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第62話 『もう一人の自分に』

「つまるところここは、65536回目のループだということか。なら、廃棄物ガベージの海の広さからして……俺のいたループは……」


 ネームレスも具体的なループ回数までは知らなかったようだ。幼い顔つきに険しい表情を浮かべながら、重々しくつぶやく。

 そのつぶやきは、耳聡くパンドラが捉えた。


「46666回目だよー。ネームレス、キミはデータログの中から見つけ出した、今回までのループの中で最強の『アレン』。ゆえに、キミをゲートキーパーとしてこの第70層に配置すれば、どんな転移者プレイヤーが攻略を試みても返り討ちにできる。そう思ったんだけどね、仕事のひとつもこなせないポンコツだったなんて、あぁ残念っ」

「二万回近くも隔絶があったのか……俺がマグナさんを撃って、攻略組のみんなを失ってから……!」


 過ぎた時間、堆積する廃棄物ガベージはいかほどだろうか。ネームレスのそれとおそらくは似通った、絶望めいた気持ちがアレンの中に湧き出てくる。

 今ここに立つアレンは65536人目であり、廃棄物ガベージの海にはネームレスの原型も含む、65535人分のアレンのデータが溶けて沈んでいる。

 そしてそれはアレンだけではない。この箱庭で生きるすべての転移者プレイヤーが、65535回分のループで得たはずの記憶、経験、感情、なにもかもを喪失している。

 すべてを忘却し、このアーカディアで過ごしているのだ。


「わかったかなー? 言ってしまえば65535回、キミたちは失敗しているんだよ。モンスターにやられた、他の転移者プレイヤーに殺された……そして、ボクのデウス・エクス・マキナによって消し飛ばされた。原因はどうあれ、例外なく、すべての転移者プレイヤーが仮想的な死を迎えている。六万と五千のゲームオーバーを、ね」


 そこまで言って、なにかを思い出したかのように「ああ」、とパンドラは頬に人指し指をくっつける。


「例外がいたんだった、そういえば。デウス・エクス・マキナの『世界を終わらせる機能』に耐え、この65536回目のループに『前回』の記憶を持ち込んだイレギュラー……ちょうど、やってきたみたいだね」

「なに?」


 石造りの空間に浮かぶドアの向こう、廊下の先からいくつもの足音が響く。『鷹の眼』による人より優れた情報処理能力を持つアレンだったが、不覚にも心理的動揺のせいで気付くのが遅れたのだ。


「アレンっ、無事!? ってなにこの部屋、神殿の中みたいな——」

「ノゾミ……!」


 足音が近づき、ノゾミやユウ、〈サンダーソニア〉の面々が姿を現す。

 ネームレスの『再構築リビルド』によってアレンと離れさせられたノゾミたちだったが、入り組んだ廊下を捜索し、なんとかここを探し当てたらしい。


「——うわぁッ、アレンがふたりいる!? ええっ、ど、どういうことー!?」

「そこに驚くのは後にしてくれないか……」


 中に入るなり、ノゾミはアレンとネームレスを交互に見ては狼狽する。

 しかし同じ顔の人間がふたりいれば、ノゾミでなくとも困惑するものだ。後方から顔を見せたシンダーたちも驚きを浮かべた反応を見せる。

 だが、ユウだけは別の相手を見ていた。

 どこかいたずらっぽい、それでいて無表情とも取れる特有の表情をにじませる、白い髪の少女。パンドラを。


「そうか……そういう、ことだったのか。くそ、こんな単純な前提に考えが及ばないなんて……!」

「ユウ?」


 ぎり、と歯ぎしりの音。平時には決して浮かべない悔恨を覗かせる。


「やあ、ユウ。——初めまして、だね?」

「キミは……パンドラは、アーカディアの管理者は——ループごとに新生するのか!」


 ユウの詰問に、パンドラは鷹揚としてうなずく。


「データログを見た限り、『前回』のボクは面倒くさがり……病的なものぐさ……ええと、大変に怠惰な人格だったみたいだね」


 丁寧に言葉を選んだようだったが、結果的にどんどんひどい表現になっていた。


「だけど『今回』のボクは違うよ。ボクはボクの役割を十全に果たす。その障害になるものがあるのなら、排除することを厭わない」


 ループのたびに人格が変わるパンドラ。その在り方は、世界の崩壊と再生を繰り返すつど、構造を変える迷路じみた街のそれに近しい。だからユウの立てた予測は外れたのだ。

 しかし、ならばユウが出会ったという、『前回』のループにいたアーカディアの管理者たるパンドラはどこへ消えてしまったのか。

 決まっている。このアーカディアにデータの行き着く先はひとつしかない。

 管理者であってもそれは同じこと。


「役者がそろったのならちょうどいい、裏切った飼い犬ともどもみんなまとめて消してあげるよ。そうすれば後顧の憂いはなくなり、完璧な状態でループを続けられる」

「やる気か、パンドラ……!」


 どうやら情報を引き出せるのはここまでらしい。パンドラは武器こそその手に現しはしないものの、明確な殺意を込めた眼光でアレンたちを射抜く。

 反射的に身構えるアレン。だが状況としてはさっきよりも好転している。

 なにせ今はノゾミたちがいる。そしてボスモンスターを倒すという目的は今や消え失せたが、代わりに最大の敵であるパンドラが自分からこの場に足を運んでくれているのだ。

 第100層など目指さずとも、今この場でパンドラを倒してしまえば世界のループは止まる。ゲームクリアだ。


(加えてここにはネームレスもいる……パンドラの権能についてはまだまだ未知数だが、全員でかかれば勝機はあるんじゃないのか?)


