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第61話 『21845/65535の黄金郷』

 まるで海にぽつねんと浮かぶ小さな孤島。海面上昇の脅威に晒され、今にも消えてしまいそうな陸地。それがアーカディアの現況ではないのだろうか?

 そして、そうであるのならば。

 これほどまでに陸地が縮小し、黒い海に沈むまで——一体幾回のループを経たというのか?

 それは、百や二百で利くと言えるのか?


「わかったか? この世界を動かしている機構の巨大さが。そしてパンドラを倒すというのは、その機構そのものを倒すということだ」

「それでもやる前から諦めるわけにはいかない。さっきも言ったはずだ、どれだけ困難であっても成し遂げる。俺自身の夢だけじゃなく、仲間たちのためにも」


 ノゾミやユウ、それにシンダーをはじめとするサンダーソニアの面々。アーカディアをクリアし、現実へ回帰するという目標を共有した仲間たちの顔がアレンの頭に浮かぶ。

 ネームレスはふっと頬を緩めて言った。


「なら精々張り切ることだ。仕方がないから俺も力を貸してやる」

「ネームレス……ありがとう。恩に着る」

「礼なんて要らないっての。さっきも言ったろ、これはマグナさんの遺志だ。それに別人つったってやっぱり同じ顔だしな、改まったことを言われると妙な気持ちになる」


 そこで一度言葉を区切り、ネームレスは教室をぐるりと見渡す。


「この教室に長居する必要もないか。……造るのマジですっげー大変だったから、若干名残惜しいけど……」

「権能ってのも楽じゃないんだなあ。わかった、じゃあ早速なんだが、入口に残してきたみんなと一度街の方に——っ?」


 開けっ放しの教室のドアに目を向けようとしたアレン。だが、視界の端に奇妙なものを認め、すぐにそちらへ視線を移す。

 焦点を合わせても、それは不可思議な『現象』だった。

 そう、現象だ。そこになにかがあるというよりは、そこでなにかが起きていた。


「なんだ……?」


 音もなく空間がきしむ。教室の一角の景色がゆがみ、ねじ切れる。

 虚空が渦を巻くような奇妙な光景に、アレンはどこか、マグナのユニークスキルを思い出した。

二色領域の支配者バイカラー・ドミネーション』。その能力は、二点間をつなぐポータルの展開。


「『座標再定義リディファイン』の権能! まずい、あいつが来る……!」

「あいつ?」


 焦燥をにじませるネームレスにアレンは訊き返す。返事もやはり、焦りを隠しきれない硬い声色をしていた。


「……パンドラだ! 権能を持つのは、このアーカディアの管理者だけだ!」

「なっ——」


 アレンが凝視する先で、渦の彼方からひとつの人影が現れる。

 少女だ。腰まで伸びる、目の覚めるように白い髪と、対照的な黒のドレス。まるでお転婆な王女が部屋を抜け出て庭園へ踏み出すような無邪気と優雅さを帯びながら、ソレは再現された教室の床へ降り立つ。

 その頭上には、確かにIDなまえがあった。

——Pandora。

 箱庭の支配者は、バベルの階層をつなぐゲートを介することもなく、ただその場に瞬間的に現れた。


「飼い犬に手を噛まれる、ってこういう気持ちなんだろうね」


 幼い顔と声。ただし、その話し方に稚気はない。

 あるのは人形のように無機質で。機械のように残忍な。


「ねえ。ネームレス……そんな名乗りを上げていいなんてボクは言ってないんだけど。あまつさえ主人を裏切って敵の仲間になるとか、許されるわけがないよねー?」


 人を取り繕う、人ではないナニカがそこにいた。

 戦慄するアレンの前で、パンドラは大きな瞳をネームレスへと向けている。黄金の。そこによぎる感情は、怒りのようでもあり、悦楽のようでもあり。

 あるいは感情などなにもなく、虚無のみを湛えているようでもあった。


(この声……聞いたことがあると思ったら、レベルアップした時のシステムボイスだ。あっちはより無感情な感じだけど、パンドラの声が元になってたんだな)


 突然現れた箱庭の管理者に、アレンは出方を窺いつつも思考を巡らせる。ネームレスの方は小さく息を吸い、管理者へと言葉を投げかけた。


「あいにくだが主従関係はここで終わりだ。俺は俺の過ちを認める。お前を敵に回してでも、俺は今度こそ正しい選択をしてみせる」

「過ちって言うんなら、ボクを敵に回すこと以上の過ちはないと思うけどね。そもそも奴隷に拒否権なんてあるわけないじゃないか。初めからキミに自由なんて与えられてないんだよ」


 ネームレスの言葉に対し冷たく言い返しながら、パンドラははたとこうベを巡らせた。その双眸がアレンを捉える。


「それにしても滑稽な茶番だったね、アレン。自分同士で相争うなんて馬鹿馬鹿しいって思わない?」

「パンドラ……アーカディアをループさせるNPC。ネームレスを蘇生させたのは、俺をゲームオーバーにするためか?」

「単なるNPCといっしょにしないでほしいね。それに、彼……ネームレスを呼び起こしたのはイレギュラーの対処が目的だよ。この世界にはいてはならない『二周目』がいる。キミも知っているんじゃないかな?」


——アサガミユウ。

 パンドラがアーカディアの管理者なら、ユウがループによる強制ゲームオーバーを免れたことを知っていてもおかしくはない。『前回』の記憶、経験やレベル、アイテムを持ち越したイレギュラーに対する駒としてネームレスを呼んだのだ。

 しかし、だとすれば——


(なんだよユウ、お前の予想、大ハズレじゃねえかっ……!!)


