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第54話 『全滅』

 シルヴァが一歩踏み出し、小部屋を出る。だが危険はない。

 なぜならそこにボスモンスターの姿はなく、さらにはボス戦を行う広間も存在しなかった。あるのはただ、直線に伸びる廊下だけ。


「第70層はボス部屋って話だよな? 廊下の先にボスがいるのか?」

「でもアレン、この廊下、枝分かれしてるよ? まるでボス部屋じゃなくてふつうの階層みたい」

「異常と呼んで差し支えありませんわね。後方のゲートから戻ることはできますが……しかし、せめてボスの有無くらいは調査しておきたいところです」


 事前に立てた作戦、方針は、一歩目から完全に崩れたと言っていい。

 医療施設のような白い床。壁も清廉な白色で、病院に似た印象だがそれとも少し違う。困惑の中にアレンはどこか既視感を覚えた気がした。

 病院ではない。ではこの廊下は?


(どこかで……どこかでこの廊下を見た気がする)


 しかし、アーカディアでこういった施設めいたところを訪れた記憶はない。正体不明の既視感。

 それに答えを出すより先に、先頭を歩いていたシルヴァが叫んだ。


「待て! 廊下の角になにかいる。総員警戒、武器を取れ!」

「——!」


 各々がインベントリから己のボーナスウェポンを取り出す。アレンもまた、キングスレイヤーのリボルバー銃をその手に呼び出す。

 直線に伸びる廊下は、よくよく見れば左右にいくつもの分岐が見られた。そのひとつから、足音を立てて人影が現れる。


「あれはっ?」

転移者プレイヤー——?」


 それは男性とも女性ともつかぬ、アーカディアにはいささか似合わない撥水素材でできた黒いパーカーで体の線を隠した人物だった。フードを目深にかぶり、顔のつくりもわからない。だが背丈だけで言えば小さく、アレンと変わらない程度だ。

 アレンたちよりも先に攻略に臨んでいたパーティがあったのだろうか。

——そうではない。

 眼前の転移者プレイヤーはふつうではない。そのことは一目で明らかだ。なぜなら——


「——どういうことだ。あいつ、この距離でIDが表示されないぞ!?」


 転移者プレイヤーIDが表示される距離感にいるにもかかわらず、その頭上にはなにも浮かばない。

 例外。アーカディアにおける絶対のルールを逸脱した個人。

 アレンの脳裏にユウから聞いた名が浮かぶ。箱庭の世界の管理人。すなわち、パンドラ。


「ユウ! あれが、お前の言う……」

「いいや、顔は見えないけれど違う。パンドラにはきちんとIDがあった」

「……そうか、そういえばそう言ってたな。だったらあいつは?」

「わからない、でもふつうじゃない。パンドラに関係するなにか……いや、だけどパンドラは積極的に攻略へ介入して邪魔をしてくるようなタイプには見えなかった。しかし、ほかに可能性は……」


 ユウにも答えはわからないらしい。珍しく混乱の顔に出た、焦った表情で眼前の黒フードを見つめている。

 IDのない転移者プレイヤー。そんなものが存在するのか?

 それはむしろ、転移者プレイヤーというよりは、モンスターの類のような——


「……露払いが要るな。『再構築リビルド』」

「っ!?」


 黒フードがぽつりとつぶやく。どこか聞き覚えのあるような声に、アレンはその人物に視線を戻す。

 その瞬間、地響きとともに廊下の床がパズルじみてスライドし始める。


「わわわっ! 床が、壁が……あれっなんだかデジャヴだよぉ!?」

「これは——第15層の、トラップが作動した時みたいな……まずい、ノゾミ! みんなっ!」

「アレンちゃん! なんだこれは、まるでアレンちゃんだけを引き離すみたいに……!」


 壁の片側が音を立てて左右に開き、さらにアレンの立つ床だけがそちらに向かって滑るように動いていく。

 壁や床が移動するギミック。ノゾミが声に出したのと同じく、アレンも転移初日のバベルでの狩りを思い出した。本性を現す前のカフカと、のちに『クラウン』顕現のための直接的な犠牲となるリカたちとともにバベルの第15層に赴いた時のことだ。

