目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第4話 ……え、今蹴った? 俺の美尻を?


 理々杏が目を覚ますと、帆高はすでに事切れていた。


 傍らに立つ天咲よひらは、慈愛を含んだ瞳で帆高を見下ろしている。気を失っている間に何が起きたのかはわからない。けれど、仰向けで倒れた帆高の形相から察するに、もがき苦しみながら絶命したのは間違いなかった。


「先輩に何をしたんすか?」


 自転車を除けながら、理々杏はゆっくりと起き上がる。


「あら、気がついたのですね。おはようございます」


 ここは通学路かと、錯覚するほど爽やかな笑顔。隙だらけだったが、迂闊に飛び込めない。理々杏は不意打ちに近い攻撃を破られたのだ。そのうえ、天咲よひらには得体の知れない能力がある。


「だったら――」 


 理々杏は右手で自転車を掴み、力任せに投擲する。


 だが、天咲よひらは「まあ」と声を上げながらも難なく躱す。


 やはり身体能力が高いらしい。生半可な攻撃では倒せないと悟った理々杏は近くの支柱に手をかけ、一息に引き抜いた。固定用の金具やボルトが弾け、アスファルトに落下する。


「怪力……ってレベルじゃありませんね、それは」

「理々杏は右手で掴める物であれば、重量等を無視できるんすよ」


 力任せに引き抜いた支柱は、商業施設の二階バルコニーを支えるものだ。理々杏は若干の罪悪感を覚えつつも、支柱を器用に振り回した。三メートル近いリーチ差と、高速で放たれる鉄骨の破壊力。並大抵の相手であれば、理々杏が苦戦することはない。


 理々杏は前方に跳躍し、軽々と支柱を振り回す。


「ほっ、はっ。これは、いい運動になりますね」


 だが、尽くが躱される。

 頭部を捉えたと確信しても、次の瞬間には手応えが空を切る。何度試しても結果が変わらず、苛立ちだけが募っていく。


「なんで! 当たらないんすか!」

「私っ、動体視力が、いいんですっ」


 理々杏は頬の内側を忌々しげに噛む。そんな理由で躱し続けるのは不可能だ。相手がプロの格闘家ならばともかく、天咲よひらの動きはどう見ても素人同然なのだ。


 理々杏は一度距離を取り、攻撃の代わりに疑問を投げつける。


「キミの異能、何なんすか?」

「あら。私に特殊能力があることまで存じているのですか」

「……そうっすね。キミが能力を悪用しているから、取り締まりに来たんすよ」


 理々杏が告げると、天咲よひらは合点がいったように手を叩いた。


「なるほど。では貴女は警察の方でしたか。だから私は、先程から攻撃されているのですね」

「厳密に言えば、理々杏たちは警察ではないんすけど……」


 言いかけて、向こうのペースに引き込まれていると気がつく。


 とぼけた演技なのか、はたまた天然なのか。


 どのみち作戦は失敗に近い。理々杏は天咲よひらの情報を集めつつ、対話による無力化を試みた。


「キミは今までに三人を毒殺し、そこで倒れている先輩も殺した。裁かれる身ってことは、理解してるっすか?」

「ええ。でも、こういった能力は一般的には知られていませんよね。私の毒は体内で生成されるので、入手ルートも証拠も存在しません。そんな殺人が、今の刑事司法で立件できるのでしょうか」


 理々杏は内心で舌打ちをする。答えは否だ。特殊能力を用いた犯罪など、証拠不十分で不起訴にされるのがオチである。法で裁けないからこそ、理々杏達が居る。『夜行』の存在意義は、能力者による悪事を取り締まることだ。


「なるほど。体内で毒を生成する異能っすか」

「はい。でも安心してください。貴女には効果が無いので」

「……え?」

「私の毒は、恋ですから」


 天咲よひらが、両頬に手を添えて恥ずかしそうに俯いた。

「私は感情が昂ると、体液が毒になります。唾液、血液、汗に至るまで様々な毒素で構築されます。けれどそれは、意中の相手にしか効果が無いみたいです。そうですね、【恋毒こどく】とでも名付けましょうか。私にとって、愛することは殺すことと同義なのです」


