「帆高クン、一昨日の任務について説明して頂戴!」
帆高の担任である
「えっと、線路にターゲットを追い詰めたんですけど、タイミング悪く遮断器が下りて、電車が来て……要するに逃しちゃいました、てへ」
帆高が茶目っ気たっぷりに舌を覗かせる。この場面において、男子高校生のおふざけが逆効果なのは言うまでもない。
新原は帆高の脳天に鋭いチョップをお見舞いしてから、大きく息を吸い込んだ。
「念の為に確認するけど、帆高クンの能力って」
「はい。資料にある通り【幸運体質】です。ありとあらゆる幸運が舞い降りるんですよ。それはもうハピハピの毎日で、ラキラキの人生が約束されたエッモエモの能力ですね」
頭頂部をさすりながら、帆高は軽口を崩さずに答えた。癖のあるミディアムショートの黒髪と、着崩した制服。少し垂れた目尻が軽薄な印象にバフをもたらしている。
新原は帆高の性格を知り尽くしているらしく、諦観混じりの声で問い掛けた。
「……そんな子が、たまたま電車に邪魔されたりする?」
「これも巡り巡って、幸運に繋がるかもしれません」
「口だけは達者ね」
怒りで身体が火照ったのか、新原がジャケットを脱ぐ。真夏の日差しが窓から差し込み、空調が効いているとはいえ若干の暑さを感じる。新原は上着だけでなく、ワイシャツのボタンをも解放し始める。
さすがの帆高も目のやり場に困り、視線を窓の外に向けた。
帆高達が通う
進学校は堅苦しい校則に縛られるタイプと、生徒の自主性を重んじる風通しのいいタイプの二種類あるが、下鴨高等学校は後者だ。ゆえに、他府県の生徒からも人気を博している。
だがそれは、あくまでも表向きの話。
下鴨高等学校には、東京都を本拠点とする警視庁警備局の下、秘密裏に結成された組織が存在する。
その組織は特進クラス、通称『
帆高は『夜行』に配属された高校二年生だが、成績は地に畝が生じるほどの低空飛行。肝心の特殊能力もいまいち機能せず、四方から落ちこぼれの烙印を尻に押された人物だ。
新原は眉根を揉みながら、腑抜けた顔の落ちこぼれに苦言を呈した。
「帆高クンがターゲットを取り逃がしたせいで、私は徹夜したんだから」
「それはまあ、お疲れ様としか言えませんな。アッハッハ――」
高らかに笑った瞬間、新原が腰に装着したホルスターから拳銃を取り出した。
帆高は勢いよく両手を挙げる。
「し、新原先生。それは洒落になってないっす」
「そうね、洒落じゃないわ」
「生徒を撃ち殺すなんて、正気じゃないですよ!」
「大丈夫。『夜行』の生徒は入学時に戸籍が削除されているもの。ここで起きるのは、存在しない殺人よ」
新原の瞳は、冗談の色を帯びていない。
これはマズいと悟ったのか、帆高は鈍い音を鳴らしながら見事な土下座を披露した。
「ほんっとスミマセン! 自分が悪かったです!」
「あら、それが遺言でいいの?」
なおも不穏な気配を察した帆高は、勢いよく顔を上げる。
「勘弁してください! お望みとあらば足の裏でもベロ舐めするので! それはもう、指の間まで丹念に――」
瞬間、帆高から数センチ離れた場所に着弾する。
「ほ、本当に撃ちやがった! しかもご丁寧にサイレンサーまで付けて!」
「次は外さないわ」
新原は真っ赤な唇をすぼめ、銃口にふっと息を吹きかける。その所作には色気が漂っているが、硝煙の匂いが帆高の心を冷静にさせた。
「あの、マジで反省してます! 今一度チャンスを下さい!」
帆高が再び額を床に押し付ける。新原はやれやれと言わんばかりにウェーブがかかった栗色の髪を搔き上げた。
「卒業後にこんなヘマをしたら、どうなるかわかってる?」
「……良くて再教育。悪くて殺処分ですね」
帆高は土下座の体勢のまま、そう答えた。
「当たり。ちなみに帆高クンのミスは、間違いなく悪い方ね。公安警察のお偉いさんに眉間を撃ち抜かれてジ・エンドよ」
日本には公安警察が存在する。彼らは秩序を維持するため、犯罪が発生する前に驚異を取り除くのが仕事だ。そのための手段は問わず、時にはスパイとして潜入捜査も行う組織だと認知されている。
しかし、これも表向きの話。
実際は公安警察がスパイとして潜入するのではなく、独自のリストから人員を選定し、敵対組織の中から作業玉と呼ばれるスパイを仕立てあげている。
いわば『夜行』は、日本国家に害を及ぼす能力者に対抗するため、特殊能力を有した作業玉を育成する機関なのだ。
帆高はふんと鼻息を荒くして、床から顔を上げる。
「でも、僕達学生はまだ見習いです。失敗して成長する可愛い生き物じゃないですか」
