自体は完璧な軌道でカフカの頭部を穿つものだったが、『クラウン』を手にしたカフカはまたしても弾丸を見切り、刀身で悠々と防いでみせた。


(まずい……押し切られる!)

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