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第3話 恋は人を狂わせるものですよ。帆高様

 大阪港おおさかこう駅に降り立つと、潮の香りが漂ってくる。時刻は夕方。海遊館の方向から、家族連れやカップルが駅に向かって歩いてきた。帆高と理々杏は波に逆らうように、天保山てんぽうざんの方角へと向かう。


「たこ焼き屋でアルバイトなんて、普通の女子高生じゃねえか」


 帆高は呟きながら、天咲よひらの情報を思い出す。


 大阪市内の高校に通っており、放課後や休日はアルバイトに精を出しているらしい。メッセージに添付された写真には、長い黒髪がよく似合う大和撫子然とした少女が映っていた。ぼんやりと夜空を見上げる横顔には、温厚そうな雰囲気が漂っている。解像度があまり高くない写真でも伝わるほどに整った目鼻立ちで、女優だと紹介されても疑わないだろう。将来有望な女子といったところか。


 だが、天咲よひらには、アルバイト帰りに失踪してもらう。


 帆高と理々杏は近くのマクドナルドに陣取り、時を待つ。あくまでも放課後の高校生のように、不自然にならないように。


「暇だな。しりとりでもするか?」


 もっとも、帆高は常に自然体でいられる男だ。緊張感の欠片もない様子で、理々杏に微笑みかける。


「嫌っす」

「『す』か。じゃあ、ストリップ」

「先輩って、なんでそんなにポンコツなんすか?」


 理々杏が湿度の高い視線を向けてきたが、帆高は必死に『か』から始まるセクシーな単語を探していた。脳内の引き出しから『貝開き』を探り当てたところで、不意にスマホが振動する。


 作戦開始の時間だ。

 二人は無言で頷き合い、ゆっくりと店を後にした。


 観覧車近くの商業施設が、天咲よひらの職場だ。夜の帳が下ろされた表通りはカップルで賑わっているが、従業員入口は港に面しているせいか人気がない。仕留めるには、うってつけの場所だった。 


 能力者が引き起こした事件、および能力者自身の死は、決して表沙汰にされることはなく、公安関係者の間でのみ処理される。能力者の存在を公にすると、必要以上の混乱や差別が必ず生まれてしまうからだ。


「準備はいいか」

「いつでもオッケーす」


 二人は商業施設の三階部分から、授業員入口を見下ろす。先に帆高が飛び降りて、姿を現した天咲よひらを組み伏せる手筈だ。遅れて飛び降りた理々杏が、狙いやすくなった後頭部に打撃を与える。


 時間にして三秒。


 仕留めた後は、痕跡を拭き取りつつ遺体を回収。そして停車する工作班のハイエースに押し込んで完了だ。監視カメラの類は、工作班がすでに無効化している。


 帆高達がじっと息を殺して構えていると、海から夜風が吹き付ける。それを合図にするように、従業員入口の扉が開く。


 天咲よひらが姿を現す。


 白の制服を身にまとい、風になびく長い黒髪を左手で抑えている。深窓の令嬢を思わせる風貌だったが、赤い瞳の輝きが、第一印象を大きく裏切った。


 帆高は脚に力を込め、今日の自分の運勢を信じながら跳躍の体勢に移行する。


 その瞬間、天咲よひらの顔が不意に上を向いた。


「なっ……」


 帆高と視線が交錯してしまう。気配を感づかれたのか、偶然こちらを見上げてしまったのか。どちらにせよ奇襲は失敗だ。


「ああ、クソ! 今日はツイてないな!」

「……いつもツイてないっすよ、先輩は」


 作戦変更を余儀なくされた二人は同時に跳躍し、配管や手すりを経由して素早く着地を決める。


 近くで見る天咲よひらは造形品のような美しさだったが、やはり大きな瞳だけが異様な輝きを帯びている。


 帆高は天咲よひらの一挙手一投足に集中するが、中々動きを見せない。そればかりか、どこか惚けたような表情を浮かべている。警戒心を保ちながら凝視していると、桜色のくちびるが小刻みに震えだした。


「あ、あの。そこのお方……!」


 天咲よひらの声だった。予想外の反応だったので、帆高は首を傾げつつも応じてしまう。


「ん、俺のことか?」

「はい! その、よろしければお名前を教えて下さい!」


 どういう魂胆なのかと逡巡していると、どこか上気した声が続けて響く。


「あ、あと、お付き合いしている女性はいらっしゃいますか?」


 綻んだ口元。心なしか頬も紅潮しているように見えた。

 帆高は妙な空気を感じながらも、にっと口角を吊り上げる。


「俺の名前は夕波帆高だ」

「帆高様ッ……とても素敵なお名前です!」

「そして安心しろ、俺はまだ誰のものでもなッッ――」

「余計な情報を言わなくていいっす」


 理々杏の肘が肝臓に突き刺さり、阻止される。


 帆高がうなだれている間に、理々杏は近くにあった自転車を右手で掴んだ。


「……十秒で仕留めるっす」


 そう宣言して、理々杏は一気に距離を詰めた。その勢いを殺さずに、細腕からは想像できない腕力で自転車を振りかざす。天咲よひらはまだ通学カバンを両手に持っている状態で、全く反応できていなかった。


 (勝負は決したな)