 パンドラと敵対する関係になったとはいえ、『拡張脳』の権能が込められた黒いインカムはまだネームレスの耳に取り付けられている。

『鷹の眼』の完成系とも言える、『拡張脳』を用いた戦術。敵に回せば恐ろしいそれも、味方となればこの上なく頼もしい。

——やれる。

 相手が誰だろうと、この場にいる全員の総力で勝てないなんてあるはずがない。

 決断を下し、アレンはインベントリの虚空より、キングスレイヤーの銃を手繰り寄せる——


「——待て!」

「な……っ、なんで止めるんだよ、お前っ」


 ネームレスがアレンを止めたのはその瞬間だった。元が同一人物だけにアレンが臨戦態勢に入ろうとしていることがわかったのか、声を荒らげてアレンを制する。


「いいか、よく聞けアレン。仲間を連れて逃げろ。あいつに逃がすつもりはないだろうが、廊下まで出れば『再構築リビルド』の権能で第0層へのゲートまで一気にすっ飛ばしてやる」

「逃げろって……勝てないってことか!? 言っただろ、俺は諦めたりしない、俺たちが力を合わせればきっと——」

「無理だ」


 悲観でも、弱気になるでもなく。厳然たる事実として、アレンと同じ顔の彼は口にする。


「今の俺たちじゃどうあってもパンドラには勝てない。単純なレベルやステータスじゃなく、管理者としての特権……やつの権能を崩す手段を見つけ出せ。万に一つの勝機を見出すとしたら、それしかない」

「……ネームレス」


 決意に満ちた横顔。その瞳にあるのは倦んだ昏い感情ではなく、悲壮に輝く未来への意志。

 ネームレスがここで死ぬつもりだと、アレンは理解した。


「そうか。そうするしか、ないんだな」

「そうだ。そして、俺がやるしかないことでもある」


 この場で総力戦を仕掛けたところで全滅する。今、パンドラと戦えば皆殺しに遭う。

 それこそがネームレスの出した結論なのだ。

 ならばすなわちそれは、『鷹の眼』の結論でもある。

 ……それを疑うことなどどうしてできよう。意志を違え、道の分かたれた二者ではあるが——その才能はまぎれもなく同一。


「————任せた」


 だから、感謝でも謝罪でもなく。

 捨て石の役割を受け入れるもう一人の自分スワンプマンに、アレンはその一言だけを告げた。


「ああ——こっちも、後のことを任せる」


 そう応じるネームレスの顔は、既に眼前の管理者へと向けられている。

 交わす言葉はそれだけ。それでもほかならぬ二者にとっては、今生の別れとするには十分だった。


「へえ、戦うつもりなんだ、いじらしいねネームレス。……それにしても自虐的な名前を付けたものだよ。ボクに言ってくれれば、もっとイカした名前を付けてあげるのにねー?」

「はっ。お前が命名? サイコロを転がして決めるのとなにが違うんだよ。お断りだね」

「——。言ってくれるね、キミだって過ぎた記録の残照に過ぎないくせに。その小生意気な態度、最後まで改めなかったことを後悔するといいよ」


 パンドラの瞳が輝きを増す。それは爛々と湛えられた絶対の殺意。

 アーカディアが生み出した管理者……NPCにほど近い存在である彼女にとって、その知性を機械的なものであると揶揄されるのは耐え難い侮辱であるようだった。


「みんな。あいつが抑えてくれるうちに外へ出るぞ。あいつの口ぶりからするに、きっと稼げる時間は長くない」


 パンドラの注意がネームレスへと向いているうちに、アレンはノゾミたちに言う。切迫した雰囲気は伝わったようだが、シンダーたちの表情には疑問が残ったままだ。


「あいつ……というのは、あの、二人目のアレンさまのことですのね? 先ほどゲート前でわたくしたちを圧倒した相手——あれがアレンさまであるのならその実力にも納得はいきますが、しかし」


——それがどうして、今は味方をしているのか。

——そもそもなぜアレンがふたりいるのか。

——彼が敵対している白い髪の少女は一体なんなのか。

この場にいる〈サンダーソニア〉の全員が感じているであろう疑問。それを代表するかのように、シンダーはアレンに問おうとする。

 それを止めたのは意外にもノゾミだった。

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