 にわかに信じがたい体質だが、能力者とは得てしてそういう生物だ。

 天咲よひらは帆高に一目惚れをした後、なんらかの方法で体液を注入して殺害したのだろう。


「なーんか、虫みたいっすね」

「あら、失礼ですね。貴女とは、あまり仲良くできそうにありません」

「理々杏も馴れ合うつもりはないので、これで最後の質問にするっす。これからも、キミは殺人を犯し続けるんすか?」

「ええ。愛の果てに、死が存在する限り」


 これ以上の対話は無駄だ。理々杏はそう判断し、支柱を握る手に力を込めた。天咲よひらの異能が毒ならば、化物じみた身のこなしは天然のものだ。攻め続ければいつか綻びが生まれるはず。


 理々杏がそう判断した瞬間、後方から衣擦れの音がした。 


「なるほど、好きな人限定の毒か。いやー、色男は辛いねぇ」


 聞こえたのは、場違いなほど軽薄な声。

 振り返ると、声に違わず腑抜けた表情を浮かべる帆高の姿があった。


「……な、なんで生きてるんすか。先輩」

「ありゃ、ここは飛びついて喜ぶ場面じゃないの?」


 理々杏の訝しげな視線を振り払うように、帆高は大きく肩を回した。


「まあいいや。どうやら俺は幸運を掴めたらしい――」


 突如、弾丸のように天咲よひらが帆高に飛び込んだ。二人はそのまま体勢を崩し、アスファルトの上でもつれ合う。


「素晴らしいです! 私が愛しても戻ってきてくださるなんて! 再会を祝して再び口づけをば……」

「オイふざけんな! あんな地獄を何度もお参りしたくねえよ」

「でも、刺激的な時間でしたよね?」

「そうだな。痛すぎてジョロキアを擦り込まれてんのかと思ったわ」

「あら好感触。では、もう一度」

「おい、顔を近づけんな! この距離でもすでに息苦しいんだよ!」


 帆高は抵抗の意思を示したが、天咲よひらの腕力には敵わなかったようだ。無情にも、よひらの舌が帆高の口内へと滑り込む。


 荒い呼吸。粘膜が絡み合う音が鳴る。


 何を見せられているのだろう。理々杏は現状に強い疑問を抱いたが、帆高を助ける選択肢は無かった。理々杏は見極めねばならない。帆高の異能を。死の淵から復活するばかりか、なんでもないように振る舞える理由を。


 数分ほど経ってから、天咲よひらがようやく上体を起こした。


 艶々とした笑顔で吐息を漏らしている。下敷きになった帆高は、泡を吹きながら白目を向いていた。どう見ても毒が回っている。それなのに。


「痛いって言ってんだろ! 舌に剣山でも仕込んでんのか?」


 帆高はむくりと起き上がり、天咲よひらの身体を突き飛ばした。やはりそうだ。帆高には、三人もの命を奪ったであろう毒が効いていない。いや、倒れていた帆高は、どう見ても死んだ人間の形相だった。


 理々杏は事実を確かめるべく、強い口調で帆高に問いかける。


「先輩は、なんで生きてるすか」

「だから言ったろ。俺の【幸運体質】が――」

「たまたま無毒化できたり、耐性がある毒だったと言いたいんすか?」


 帆高は答えない。

 代わりに沈黙を破ったのは、天咲よひらだった。


「それは……ありえませんね。私の毒は、兵器に用いられる化学物質から水銀やトリカブトのようなポピュラーな毒に至るまで、致死性と非致死性のものが幾重にも混ざり合っています。本来なら、私の呼気を吸い込むだけで苦しいはずですが……」


