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第66話 『アーカディアの影』

 シルヴァの持って帰ってきた結果に、一同は言葉を失う。

 生殺しとはこのことだ。いっそすべての階層でモンスターを根絶やしにしてくれていたのなら、パンドラのいる第100層まで一気に駆け抜け、特攻することができた。

 だがパンドラは、最前線である第71層より下の階層だけ、モンスターを枯渇させたのだ。

 先の階層に挑むにしろ、パンドラと戦うにしろ、レベルは上げておきたい。だが狩場はもうバベルの中から完全に消え去っている。八方塞がりというやつだ。

 PPも稼げず、経験値も上げられず。そして手をこまねいていれば、わずか半年のタイムリミットで世界はループの崩壊に飲み込まれて泡沫と消える。

 そんな暗澹たる状況に誰も打開策を思いつけないまま、沈黙だけが部屋にわだかまる。

 そこへ、思い出したかのようにシルヴァが口を開く。ともすればそれは、ただ、この重い沈黙をなんとかして破りたかっただけかもしれないが。


「そうだ。バベルの異変とは関係ないんですがね、ここに戻ってくる途中、別ギルドのパーティに妙な話を聞いたんですよ」

「……妙な話? シルヴァ、詳しく教えてください」

「そのパーティは中々知恵が回ったみたいで、バベルにモンスターがいなくなったって噂が立ち始めてすぐ森に出向いたらしくて。誰より早くレッドティラノを狩ろうと勇んで森に向かった。ところが、奇妙な黒い影に襲われたとか」

「黒い影……森に別のモンスターがいたということですか? そんな話は聞いたことがありませんが」

「ええ、おれも疑問に思いました。だから妙な話なんですよ。ただそのパーティは相当恐ろしい思いをしたらしく、みんな顔面蒼白で震えていた。必死に森から逃げ帰ってきたそうで」


 耳を傾けていたアレンも、『黒い影』とやらに心当たりはまるでない。皆も同様らしく、顔に疑問符を浮かべている。


「——しかしその話が事実なら、今からレッドティラノを狩りに行く者たちの危険は増しますわね」

「確かにその通りだ。どうするシンダー、行ってみるか?」

「そうしましょう。モンスターのいないバベルに行っても仕方がありませんし。それに、先ほど話し合った通り、森には転移者プレイヤー同士の争いが発生する懸念もあります。諍いがあればそちらも治めなければ」


 真偽のほどは定かではないが、シンダーの言う通り、今更バベルに行ったとてできることはあるまい。

 四者は急ぎ、森へ向かうことにする。

 ギルドハウスを出て、未だ混乱のさなかにある街を抜ける。バベルからモンスターが消えたという話は既に街中に広まっているようだったが、やはり一大事ゆえにその目で見てみなければ信じられないのか、バベルに向かう者はまだ大勢いるようだった。

 そんな者らとすれ違うようにしながら、西の門を出て平原へ。

 転移者プレイヤーの大部分はまだ街にいるようで、同じように森に向かおうとしている者はごく少ない。だがまったくいないわけでもなく、あと数日——否、ともすれば数時間も経てば今は街にいる転移者プレイヤーたちも森へ殺到するかもしれない。ひとたびパニックに陥り、狂騒に駆られてしまえば人は呆気なく断崖のふちへと走り出すものだ。


「人が少ないのであれば、それでも構いません。シルヴァの会ったパーティが見たという『黒い影』、今のうちに調べ上げさせてもらいましょう!」

「りょーかいです、っと。眉唾ではありますが、おれが話を聞いた限り嘘を言ってる感じじゃなかったんでね。なにかあるんじゃないかと個人的には思っちゃいるんですが」

「こっちも異存はない。このメンツならレッドティラノが出ても平気だしな」

「わ、わたしは平気ってほど平気でもないけどねー……」

「まあ、僕たちは遠慮なく後衛でくつろがせてもらおう。今回は守るべき子どもたちもいないわけだし、モンスターが出てもアレンちゃんたちがパパッと倒しちゃうよ」


 今は孤児たちの足に合わせる必要もない。前回よりも早足に草原を抜け——アレンはぜいぜい言いながら付いていった——一行は森へとたどり着く。

 朝の日差しを遮る樹冠。急激に密度を増して並ぶ木々が構成するその空間は、人を閉じ込めるために造られた不気味な建物の内部、あるいは巨大な生物の腹の中を連想させるほどに暗く湿っている。

 モンスターの枯渇したバベルの階層などに比べれば、こちらの方がよほどにダンジョンだ。

 さくり、地に落ちた葉の重なりを踏み砕く。

 森に入ったとたん、誰もが口数を減らす。警戒——というよりは緊張。

 なぜ? そこは確かにこの六万と五千を超える輪廻の果て、ついに生半可なバベルの階層以上に魔境と化した死の巣窟。しかしレッドティラノなど相手にもならないと、先ほどユウが言ったばかり。それは決して間違いではないはず。