 痛みから回復した帆高が高を括った瞬間、天咲よひらの上体が大きく傾く。


 スカートの裾から、長い脚が伸びる。


「――自転車を振り回すなんて、危ないですよ!」


 目にも留まらぬ蹴撃だった。


 息を呑むのと同時に、理々杏は自転車ごと後方へ吹き飛ばされていた。小さな身体は商業施設の壁に打ち付けられ、だらりと崩れ落ちる。帆高は駆け寄るべきか悩んだが、戦闘時に注意を切るのは悪手だと判断した。


「……アンタ、キックボクシングでも習ってんのか?」


 理々杏が回復するための時間稼ぎも兼ね、軽口を叩いてみる。


「さあ、どうでしょう。でも喧嘩なんて初めてですよ」


 表情を窺うが、嘘の色は無い。

 真実を述べているのか、よほど欺き慣れているのか。どちらによ厄介だった。


「今アンタが蹴り飛ばしたちっさいの、ウチじゃかなり強いんだけどな」

「じゃあ私のほうが強かったってだけですね。昔から、なんでも出来ちゃうので」

「お嬢様みたいな顔して、意外と勝ち気なタイプか」

「ふふ、そうかもしれませんね。こう見えて、積極的だったりしますし」


 天咲よひらは通学カバンを地に下ろし、ゆっくりと夜空を見上げた。


「それにしても、こんなに月が綺麗な日は、やっぱり運命の方と出会えるのですね。過去の恋人との出会いを振り返ると、いつも月が綺麗だったんです。今日みたいな、雲ひとつ無い満月の日でした」


 陶酔した様子で語る姿から、純度の高い狂気が垣間見える。どれだけ見目麗しくても、三人を殺害したシリアルキラーだ。帆高は努めて冷静に、かつ軽薄な口調を崩さずに対話を続ける。


「……よくわからんが、運命の人ってのは当たってるかもな。俺はわざわざ、アンタに会いに来たんだから。天咲よひらサン」

「どうして私の名前を?」

「アンタのことは調査済みだ。同い年の恋人を三人も殺したんだろ? 入手経路不明の毒物を用いてな」


 知り得た情報を出してみるが、天咲よひらの調子は変わらない。


「私は小説が好きなので、仕方がないんです」


 そればかりか、素っ頓狂な返答を持ち出してくる。


「はぁ?」

「好きな作家が綴っていました。『恋とは、猛毒なのだ』と。幼い頃の私は深い感銘を受けました。私にとって、恋とは猛毒そのものなのです。誰かを愛することは、死を伴うのです」

「……それで好きな人を毒で殺しましたってか。イカれたお嬢様だな」

「恋は人を狂わせるものですよ。帆高様」


 にっと、妖艶な微笑みを浮かべる。帆高は不覚にも見惚れてしまう。


「それに、私は特殊な体質だから仕方がないのです」


 そのせいで反応が遅れた。天咲よひらが、咳をしながら距離を詰めてくる。帆高は後退しながらも逡巡する。


 体質、つまり能力を用いて毒を操っているのだろう。断定するが、それ以上は思考がまとまらなかった。全細胞が異状を訴えたからだ。


 目眩、吐き気、痙攣。不快感は危機感に変わり、指先まで侵食していく。


「な、なんだ……これ」


 視界が歪み、天咲よひらの姿が二重に映る。月明かりが乱反射して、万華鏡のように回転した。


「あら。効いちゃいましたか。やっぱり、帆高様に一目惚れしちゃったみたいですね」


 帆高は地に蹲り、嗚咽を漏らす。痛い、苦しい。全ての苦痛が襲ってくるようだった。


 これは間違いなく毒だ。けれど。


「……い、いつ俺に毒を盛った?」


 先程の咳だろうか。だが、それほど強力な毒を有しているとすれば、日常生活さえままならないはずだ。


 帆高が呻きながら質問を繰り返すと、天咲よひらは意外そうに声を発した。


「まだ意識があるのですか? 凄いです、こんなの初めてです!」

「質問に、答えろ!」


 帆高は吠えるが、天咲よひらは瞳を潤ませながらしゃがみ込む。


「本当に、帆高様は運命の方だったのですね」

「なに、いって、やが……」


 帆高は立ち上がろうと腕に力を込めるが、もはや感覚が無かった。


「生きている人とするのは初めてなので、緊張しますが」


 頬に温かな手が触れる。


「帆高様に捧げますね、私の愛を」


 そして、帆高の唇に柔らかなものが触れた。わずかに残された触覚が舌の動きを察知する。


 一瞬の快楽の後に、針を刺すような痛みが帆高の口腔内を襲った。


「ああ……がぁっ!」


 咽頭から食道へ、溶岩を流し込まれたような熱が伝う。舌が絡み、唾液が交換されるたびに、剥き出しの痛覚が悲鳴を上げる。逃げようにも全身が痺れ、動かせる部位が存在しなかった。


 天国と地獄。


 永遠に近い数十秒が経過して、帆高はようやく開放された。天咲よひらは恍惚とした表情を浮かべながら、唾液の糸を切るように唇を舐める。


「これは、癖になりそうです」


 濃厚な接吻を終えた後も、帆高は身体の内側から突き破られるような激痛に襲われていた。

 指笛のような呼吸が漏れ出す。帆高の視界が閉ざされ、思考回路が機能を終えていく。


 ああ、今日はやっぱりツイていない。


「帆高様、ありがとうございます。最高の恋でした」


 場違いなほど甘ったるい言葉を耳にしながら、帆高の意識は深い闇に落ちた。


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