目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第63話 『1/65536の希望』

「今は、アレンの言う通りにしませんか? アレンもきっと皆さんの言いたいことはわかってると思います。でも急がなきゃいけない。そうだよね、アレン?」

「ノゾミ……ああ。あいつの犠牲を無駄にしないためにも、ここは俺を信じてほしい。頼む、みんな」


 一呼吸分の沈黙。サンダーソニアの主が思考の切り替えを行うには、それだけの猶予があれば事足りたようだ。


「わかりました。貴方を信じると決めたのはわたくしですから——総員、撤退! ゲートへ戻ります!」

「聞こえたかお前ら、撤退だ! 急げっ、隊列は崩すなよ!」


 シンダーが指示を出し、シルヴァが統率を取る。浮き足立っていた団員たちもそれで落ち着きを取り戻し、ドアの方へと向かう。


「アレン、わたしたちも!」

「わかってる! ユウ、お前も遅れるなよ!」

「大丈夫、はぐれたりはしないさ」


 ユウは少しでも情報を得ようとしているのか、パンドラから目線を外さずに言う。

 教室からの離脱を図るアレンたち。しかしパンドラは逃がすまいと、小さな体躯から底知れぬ重圧を発し、一歩踏み出す。

 そこへ、ネームレスが立ちふさがった。


「パンドラ。元はと言えばお前が俺を墓の下から……いいや、海の底から引き揚げたんだ。付き合ってもらうぞ、俺が泥に還るまで!」

「理解できないね、せっかく拾った命をどうして自分から捨てようとするのかなー。どれだけ強いプレイヤーでもしょせんは盤上の駒、ゲームマスターには敵わない。キミがいくら気張ったところでせいぜい一分程度の時間稼ぎにしかならないよ?」

「その一分があればあいつらを逃がすには足りる。——かかってこい、『鷹の眼』の真髄を見せてやる」


 細い指が黒いインカムの表面をなぞるように触れる。思考能力を強化する『拡張脳』の権能、そのスイッチが押下おうかされる。

 第46666回目のアーカディアをゲームクリアに導いた強力無比の転移者プレイヤー、その複写。挑むは輪廻する箱庭における最新の管理者、パンドラ。

 プレイヤーかゲームマスターか。才能か権能か。戦いの行方を見守る者はおらず、嵐の予兆から逃れるようにアレンたちは出口に向けて殺到する。


「来い、『キングスレイヤー』ッ!!」

「実行、『関数殺し』……!」


 アレンたちが廊下へ出ると、遠隔で発動された『再構築リビルド』の権能により、ゲートへ向けて床がスライドする。


「いいか——権能の力が及ぶのはバベルの中だけだ! 塔の外で希望を探せ、パンドラの権能に打ち勝つ可能性を持ったなにかを! 廃棄物ガベージに沈みゆく世界でも、残されたものはまだあるはずだ!!」


 遠のくドアの先からアレンたちに向けて声が届く。道行きを示すそのメッセージは、最期を覚悟したネームレスの望みでもある。

 管理者たるパンドラに、輪廻する箱庭に。そして黒い海の泡沫と消えた、65535回の世界に報いを。

 ネームレスの声が廊下に反響すると、すぐに銃声が轟き——

 それに重なるようにして、ジャリリリリリリリ——と鎖の放たれるような音が鳴り響く。


「塔の外の……希望」


 ぶつかり合う二者、鎬を削る銃と鎖を置き去りに、床ごと運ばれたアレンたちはゲート前の広間で停止する。胸中を占めるのは混乱と困惑。

 名を欠いた彼の言葉を受けたアレンも、見つけるべきものがなんなのか、バベルを出てどこへ行けばいいのかまるで見当がつかなかった。


(希望なんて、本当にあるのか? この世界も数万を超えるループの流れ、そのうちのたった一回でしかない。ネームレスと俺たちで全員で戦っても勝機のないような相手に、どうやって付け入る隙を見出せばいい……!?)