(——なんだ、この冷たさは)


 だというのに。妙な冷気が付きまとう。

 決して気を抜いてはならないと、鋭敏な勘が囁いている。

 勘がつまりは経験の蓄積が生む直感を指すのであれば、それはアレンの鍛え上げた才覚である『鷹の眼』が無意識化に導き出した結論でもある。

 やがて、前方から幹をへし折るような激しい音と、枝がいくつも同時にへし折れるような音。暴れる巨躯を思わせるそれらは、まっすぐに一行の方へと近づいてきた。


「この音……接敵します! 総員警戒!」

「問題ない、迎え撃つ! 来い、『キングスレイヤー』!!」


 木々をなぎ倒し、下生えを踏み荒らすようにしながら現れたのは、やはりレッドティラノだった。

 必至の戦闘とあれば迷いはない。アレンは即座に己のボーナスウェポンをインベントリの虚空より手繰り寄せると、疾駆する巨体の頭部に照準を合わせる。


(なんだ……あいつ、こっちを見てないぞ?)


 かすかな疑問。そのレッドティラノはぎょろりとした眼をアレンたちではなく、その背後、つまり森の入り口の方へと向けている。アレンたちを狙っているわけではないのか?

 しかしそんな怪訝さは、引き金を絞ることをためらわせるほどのものではなかった。発砲音が森に響き、レッドティラノの額を撃ち砕く。

 ずずん、と巨躯を沈ませ、恐るべき恐竜型モンスターは粒子へと還っていき、その場から消え去った。


「わっ、ヘッドショット! さっすがアレン!」

「今さら驚くなよな。けど……一撃ってのはちょっと妙だな。この前シンダーたちと来た時とレベルは変わってないから、もう何発かは必要なはずなんだが」

「それに今の個体、どこか変だったように思うよ、僕は。目線が僕らを見ていなかった。まるで森から出ようと一心不乱に駆けていたような……」

「ユウもそう思うか?」


 いくらヘッドショットしたとはいえ、レッドティラノを一撃で倒せるほどにアレンのステータスは高くないはず。それにアレンが覚えたのと同種の疑問をユウも感じていたらしい。

——やはりなにかが妙だ。

 戦闘が終了したというのに、アレンの勘はまだアラートを発している。キングスレイヤーをしまうこともせず、周囲への警戒を保ち続ける。

 そのことが功を奏した。


「……! シンダー、危ない!!」

「え? ——きゃっ!?」


 一体いつからそこにいたのか。森の闇に沈むような人影が、斧のような凶器を掲げ、シンダーの背後に立っていた。

 高重量の刃が振り下ろされる。アレンの呼びかけにより、文字通り間一髪のところでシンダーは身をよじってなんとか奇襲をかわしきる。そして、眼前の人影を視認するや否や、驚愕に声を上げた。


「なんですの……これは……人間っ?」

「モンスター——なのか? なんなんだこいつは!?」


 立っていたのは、黒で塗りつぶしたようなシルエット。

 木々の下にいて、森の陰に隠れているからではない。それは本当に、頭も手も服に包まれた胴体も脚も、靴の先まで、あらゆる光を通さぬ漆黒にまみれていた。


「黒い……影……!」


 シルヴァが重々しくつぶやく。一目見れば間違えようもない。これこそが、彼が会ったパーティが襲われたという『黒い影』だ。

 まるで空間に人型の穴が空いているかのよう。奈落じみた人型は直立したまま、目元はおろか顔かたちすらまるで判別できないので所作からの推察ではあるが、一同を見回す。

 そして、ぺこりと、頭を下げた。


「——。おはようございます」

「しゃ、喋ったよ……っ!?」


 くぐもった、雑音が混じるような声。地の底を思わせる低い音。体型からしても、男性であることくらいは辛うじて読み取れる。

 人ともモンスターともつかぬその存在に一同は硬直する。挨拶をされはしたが、とても返すような余裕はなかった。『二周目』であるユウでさえ初めて遭遇するのか、強張った表情でその影を見つめている。

 緊張感が満ちる中、ソレはゆっくりと顔を上げ——


「おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おはようございます。おは、おはようござい、いま、ま? ま? ま? ま? ま? まま、ま、ま、あ、ああ、あ、あ、あっ」


——壊れた。

 全身を痙攣させながら跳び上がり、でたらめに腕を振るう。すると手に持った斧らしき形状の黒い武器も振るわれるので、近くにいたシルヴァがその軌道に不運にも巻き込まれた。

 ぎゃっ、と苦悶の声を叫び、シルヴァが後ろに倒れ込む。負傷箇所は右腕で、現実であれば肘のやや先でスッパリと両断されていたことだろう。

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