 当人が語っている以上、嘘ではないのだろう。もはや【幸運体質】では説明できない事案だ。


「先輩、答えてください。先輩の能力は本当に【幸運体質】なんすか? 能力の虚偽申請は、重大な規約違反っすよ」


 本来の敵を忘れ、理々杏は帆高に詰め寄っていく。


「あー、これは言い逃れできないやつかな?」

「諦めて吐くっす。場合によっては、先輩も手に掛けなきゃいけないっすからね」


 理々杏が手にした支柱を突きつけると、帆高は観念したように眉を下げた。


「おいおい。その物騒な柱を下ろせ」

「先輩の対応次第っすね。場合によってはミンチっすよ」

「わかったよ、言うから。俺の能力は【幸運体質】じゃない。どちらかと言えば、俺は不幸な星の下ですくすく育った男だよ」

「じゃあ、なんの能力なんすか」


 刃の如き視線を受けた帆高は、理々杏から視線を外して答える。


「……【不死】だ。正確に言えば、絶命しても蘇生できる。たとえ身体をぐちゃぐちゃにされても、時間が経てば綺麗な姿に元通りだ」

「そんなの、どうやって検証したんすか? 能力が発現しても、気づかないまま一生を終える人間が大多数なんすよ?」

「何回も死んだに決まってるだろ? 俺は小学生の頃、ある男に銃で撃たれて海に沈められた。それでも俺は死ねなかった。いや、死に続けたって言ったほうが正しいかな」


 そう語る帆高の双眸には、いつもの軽薄さが宿っていない。


「溺死の回数なんて覚えてない。身体に縛り付けられた金網が外れるまで、二年近くかかった。いっそ死にたかったが、それさえも許されなかったんだよ」


 理々杏は想像してしまう。海中で何度も意識を失う恐怖を。終わりの見えない地獄を。


「ようやく海から上がれたときには全てが終わっていた。母親と父親は殺されて、妹は行方不明。それなのに、ネットニュースにもなっていない。散々探したが、何の手がかりも得られなかったよ」


 仮面を脱ぎ捨てた帆高の表情は、疲弊した老兵のようだった。

 理々杏はただ、簡単な質問を挟むしかできない。


「どうして……そんな事件が起きたんすか」

「家族が俺と同じ能力者だったからだ。後天的なものでなく、ルーツが存在するタイプのな」


 能力者には二種類が存在する。理々杏のようにいつの間にか能力が備わっているタイプと、儀式を経たり条件を達成して能力を得るタイプだ。後者は真相が闇に包まれているケースが多く、非科学的で眉唾な話も散見される。


「理々杏は、八百比丘尼はっぴゃくびくにって知ってるか?」


 そう問われ、理々杏は首を横に振る。帆高は「京都だと『やおびくに』かな」と付け加えるが、どちらにせよ聞き覚えがない。


「人魚伝説、でしたっけ」


 代わりに答えたのは天咲よひらだった。帆高は「なんでお前が会話に参加するんだ」と言いたげな顔をしたが、すぐに平静さを取り戻す。


「そうだ。福井県の小浜市に伝わる伝説でな。人魚の肉を口にした尼さんが八百歳まで生きたって話だ。つまり、俺の家系を辿ればその尼さんに辿り着くんだよ」

「それじゃあ先輩は、その、人魚を食べたってことっすか?」

「んなワケあるか。妹が生まれた時に、母親の胎盤を少し食わされただけだ。人魚の血を引くのは女性だけだが、肉を食べれば一度だけ【不死】が受け継がれる」


 胎盤食の文化は一般的でないが、理々杏も聞いたことがある。

 帆高の説明を咀嚼していると、ある疑問にぶつかった。


「【不死】の能力があるなら、先輩の両親を殺せない気がするんすけど」

「あー、身体から人魚の細胞を取り除けば普通に死ぬぞ。それに、父親は普通の人間だった」


 他人事のように語る帆高からは、悲壮感が微塵も漂っていない。悲しみを乗り越えたのか、悼むほど関係性が良好でないのか。帆高にとって、両親の死はあまり重要でないらしい。


