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第2話 ウンコのスキンシップはウンコでしかないっすよ

 夕波帆高ゆうなみほだかは今月四度目の叱責を受けながら、今朝の占いで見たラッキーパーソンを思い出していた。


「帆高クン、一昨日の任務について説明して頂戴!」


 帆高の担任である新原衣織しんばらいおりが、青筋を立てて帆高を問い詰める。理知的な瞳と青紫のウルフヘアーが中性的な色気を放っているが、それすらも場違いに思えるほど張り詰めた空気が教室に漂う。


「えっと、線路にターゲットを追い詰めたんですけど、タイミング悪く遮断器が下りて、電車が来て……要するに逃しちゃいました、てへ」


 帆高が茶目っ気たっぷりに舌を覗かせる。この場面において、男子高校生のおふざけが逆効果なのは言うまでもない。


 新原は帆高の脳天に鋭いチョップをお見舞いしてから、大きく息を吸い込んだ。


「念の為に確認するけど、帆高クンの能力って」

「はい。資料にある通り【幸運体質】です。ありとあらゆる幸運が舞い降りるんですよ。それはもうハピハピの毎日で、ラキラキの人生が約束されたエッモエモの能力ですね」


 頭頂部をさすりながら、帆高は軽口を崩さずに答えた。癖のあるミディアムショートの黒髪と、着崩した制服。少し垂れた目尻が軽薄な印象にバフをもたらしている。


 新原は帆高の性格を知り尽くしているらしく、諦観混じりの声で問い掛けた。


「……そんな子が、たまたま電車に邪魔されたりする?」

「これも巡り巡って、幸運に繋がるかもしれません」

「口だけは達者ね」


 怒りで身体が火照ったのか、新原がジャケットを脱ぐ。真夏の日差しが窓から差し込み、空調が効いているとはいえ若干の暑さを感じる。新原は上着だけでなく、ワイシャツのボタンをも解放し始める。


 さすがの帆高も目のやり場に困り、視線を窓の外に向けた。


 下鴨中通しもがもなかどおりを歩く老人の姿が見えるが、向こうからは帆高達の姿は視認できない。窓ガラスに特殊な加工が施されているからだ。


 帆高達が通う京都府立下鴨しもがも高等学校は、府内でも有数の進学校だ。


 進学校は堅苦しい校則に縛られるタイプと、生徒の自主性を重んじる風通しのいいタイプの二種類あるが、下鴨高等学校は後者だ。ゆえに、他府県の生徒からも人気を博している。