 ユウによると、パンドラは積極的な対処をしてくるような性格ではないということだった。

 だがどうだ。わざわざ廃棄物ガベージの海からネームレスを複製し、塔の頂にいるはずのパンドラはこうして自ら第70層へと足を運んでいる。


「鏡に映る自分を殺すような歪んだ執着……それにかぶくくらいはいいかな、と思ってたんだよ、ボクも。だけど門番の役割を放棄しようとするなら、それは駒として失格だ。廃棄処分にするしかない」


 無情の黄金が再びネームレスに向く。閉口したままのネームレスの体に、わずかな緊張が見て取れた。

 パンドラに戦意のようなものは窺えない。しかしそれは加害の意思がないことを示すのではなく、単にネームレスに行う『廃棄処分』を戦闘行動であると捉えていないというだけの話だ。

 なにもしなければ、次の瞬間には戦いが始まる。

——まだなにか、情報を引き出さなくては。

 アーカディアを輪廻させる、『デウス・エクス・マキナ』のスイッチを押す存在。これはまたとない機会だ。アレンはとっさの機転で会話を引き延ばすべく、問いを舌に乗せた。


「ネームレスがユウに対する駒だって言うなら、なんでそれが俺……『アレン』の複製なんだ。転移者プレイヤーならほかにもたくさんいるだろう」

「ん? 急になに? そんな愚かな問い……ああ、情報を稼ぎたいのか、それとも時間を稼ぎたいのかな。どちらにせよ涙ぐましい努力だねー。いいよ、キミの必死さに免じて少し話してあげるよ」


 言いながら、パンドラはきょろきょろと周囲を見渡す。


「でも、この景色は好かないなぁ。だいいちボクには馴染みがない。いっそ塗り替えてしまおうか——『再塗装リペイント』」

「景色が……変わった!?」

「そんな権能もあったのか、パンドラ。なるほど、俺に与えた『再構築リビルド』はそいつの下位互換。だから惜しげもなく渡せたということか?」


 パンドラが『再塗装リペイント』の権能を発動する。直後、アレンは自身が石造りの重厚な床の上に立っていることに気づいた。

 床だけではない。壁も冷たい灰色の石で覆われ、壁面には等間隔に黄金の燭台が固定されており、静かに炎を揺らしている。見上げる天井は高く、目視では正確な距離を測ることが難しいほどだが、少なく見積もっても八メートルほどはある。言うまでもなく、先ほどの教室の天井とは比較にもならない高さだ。

 教室の風景は一瞬にして塗り替えられていた。ユニークスキルともまた異なる、管理者のみが有する特権的な力によって。


「いいや、よく見てよ。こっちはあくまで表層的なテクスチャを変えるだけ。下位互換なんてとんでもない、これはカードゲーム用語で言うところの相互互換ってやつだよー」

「……見た目だけ、ってことか」


 アレンはよくよく見れば、床に散らばった机や椅子がそのままであることに気づく。まだ、教室の後ろに積まれていたロッカーも存在し、電子黒板に至っては奇妙にも空中に浮いていた。

 慎重に振り返ると、開いたままのドアもそこにある。そしてその先に窺える廊下の風景は、元のままなんら変わってはいなかった。


「——なぜ彼を、『アレン』を門番に選んだのか? 質問に答えてあげようじゃないか、なにせ自分自身のことでもあるからね。それに答えはごく単純シンプルだ……」


 こつん。こつん。

 石に変わった床の上を歩きながら、歌うようにパンドラは言う。


「『アレン』はすべての転移者プレイヤーの中で統計的に最も優れた戦績を残している。データログによればキミはこれまでの全イテレーションのうち、三割もの確率で第100層までたどり着いた」

「三割……身に覚えがないだけで、以前のループで俺は第100層にたどり着いていたのか」

「これは転移者プレイヤーの中でも実に卓抜した数値でねー、本当に大したものだよ。アレン、キミは間違いなくアーカディアで最強の転移者プレイヤーだ。なにせ——65535回に及ぶループのうち、21845回も第100層にたどり着いたんだから」

「——え?」


 ぱちぱちと、わざとらしい拍手。石造りの広間に響くその虚しい音を聞きながら、アレンの脳は停止した。

 理解ができない。否、したくない。そんな逃避を望みそうになってしまうが、意思とは関係なく『鷹の眼』はパンドラの言葉を咀嚼する。

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