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第46話 『サンダーソニアの主』

 *


 ゲームオーバーレコードの付近を離れ、街路へ戻る。

 昼前の街は朝に比べればずっとにぎわっていたが、それは往時の活気に比べるとどこか混乱を帯びているようだった。

 人々は忙しなく、なにかに追い立てられるように街を行く。

 レベルを上げねば、あるいは貯蓄を作らねばとバベルで狩りをするのか。それとも有事に備えて新たな装備を見繕うのか、アイテムを買い漁るのか。

 いずれにせよ、昨日までとは違う、焦燥めいた雰囲気が街に満ちていた。


「さっきは急がなくちゃならないと言ったけれど、パンドラはなんて言うか……やる気のない性格でね。気だるげで、会話も最小限。ススキへの命令もできれば出したくないという風だった」

「そうなのか? なら、今すぐに世界をループさせるだとか、『前回』の記憶を持つユウを直接消しに来るとか、そういうことはないってことでいいのか」

「希望的観測と言われれば否定はできないけれど、それがこの目で見て、言葉を交わした僕の印象だよ。積極的に僕たちに危害を加えたり、対策を講じてくるようなことはないはずだ」

「ということは、案外猶予はある……のかな?」

「いや」


 顎に指を当て、考えるようにしながらそうつぶやいたノゾミに対し、ユウは足を止めないながらも明瞭に答える。


「バベルの攻略は急務だ。急がなければならない理由は別にある」

「え? どういうことですか?」

「……そうか。騎士団がなくなったことによる不安。こんな時だからこそ、バベルの攻略を進めなきゃならないんだ」


 街の様子を横目に、アレンはユウの考えを理解した。

 バベルの攻略、街の治安維持を担っていた騎士団が消え去った。今、人心をまとめ上げられるものは『現実への回帰』という目標にほかならない。

 ゆえに、騎士団なき今こそ、バベルを攻略する必要がある。街の不安が膨らみ、やがて混乱パニックとなる前に。


「あ……。騎士団がないってことは、〈エカルラート〉みたいな無法ギルドが勢いづくってことだよね」

「ノゾミちゃんも気付いたみたいだね。一大ギルドである〈解放騎士団〉がなく、人々の心も乱れた今、群雄割拠の時代が訪れかねない。それは血で血を洗う、混沌期の再来だ」


 半年前のアーカディアはまさに、ギルド間の抗争によって泥沼の戦いが続いていた。〈解放騎士団〉、〈ニューワールド〉、〈無彩行雲むさいこううん〉の三つ巴の抗争は多くの犠牲者を出し、ゲームオーバーレコードにその名を刻んだ。

 そしてノゾミの友人であったというリーザも、その列に並んだ。

 混沌期の再来と聞いて、ノゾミが怯えたように肩を縮めたのも仕方のないことだろう。


(カフカのやつは、多くの転移者プレイヤーはこの世界に留まることを望んでいると言っていた。だがそんなはずはない。騎士団に入らずとも、現実への回帰を望む人は大勢いる)


 攻略組として最前線に立つことは当然ゲームオーバーのリスクを伴う。ゆえに、騎士団にその望みを託していた人々も多い。

 騎士団が解散し、その望みが結実しないとなれば、混乱が生じるのは目に見えている。


「ユウ、お前に同意する。急いでバベルを攻略しよう。パンドラのこともあるが、それ以上に今は、騎士団がなくとも第100層までの歩みを進められるってことを転移者プレイヤーたちに知らしめる必要がある」

「わかってもらえてなにより。ま、さっきの勝負は引き分けだったんだ——どっちも勝ちにするって話なら、情報を話した僕に対してキミたちも協力する義務があるわけだけどね?」

「……お前は憎まれ口を叩かないと死ぬ病にでも罹患してるのか?」

「まあまあ、落ち着いてアレン……! その今にもキングスレイヤーを取り出しそうな右手を鎮めてっ」


 インベントリから現そうとする、架空の銃把グリップをにぎるアレン。あわや街中での銃撃戦だったが、ノゾミの制止によりなんとか踏みとどまることに成功した。


「でもユウさん、〈サンダーソニア〉に協力を取り付けるって言ったって、そう簡単にいきますか? わたしもあんまり詳しくはないですけど、主に騎士団のフォローをする形で治安維持をしてくれたり、転移者孤児をギルドハウスで引き取ってあげているギルドですよね?」

「それにそのギルドハウスも、昨日カフカのやつが全焼させたろ。大丈夫なのか? いきなりバベルをいっしょに攻略してくれ、なんて頼みが通じるとは思えないぞ」


 人員自体は、昨日ユウがアレンたちと合流する前に逃がしたと言っていた。犠牲者は出ていないはずだ。

 だがギルドハウスがなくなり、〈サンダーソニア〉とて平静な状態ではあるまい。ノゾミとアレンの懸念はもっともだ。

 しかしユウは振り返り、自信ありげに唇を歪めてみせる。


「ここは僕にどーんと任せてよ。なにを隠そう〈サンダーソニア〉のギルドマスター、シンダー君とは『前回』からの顔見知りでね。性格は把握できている……加えて昨日ギルドハウスから避難誘導をした恩もある。説得はイージー、赤子の手をしゃぶるようなものさ」