 だがそれは、あくまでも表向きの話。


 下鴨高等学校には、東京都を本拠点とする警視庁警備局の下、秘密裏に結成された組織が存在する。


 その組織は特進クラス、通称『夜行やこう』と名付けられ、全国から特殊能力を持つ十五歳から十八歳の子供が集められている。


 帆高は『夜行』に配属された高校二年生だが、成績は地に畝が生じるほどの低空飛行。肝心の特殊能力もいまいち機能せず、四方から落ちこぼれの烙印を尻に押された人物だ。


 新原は眉根を揉みながら、腑抜けた顔の落ちこぼれに苦言を呈した。


「帆高クンがターゲットを取り逃がしたせいで、私は徹夜したんだから」

「それはまあ、お疲れ様としか言えませんな。アッハッハ――」


 高らかに笑った瞬間、新原が腰に装着したホルスターから拳銃を取り出した。

 帆高は勢いよく両手を挙げる。


「し、新原先生。それは洒落になってないっす」

「そうね、洒落じゃないわ」

「生徒を撃ち殺すなんて、正気じゃないですよ!」

「大丈夫。『夜行』の生徒は入学時に戸籍が削除されているもの。ここで起きるのは、存在しない殺人よ」


 新原の瞳は、冗談の色を帯びていない。

 これはマズいと悟ったのか、帆高は鈍い音を鳴らしながら見事な土下座を披露した。


「ほんっとスミマセン! 自分が悪かったです!」

「あら、それが遺言でいいの?」


 なおも不穏な気配を察した帆高は、勢いよく顔を上げる。


「勘弁してください! お望みとあらば足の裏でもベロ舐めするので! それはもう、指の間まで丹念に――」


 瞬間、帆高から数センチ離れた場所に着弾する。


「ほ、本当に撃ちやがった! しかもご丁寧にサイレンサーまで付けて!」

「次は外さないわ」


 新原は真っ赤な唇をすぼめ、銃口にふっと息を吹きかける。その所作には色気が漂っているが、硝煙の匂いが帆高の心を冷静にさせた。


「あの、マジで反省してます! 今一度チャンスを下さい!」


 帆高が再び額を床に押し付ける。新原はやれやれと言わんばかりにウェーブがかかった栗色の髪を搔き上げた。


「卒業後にこんなヘマをしたら、どうなるかわかってる?」

「……良くて再教育。悪くて殺処分ですね」


 帆高は土下座の体勢のまま、そう答えた。


「当たり。ちなみに帆高クンのミスは、間違いなく悪い方ね。公安警察のお偉いさんに眉間を撃ち抜かれてジ・エンドよ」


 日本には公安警察が存在する。彼らは秩序を維持するため、犯罪が発生する前に驚異を取り除くのが仕事だ。そのための手段は問わず、時にはスパイとして潜入捜査も行う組織だと認知されている。


 しかし、これも表向きの話。


 実際は公安警察がスパイとして潜入するのではなく、独自のリストから人員を選定し、敵対組織の中から作業玉と呼ばれるスパイを仕立てあげている。


 いわば『夜行』は、日本国家に害を及ぼす能力者に対抗するため、特殊能力を有した作業玉を育成する機関なのだ。


 帆高はふんと鼻息を荒くして、床から顔を上げる。


「でも、僕達学生はまだ見習いです。失敗して成長する可愛い生き物じゃないですか」

「そうね。ただ、帆高クンに関しては後に引けない状況なのよ。自分の成績はわかってる?」


 促され、帆高は元気いっぱいに答えた。


「はい! 退学にならないのが奇跡だと承知しております」

「……よろしい。では、退学にならない為の任務を言い渡します。大阪府の港区みなとくにターゲットが現れたわ。能力者反応は何度も検知しているから、間違いないわね」


 淡々と告げられる任務を、帆高は頷きながら記憶する。本来であれば任務の伝達には暗号が用いられるのだが、帆高はまだ教わっていなかった。


「オッケーです。そいつを監視して、作業玉として取り込めばいい感じですか?」

「いえ、今回は確保じゃなくて受け渡しよ」


 新原がそう告げると、帆高は短く唸る。


「ってことは……」

「ええ。前にも教えた通り――悪事を働いた能力者は捕獲して、公安警察に受け渡す。これが私達の仕事よ。至ってシンプルね」


 新原は肉厚な唇を操りながら、無慈悲に告げる。


「今回のターゲットは、すでに三人の一般市民を殺めている。危険度はS。捕獲時の生死は問わないわ」



 職員室に戻った新原は、帆高の資料を眺めながら溜息を吐いた。


 福井県小浜市ふくいけんおばまし出身の十六歳。夕波帆高という名前は、入学時にこちらで付与した偽名だ。もちろん本名も把握しているが、新原が気にしているのは基本的な個人情報ではない。


「彼の【幸運体質】は抽象的すぎる」


 新原が呟く。『夜行』の生徒は、例外なく特殊能力を有している。


 例えば、一年生である結城理々ゆうきりりあんは、右手で掴める物質であれば重量を無視して持ち運びが可能だ。この能力を駆使すれば、標識やガードレール等を武器にできる。


 対して、帆高の能力は掴みどころが無い。幸運体質と言い張るにしてはミスが多いし、成績だって最下層だ。それでも退学にならなのは幸運の賜物だと言えるのだが。


「彼の能力に疑いようはないのだけど……」


 入学時に、能力の審査は当然行っている。帆高が入試試験で見せた能力は、紛れもなく【幸運体質】としか言えなかった。


 前例の無い能力。試験会場となった地下室が異様な空気に包まれる中、帆高は薄い笑みを浮かべながら「俺を殺す気で試してくださいよ」と提案した。


 不遜な態度が気に障ったのか、試験官を担当する公安警察官は「この部屋ごとお前を燃やしてやろう」と宣言した。明らかに度が過ぎた対応だったが、能力者とは危険因子そのものだ。迫害されることも珍しくない。止める人間など誰もおらず、帆高は服の上からガソリンを浴びせられ、またたく間に点火された。


 誰もが彼の死を予想した。しかし、彼は燃え盛る地下室の中から生還を果たしたのだ。


 曰く、たまたま耐火性能のある服を着ていた。スプリンクラーが早めに作動した。密閉空間なので、燃焼に必要な酸素がすぐに無くなった。などの要因を幸運として挙げていたが、新原はにわかに信じられなかった。自身の体質や近くの物質ではなく、事象を操る能力など前代未聞だったからだ。