 アレンが幼女の背丈から偶然にも押してしまったトラップにより、壁と床が動き出し、モンスターハウスへと閉じ込められた。

 今の光景はそれに似ている。だが、今回はアレンも、誰も作動スイッチなど押していない。


「アレンっ、手! つかんでっ!」

「——っ!」


 一行から引き離されるアレン。とっさに伸ばされたノゾミの手をつかもうとするアレン。

 しかしあと少しのところで届くことが叶わず、アレンは開かれた壁の内側へと吸い込まれた。


「ノゾミ……!」

「アレン——」


 そして壁が閉まる。数秒の間にアレンはパーティ全員から引き離され、別の空間へと隔離された。

 一体なにが起きたのか? 焦りのまま、閉じた壁を力いっぱいに叩いてみる。だが壁はびくともせず、再度開くような気配もない。ただ小さな手がずきずきと痛んだだけだ。あとHPも若干減った。


(元きた道は閉じた……なら、別の道を探すしかないか)


 まだ状況は整理しきれていないが、はぐれてしまった以上、なんとかして再度の合流を目指すべきだ。

 アレンは冷静であるよう努め、辺りを見渡す。幸いそこは出口のない密室というわけではなく、後方には白い廊下がずっと続いていた。

 先ほど見た廊下も枝分かれしていた。ならばここともつながっている可能性は十分ある。


「……!? なんだ、どうなってる!?」


 そこで、アレンは声を荒げて驚愕する。

 眼前の景色に驚いたのではない。視界の端——パーティ機能によって表示された、仲間たちのHP。それが減少したために驚いたのだ。

 減ったのはノゾミのHPだ。三割ほどが減った。

 戦闘? 誰と? さっきの黒フードだろうか?

 驚愕もつかの間、今度はシンダーのHPが減る。次はシルヴァ。またノゾミ。〈サンダーソニア〉の面々。そしてユウも——


「——なんなんだよ、さっきから! くそっ、急いで合流しないと……!」


 HPの減少が早すぎる。

 あれだけの人数がいるというのに、パーティメンバーのHPは目に見える速度で減り続けている。時折ポーションか回復役ヒーラーのユニークスキルで回復しているようだが、それも焼け石に水だ。

 全滅。

 そんな最悪の事態を示す二文字が頭をよぎる。アレンはキングスレイヤーをインベントリにしまい、すぐに廊下の先へと駆け出す。

 道は蜘蛛の巣のように分岐している。向かう先を間違えれば、合流は難しくなるだろう。


(確か、こっちの方向……!)


 だがアレンには『鷹の眼』がある。床がスライドした方向と距離から、先ほどの場所につながると思しき道を選択することなどたやすい。

 とはいえその間にも、パーティメンバーのHPは減り続けている。ノゾミのHPはもう、二割を切った。

 腹の底から湧く焦燥。突き動かされるようにアレンは小さな手足を動かし、白い廊下を駆ける。視界を流れる光景に、なぜか再び既視感を覚えながら。

 そして、ついにアレンは元の場所へと戻ってきた。息を荒げてやってきたのは、先ほど黒フードが現れた角の向かい側だった。


「みんな! だいじょう……ぶ…………」


 一時は引き離されていたとはいえ、最速の経路で戻ってくることができた。離れていた時間など、せいぜい五分と少し。

 なのに。


「…………嘘、だろ?」


 眼前に広がるのは惨憺たる景色。

 倒れている。痛めつけられたかのように地に倒れ伏す。ノゾミも、ユウも、シンダーも、シルヴァも、誰も彼も。

 壁と床には短時間ながらも熾烈な戦闘があったことを示す、無数のひび割れや抉ったような破壊の跡。まるで嵐に見舞われたようだ。

 そして台風の目のように、凄惨な空間の中心にただひとりだけが、呼吸ひとつ乱さぬ様子で立っている。

 黒いフードの人物が。


「お前がやったのか、みんなを! お前っ——」

「だめだ、アレンちゃん!」


 平静さを失い、詰め寄りかけたアレン。だが、倒れていたユウが地面に手をついて立ち上がりながらそれを制する。

 ユウの手には異形の剣、アデランタードではなく一枚のカードがあった。アドバンテージだ。

 それを見た瞬間、アレンは状況を察する。攻撃力に長けた剣ではなく、カードを手にしていた理由は明白。攻撃を捨て、『糠に供犠サクリファイス・エスケープ』による防御に専念していた。慣れない剣よりもスキルのタイミングを確実に合わせるため、慣れと機動力を優先した。


(……そうするしかないほどの敵。ユウが肉壁になってくれたから、辛うじてみんなゲームオーバーだけは免れているんだ)


 だが、そんなことがありえるのか。

 一対九の状況。しかも、相手には『ハイドロ・ハリケーン』を使うシンダーと、彼女が腕利きと称するシルヴァがいる。

 そんな圧倒的に不利な状況を覆し、ここまで追い詰めるなど、さしものアレンであっても——

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