「しゃぶるなよ気持ち悪いな。まあ、だったら任せるけどさ」

「うん、ここまで言うんだもん。きっとなんとかしてくれるよ、アレン」


 胸中に秘策あり、とユウは胸を叩く。アレンとノゾミはその策に乗っかることにした。

 そうして、ギルドハウスが立ち並ぶエリアへとやってくる。

 全焼した〈サンダーソニア〉の洋館は、既に真新しく立て直されていた。

 これでは一夜城だ。驚いたアレンだったが、どうやらギルドハウスは専用のNPCにPPかねさえ払えば一瞬にして建ててくれるものらしい。

 とはいえ財政的に手痛い出費なのは間違いない、とはユウの談。

 門を抜け、扉をノックする。そうすると団員と思しき女性が現れ、中へと通された。

 そうして新築の廊下を抜け、応接間にたどり着く。待っていたのは、冷ややかな目元をしたショートカットの女性だった。

 ギルドマスター・シンダー。二十歳くらいの若い女性だったが、〈解放騎士団〉に次ぐ規模のギルドを率いているだけはあり、重厚な木のテーブルを挟んで座る姿には優雅さと貫禄がある。

 だが、ユウはそこで気圧されるような素直な性格の持ち主ではない。ひねくれ者は軽薄な笑みを浮かべ、挨拶もそこそこに、「街に平穏を取り戻すため、バベル攻略に協力してほしい」という旨を伝える。

 するとシンダーは、容易に感情を窺わせない橙色の瞳でユウやアレンたちを一瞥し、口元を緩ませるようにして答えた。


「——はい、お断りします」

「あれ?」

「全然だめじゃねーかお前っ……!!」


 全然だめだった。


「おかしいな。僕の計算では二つ返事でオーケーだったんだけど……」

「あ、あんなに自信ありげだったのに。どうするんですかユウさんっ」

「こんなのデータにない……」

「いつからデータキャラになったんだよお前は」


 どうやらユウは本当にいけると思っていたらしく、笑みが崩れかかった表情でわなないている。そんな姿を見てどこか面白がるかのごとく、シンダーは艶っぽく唇をほころばせた。


「意外そうな反応をされたことこそ、わたくしにしてみれば意外です。貴方あなたのような怪しい人物の言うことをおいそれと聞くわけにはいきませんよ」


 鈴を転がすような声。色の薄い、灰色に近い髪をショートに切りそろえた彼女は、育ちの良さを思わせる仕草でそっと口元を隠しながら小さく笑う。

〈サンダーソニア〉のギルドマスター。アレンとそこまで歳は変わらないはずだが、にじみ出る余裕や態度に窺える隙のなさはそのまま優秀さを感じさせた。


(でも……)


 ふかふかのソファに座ったまま、アレンはちらとシンダーの頭上を見る。そこには彼女の転移者プレイヤーIDがふよふよと浮かぶ。

 すなわち——『C1ZdeRシンダー』、と。


(……この人、絶対ゲーマーだ…………)


『鷹の眼』でなくともそのIDだけで確信を抱くことができただろう。

 こんなIDの付け方をする人間はゲーマーだけだ。絶対にだ。

 アルファベットのiを数字の1に置き換えるといった、こうした表記法全般をちまたではリート表記と呼ぶ。他者とのID重複を避けるため、もしくは個性を出すためにゲームの世界でも頻繁に用いられる。

 Zについては90°傾けてNとして読むということだろう。FPSゲームの世界にドップリ浸かってきたアレンでも読み方に気付くまで数秒かかった。


「怪しい……? 僕が怪しいだって? 本当に? こんなに真摯に協力を申し出ているのに……?」

「いや、貴方は怪しいでしょう。議論の余地なく」

「間違いないな。ユウは怪しいし胡散臭い」

「漫画なら後半で裏切るタイプだよね」

「あれ? 敵しかいない?」


 満場一致。意見がそろったところで、応接間まで案内してくれた女性が今度はトレイを運んで来てくれた。彼女はそのまま面々の前にコーヒーの入ったカップを配り、一礼して去っていく。街でウェイトレスの役割をするNPCたちとは明確に異なる、人間の所作だ。


「客人ですから、最低限のもてなしはいたしましょう。ですがこれを飲み終えたらお帰りくださいますよう」


 言いながら、シンダーも黒い液体の注がれたカップを口へ運ぶ。香りを楽しむような、飲み方ひとつとっても品性を思わせる姿にアレンは状況を忘れて感心した。

——しかし、このまま引き下がるわけにもいかない。

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