 彼ならば、『夜行』のトップをも狙える。卒業後のキャリアだって明るいだろう。


「でも、買いかぶりの線も否めないのよね」


 帆高の稀有な能力は鳴りを潜めている。今やもう、単独で任務をこなせるとは到底思えないほどに。


「昨日は私と徹夜だったから疲労が溜まってそうだけど、理々杏さんにも同行してもらおうかしら……」


 新原は不安げに呟いて、スマホのロック画面を解除した。



 不規則に揺れる阪急電車はんきゅうでんしゃの車内には、異様な空気が漂っていた。


 その空気の中心に鎮座するのは、軽薄な笑みを浮かべた帆高だ。癖のある黒髪を指でいじりながら、隣に座る少女へ軽口を飛ばしている。しかし、緋色のボブをハーフアップにした髪型と黒いワンピースが特徴的な少女は、薄い唇を固く結んだままだった。どう好意的に捉えても、会話が盛り上がっている様子ではない。


「いやぁ、特急なのに始発駅から座れるなんてラッキーだねぇ。さっすが俺!」


 そんな空気もなんのその、ぱちんと指を鳴らす帆高。


 少女は無視さえも疲れたようで、たっぷりの苛立ちがブレンドされた瞳を帆高に向けた。


「……理々杏はアンラッキーっすよ」

「またまたぁ。そんな暗い顔すんなって。何があったんだよ」

「先輩のせいで二徹確定なんすよ! なんで二年生にもなって、一人で任務をこなせないんすか? 頭すかぽんたんなんすか?」


 不服そうに呟く理々杏の目の下には、大きなクマが刻まれている。聞くところによると、昨日もターゲットを確保するために京都の町を駆け回っていたらしい。


 しかし、帆高は意に介さず。愉快そうに笑いながら、理々杏の肩をばしばしと叩いた。


「あーあ。このワンピース買ったばかりだけど捨てなきゃいけないっすね」

「こーら。先輩のスキンシップをウンコ扱いしないのッ」

「ウンコのスキンシップはウンコでしかないっすよ」

「あ、俺がウンコなんだ」


 重い空気も意に介さない帆高と、城壁を何度も築き上げる理々杏。そんな二人は今、街に溶け込むカップルとして行動を命じられている。ベテランの公安関係者はどれだけ不仲でも感情を偽れるが、経験の浅い二人では成立しなかった。


「……なんかもう、言い返す気力も無くなったっす。先輩なんて殉職しちゃえばいいんすよ」

「そんなストレートに死を願うことってある?」

「人が死ぬなんて、珍しくないっすから」


 理々杏は鼻をひとつ鳴らす。そのまま無言を貫き、物憂げに車窓の外を眺めた。


 『夜行』の生徒にとって、人を殺す経験は切っても切り離せないものだ。対能力者の任務における無力化とは建前であり、ほぼ確実にどちらかが死ぬ。何度も任務をこなしている理々杏をもってしても、精神が沈んでしまうのだろう。


「確かに珍しくはないな。能力者として生まれてしまった以上、そうなる運命だし」

「……先輩は、今の立場に納得してるんすか」

「その口ぶり、理々杏は納得していないみたいじゃん」

「そりゃそうっすよ。『夜行』の一員として人を殺すか、周囲から迫害されてひっそり生きるか。こんなクソみたいな二択しか存在しないんすよ?」

「まあな。能力者の人権なんて、無いに等しいからな」

「そうっすよ。先輩も、身に沁みて実感してるっすよね?」

「いやぁ、俺はこの生活が案外快適だったりするんだよ。寮は綺麗だし、学食は美味い。おまけに任務をこなせば給料だって懐に入る。あとは素敵な恋でもできたら言うことナシだな」


 帆高がへらりと笑った瞬間、ポケットに入れたスマホが震える。

 情報収集を請け負っている諜報班からのメッセージだった。


「――理々杏」

「はい。すでに確認したっすよ」


 帆高はスマホを素早く仕舞い、窓の外の景色に目を向ける。


 彼等が利用しているメッセージアプリは履歴が残らず、二十四時間後にはサーバー上からも削除される。犯罪者の温床として知られているが、セキュリティの高さ故に帆高達も常用している。


 大阪市内へと流れる景色を眺めながら、帆高はターゲットの情報を咀嚼した。

 天咲あまさきよひら。帆高と同じ、十六歳の高校生だった。



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