 諦めることなど決してない。けれど、口にこそ出さずとも不安はアレンの中で渦を巻く。それほどまでにアーカディアに秘められた真実は重く、パンドラとの壁は高い。

 希望。それはなんとも頼りのない言葉のように思えた。あるかどうかもわからぬような、か細い糸だ。

 そして今、その糸はアレンたちに姿を見せないばかりか、探そうとすることさえ許してはくれなかった。


「……あれはっ? ゲートのそばになにかがいます! 数は……おそらく二十ほど!」

「おいおいどういうこった、来る時はあんなのいなかったろうが。だいたいゲートの真ん前だぞ。ふつう安全地帯でしょうがこういうのは!」

「泣き言を吐いても仕方がありません、突破しますわよ!」


 廊下を駆ける一行の前方、ゲートを守るようにして佇む二十頭近い数の獣。それは前傾姿勢ながらも二本の脚にて直立する、獣人のようなモンスターだった。

 しかし獣人と呼ぶにはその姿は獣に寄りすぎている。三メートル近い体躯を覆う黒い体毛、太い五指から伸びるナイフのごとく鋭い爪、荒い呼吸のたびに巨大な口から覗く牙。狼のような頭部の眼窩を埋めるのは殺戮の本能のみを宿した真っ赤な眼。


「ボス部屋にボス以外のモンスターは湧かないはず……ってことは」

「想像通り、パンドラの権能とやらだろうね。やっぱり『前回』とはまるで別人、あの黒い服のアレンちゃんと戦いながら僕たちの妨害をこなすなんて大した勤勉さだ。うーん勘弁してほしいねホントに」

「言ってる場合じゃないですよ! わたしたちもシンダーさんやシルヴァさんに続いて戦おうっ」

「弱気になる暇も与えてくれないんだな、この世界は……! 来い、『キングスレイヤー』!」


 転移者プレイヤーの存在に気づき、獣たちが吠え立てる。よほどに好戦的なタイプのモンスターらしく、真横をすり抜けてゲートに入るという選択肢は取れそうになかった。

 パンドラ曰く、ネームレスが自身を抑えていられるのは一分程度。そしてネームレスもそれを否定はしなかった。ここでもたもたしていれば挟撃に遭うのは避けられまい。


「『ハイドロ・ハリケーン』——! ……なっ、効いていない!?」

「『アンブラルエッジ』っ!」


 眼前の獣に向け、自慢のユニークスキルを浴びせるシンダー。だが本能を剥き出しにしたモンスターはひるむことなく、その柔肌に爪を突き立てんと迫る。

 それを弾いたのはシルヴァだ。手ににぎるは一本の刀。反りの少ない実直な日本刀。

 シンプルな造形ではあるがそれは機能美を生む必然の賜物であり、これを見て単なる店売りのアイテムであると勘違いする者は節穴同然の目をしているとの誹りを免れまい。

 そして今、その刀身は薄く膜を張るように、黒い影が覆っていた。


「助かりました、シルヴァ。ありがとうございます」

「礼は要りませんよ、団長。……しかし、団長の『ハイドロ・ハリケーン』におれの『アンブラルエッジ』を受けてまだピンピンしてやがるときた。これ、どう見ても五十階層以上に相当するモンスターっすよねえ」

「ええ。それにこの数です、ジリ貧になる前に火力を集中させ、着実に敵を減らしていきましょう。苦しいですがここが正念場、〈サンダーソニア〉の意地を見せつけますわよ」

「っと、俺のことも忘れないでくれよ」

「アレンさま!」


 応戦を開始したアレンの弾丸が、未だシンダーたちに戦意を向けていた獣の眉間に突き刺さる。攻撃の機先を制され、そのモンスターは膝を屈した。


「ええと……あとはそこと、あそこと、そっちもか」


 銃声が三度、立て続けに響く。吐き出された弾丸はそれぞれ〈サンダーソニア〉の団員たちを襲おうとするモンスターの側頭部、脇腹、膝へと着弾し、見事に体勢を崩した。


「おいおいおい、この混戦の中を正確に見極めてるってのか? どんな才能だよ……」

「対多数は得意分野でね。俺は全体をフォローするから、ふたりは目の前の敵に集中しててくれ」

「承知しましたわ。背中はお任せします、アレンさま」

「……年下の子どもが体張ってんだ、おじさんが頑張らないわけにもいかないか。いいさ、おれも前線に立つと決めたんだ。やってやるよ、今度こそ!」

「おいシルヴァっ、こんな時だが子ども扱いはやめてくれないか!? 俺は十七の男だ!」

「いや、幼女の見た目とか関係なくおじさんからしたら子どもでしょうが! あと本当にこんな時に言うようなことでもないだろっ!」


〈サンダーソニア〉の団員たちは盾を構え、多数のモンスターを相手に防戦に徹する。ノゾミもそこに混じる形だ。

 防戦だけでジリ貧だが、シンダーとシルヴァが火力を出す。さらにアレンは『鷹の眼』の才で戦況を俯瞰し、押し切られそうな箇所があればフォローする。

 また、ダメージ無効のユニークスキルを持つユウは単身で常に複数の獣を引き付けてくれていた。これにより盾役やシンダーたちの負荷が和らぎ、一匹、また一匹と獣のモンスターが倒されて粒子へと還っていく。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?