「アレンちゃん……僕らのことはいい、逃げろ! せめてキミだけでも!」
「そんなことできるわけないだろ! 今ならみんなが与えてくれたダメージもあるはずだ。待ってろ、俺がそいつをぶっ倒して……!」
「だからだめなんだ! こいつはキミじゃ敵わない!」
「なにっ? 俺は〈デタミネーション〉のアレンだ! 勝てないなんてあるもんか!」
プロゲーマーとしてのプライドが反射的に言い返す。マグナもカフカもいない今、アーカディアにアレンを上回る
そう、いないのだ。
「ほかの誰でもない、キミだけは——」
「小うるさい」
「——ぐッ!?」
パン、と発砲音。ユウが苦悶の声を漏らし、アレンの視界の端で共有されたユウのHPが減少する。
「銃……!?」
発砲音の出所は、黒フードが手に持つ拳銃だ。黒い、簡素にも思えるシンプルな見た目の銃。店売りのオートマチックピストルだった。
店売りの銃一挺で——ボーナスウェポンを使わない状態で戦ったとでもいうのか?
ありえない。荒唐無稽な、しかしあまりに恐ろしい想像に、考えたアレン自らが不覚にも硬直した時。
「——『
黒フードの唇が、またしてもその音を紡ぐ。
「っ、また……!」
地響きが鳴る。壁と床が動き出す。
今度はアレンと、そして眼前の黒フードの立つ床だけが後方へスライドし、アレンがやって来た道の先へと引っ張られる。
(こいつ……バベルを操作しているのか?)
仮にそうだとすれば、こんなものはユニークスキルの域を超えている。
バベルを構成するシステムそのものへの介入。箱庭を管理する者だけが持つ、まるで一種の特権——
移動はすぐに終わった。床が停止し、やってきた方角の壁は先と同じように閉じてしまう。そうなってしまえば、開いたことが嘘かのようにビクともしない。
黒フードは隣の壁へと振り向く。そこには一枚の、スライド式のドア。
「な、おいっ。待て……!」
黒フードは迷わずドアを開き、中へと消える。
アレンは逡巡する。けれど退路は既に閉じてしまっていたし、考えようによっては、ユウやノゾミたちから離れたことは彼らのゲームオーバーを避けるという意味では悪くない。
迷った末、アレンは黒フードの後を追い、開かれたままのドアに入る。
「……あ」
そしてそこがどこかを理解した時、場違いな既視感の正体にも気が付いた。
アイボリーの建材。正方形の床に並ぶ、木目調にデザインされたプラスチックの机と椅子。カーテンが開いた窓の向こう、かすかな雲が緩やかに流れる快晴の青空。
部屋の前面、アレンの右側には巨大な電子黒板。部屋の後面、アレンの左側には二列に積まれたスチールロッカー。
そこは学校だった。
今の時代にありふれた……アレンの通っていた、中学の教室。
廊下の造りはもちろん違ったが、気付いてみれば通路の広さや意匠は共通していた。
「中学校、か?」
「今さら気付いたのか。まったく間抜けなアタマだな」
アレンのつぶやきに悪態をつく高い声。
黒フードは逃げるつもりはないのか、教卓の前に立っている。フードで窺えぬ表情、『鷹の眼』を以ってしても読み取れぬ意思。
「なんでお前、俺の中学を知ってる? いや、どうしてこんなところがバベルの中にある!」
「さあな。たまたまかもしれないぞ? ……ああ、この銃はもういいか」
黒フードがその手から黒いピストルを消失させる。インベントリへとしまったのだ。そうして空いた手で、目深にかぶっていたフードへと手を伸ばす。
アレンの肌がぞわりと粟立つ。知らず呼吸が乱される。
まずい。まずい。なにかがまずい。
「お前、は……」
その顔を視てはならない。その声を聴いてはならない。
なぜならそれらは、ほかならぬアレンと——
「よお、偽物。楽しかったか? 夢見るプロゲーマーごっこは」
——アレンと、同じ。
フードがゆっくりと外され、その素顔が露わになる。
窓から差す、快晴の空を飾る太陽の光を浴びる癖のない金の長髪。まるで名のある人形職人の手によって造られたかのような、精緻さを感じずにはいられないほど端整でありながら可憐そのものの幼い顔立ち。光を呑むガラス玉に似た、陰りを帯びた丸い碧色の瞳。左耳にはインカムに似た黒い機械。
頭上に『
「……もうひとりの、俺? 何者なんだ、お前は!?」
「あいにくだが見ての通り、名を持たない身の上でな。だからそうだな、あえて名乗るなら
……生気を欠いた
「ネームレス? また気取った名前を。それにさっき偽物と言ったな。どういうことだ? むしろお前の方が俺の偽物なんじゃないのか」
アレンとネームレス。同じ姿の人間がふたりいるなど不可思議な話ではあるが、アレンはユウから『前回』のことを聞いている。
このアーカディアはループしている。そして、ユウの知るアレンとはプレイヤーキラーであったと。
ユウと同じように、『前回』のアレンもこのユウが言うところの『二周目』にやって来たのだろうか?
しかしユウにそれができたのは、『クラウン』のバフとユニークスキルありきだ。それによってなんとか、デウス・エクス・マキナの『世界を破壊する機能』をやり過ごした。
即爆のグレネードを出すだけのユニークスキルしかない『前回』のアレンに、アレン自身同じことができるとは思えない。さらにユウにはきちんと
「やれやれ質問ばかりだな。しかも俺が偽物、ね。く……くくっ。ははは」
アレンの疑問には答えず、冗談でも聞いたかのようにネームレスは
「同じ人間がふたり。なにを以って本物と偽物を決められる? 少なくとも俺たちは同じ肉体、同じ経験、同じ才能を有している。俺だって〈デタミネーション〉のアレンだった」
「……自分が本物だって言いたいのか?」
「いや。そもそも俺たちの意識の根本は、おそらく現実の
スワンプマン——沼に落ちた雷によって偶然生まれた、ある人間とまったく同一の形質を持つ人物。有名な思考実験だ。
やはり同一人物、ネームレスの話はアレンも薄々勘付いていたことではあった。
まさかアニメや小説のように、別の世界に肉体ごとそっくりそのまま移動した、なんてことはあるまい。ダイブ式VRデバイスであるSEABEDには、装着した人間の頭部情報から顔かたち、骨格といったことまで読み取る機能が存在した。ならば——
これとて信じがたいことではあるが、装着者の脳まで読み取り、意識をデータとして複製する機能が秘密裏に存在したのではないか。そうしてSEABED使用者たちのデータ化した意識を、このアーカディアというひとつの仮想空間に集結させた。
この継ぎ接ぎの箱庭に無理やりにでも説明をつけるのであれば、そんなところだろう。
「といっても、逆に現実側へ意識データを送信できるなら記憶の連続性は保たれる。まあこの話はいいだろう。俺がどうあれ、お前が間違っているのは確かなんだから」
「俺が間違ってる? ふざけるな、バベルの攻略を邪魔しておいて! みんなをあんな目に遭わせて——間違ってるのはどう見てもお前の方だろ!」
「バベルの攻略に参加していたことこそが、お前の間違いの証明だよ。お前はこの塔の果てにたどり着いてなにをするつもりなんだ?」
「決まってる。俺はこのアーカディアをクリアして、現実世界に戻る。そしてプロゲーマーとして復帰したら、今度こそ〈ゼロクオリア〉へのリベンジを果たす!」
それが今のアレンの目標であり、夢だ。