 だが、理々杏にとっては見過ごせない情報だ。


「先輩達は、どんな罪を犯したんすか……?」


 理々杏の問い掛けは、潮風にかき消されるほど小さかった。


 能力者を殺害し、痕跡を残さず闇に葬る。それはまさしく『夜行』と、関東に拠点を置く『白夜』が任務を執行する流れだ。隣に居る天咲よひらと同じように、能力を悪用して犯罪に手を染めたに違いない。


 だが、理々杏の仮説は一瞬で否定される。


「俺の家族は何も犯しちゃいないよ。だからこそ、俺は『夜行』に所属すると決めた」


 帆高が放った言葉を受け、二の句が継げなくなる。

 鵜呑みにした瞬間、底知れぬ闇に引きずり込まれそうだったからだ。



 任務が有耶無耶になったまま、帆高の過去が紐解かれていく。


 三人は堤防の近くまで歩きながら、ぽつりぽつりと言葉を交わす。移動したのは気分転換だけが目的ではない。帆高の過去がたとえ冗談であっても、公安関係者に聞かれたくない内容だからだ。


「……先輩の話が本当なら、先輩の家族の存在は、公安にとって不利益だったってことっすよね」


 理々杏は言葉を選びながらも、内情に切り込んでいく。


「決めつけるのは早計だけど、可能性はあるな。まあ、俺にとって事件が起きた理由を知るのは二の次。本当に知りたいのは、行方不明になった妹の居場所だよ。アイツは【不死】を受け継いでいるばかりか、俺よりも再生速度が速いし、頭だって回る。どこかで生きてるはずなんだ。俺を撃ったヤツは異能の存在を知らなかったみたいだしな。おそらく、俺の後始末だけ命じられたんだろ」


 理々杏は情報を整理して、矛盾がないかを確かめる。今の所、判別がつかなかった。


「……じゃあ、黒幕はそいつじゃないんすね」

「そういうこと。ちなみに、黒幕については把握していたりするんだよなー」


 勿体ぶるように帆高が言う。理々杏と天咲よひらは続きを促したが、待てども待てども聞こえてこない。仕方がないので、理々杏は帆高の尻を軽く蹴り飛ばした。


「……え、今蹴った? 俺の美尻を?」

「ケツに柱をフルスイングしなかっただけマシっすよ。早く続きを教えるっす」


 理々杏が睨みを利かせたので、帆高はオーバーに肩を竦めてみせた。


「欲しがり屋さんめ。まあいい、聞いて驚け。その男はな……京終って名前を出したんだよ」


 その名前に、心臓の鼓動が一気に加速した。


「せ、先輩。ありえないっすよ。京終って、今の警視総監じゃないっすか……」

「あの、警視総監とはどれくらい偉い人なのでしょうか」


 理々杏の言葉が、天咲よひらに遮られる。

 なぜ、快楽殺人鬼が話に加わっているのか。


「キミ、自分の立場を理解して発言したらどうなんすか」

「帆高様の愛人として発言しております」

「本当にわかってないっすね」


 理々杏の呆れ顔もなんのその、天咲よひらは満面の笑みで帆高を見つめていた。


 今ならば、殺せるだろうか。


 そう逡巡していると、帆高がへらりと笑いつつ理々杏の肩に手を置いた。やめておけ、という合図だろう。理々杏は無言で頷き、場の空気に身を任せる。


「警視総監は、東京都にある警視庁のトップだよ」


 警視総監は任命の際、内閣総理大臣の承認も必要になる役職だ。そのような立場から、まだ罪を犯していない能力者の殺人を指示した。


 なんのために?


 その疑問は天咲よひらの脳内にも浮上したようで、同じ問い掛けを口にしていた。

 帆高はこめかみを掻きながら言葉を紡ぐ。


「……それがわからないんだよ。なにせ、痕跡が残ってないからな」









この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?