「そうね。ただ、帆高クンに関しては後に引けない状況なのよ。自分の成績はわかってる?」
促され、帆高は元気いっぱいに答えた。
「はい! 退学にならないのが奇跡だと承知しております」
「……よろしい。では、退学にならない為の任務を言い渡します。大阪府の
淡々と告げられる任務を、帆高は頷きながら記憶する。本来であれば任務の伝達には暗号が用いられるのだが、帆高はまだ教わっていなかった。
「オッケーです。そいつを監視して、作業玉として取り込めばいい感じですか?」
「いえ、今回は確保じゃなくて受け渡しよ」
新原がそう告げると、帆高は短く唸る。
「ってことは……」
「ええ。前にも教えた通り――悪事を働いた能力者は捕獲して、公安警察に受け渡す。これが私達の仕事よ。至ってシンプルね」
新原は肉厚な唇を操りながら、無慈悲に告げる。
「今回のターゲットは、すでに三人の一般市民を殺めている。危険度はS。捕獲時の生死は問わないわ」
◇
職員室に戻った新原は、帆高の資料を眺めながら溜息を吐いた。
「彼の【幸運体質】は抽象的すぎる」
新原が呟く。『夜行』の生徒は、例外なく特殊能力を有している。
例えば、一年生である結城理々
対して、帆高の能力は掴みどころが無い。幸運体質と言い張るにしてはミスが多いし、成績だって最下層だ。それでも退学にならなのは幸運の賜物だと言えるのだが。
「彼の能力に疑いようはないのだけど……」
入学時に、能力の審査は当然行っている。帆高が入試試験で見せた能力は、紛れもなく【幸運体質】としか言えなかった。
前例の無い能力。試験会場となった地下室が異様な空気に包まれる中、帆高は薄い笑みを浮かべながら「俺を殺す気で試してくださいよ」と提案した。
不遜な態度が気に障ったのか、試験官を担当する公安警察官は「この部屋ごとお前を燃やしてやろう」と宣言した。明らかに度が過ぎた対応だったが、能力者とは危険因子そのものだ。迫害されることも珍しくない。止める人間など誰もおらず、帆高は服の上からガソリンを浴びせられ、またたく間に点火された。
誰もが彼の死を予想した。しかし、彼は燃え盛る地下室の中から生還を果たしたのだ。
曰く、たまたま耐火性能のある服を着ていた。スプリンクラーが早めに作動した。密閉空間なので、燃焼に必要な酸素がすぐに無くなった。などの要因を幸運として挙げていたが、新原はにわかに信じられなかった。自身の体質や近くの物質ではなく、事象を操る能力など前代未聞だったからだ。
彼ならば、『夜行』のトップをも狙える。卒業後のキャリアだって明るいだろう。
「でも、買いかぶりの線も否めないのよね」
帆高の稀有な能力は鳴りを潜めている。今やもう、単独で任務をこなせるとは到底思えないほどに。
「昨日は私と徹夜だったから疲労が溜まってそうだけど、理々杏さんにも同行してもらおうかしら……」
新原は不安げに呟いて、スマホのロック画面を解除した。
◇
不規則に揺れる
その空気の中心に鎮座するのは、軽薄な笑みを浮かべた帆高だ。癖のある黒髪を指でいじりながら、隣に座る少女へ軽口を飛ばしている。しかし、緋色のボブをハーフアップにした髪型と黒いワンピースが特徴的な少女は、薄い唇を固く結んだままだった。どう好意的に捉えても、会話が盛り上がっている様子ではない。
「いやぁ、特急なのに始発駅から座れるなんてラッキーだねぇ。さっすが俺!」
そんな空気もなんのその、ぱちんと指を鳴らす帆高。
少女は無視さえも疲れたようで、たっぷりの苛立ちがブレンドされた瞳を帆高に向けた。
「……理々杏はアンラッキーっすよ」
「またまたぁ。そんな暗い顔すんなって。何があったんだよ」
「先輩のせいで二徹確定なんすよ! なんで二年生にもなって、一人で任務をこなせないんすか? 頭すかぽんたんなんすか?」
不服そうに呟く理々杏の目の下には、大きなクマが刻まれている。聞くところによると、昨日もターゲットを確保するために京都の町を駆け回っていたらしい。
しかし、帆高は意に介さず。愉快そうに笑いながら、理々杏の肩をばしばしと叩いた。
「あーあ。このワンピース買ったばかりだけど捨てなきゃいけないっすね」
「こーら。先輩のスキンシップをウンコ扱いしないのッ」
「ウンコのスキンシップはウンコでしかないっすよ」
「あ、俺がウンコなんだ」
重い空気も意に介さない帆高と、城壁を何度も築き上げる理々杏。そんな二人は今、街に溶け込むカップルとして行動を命じられている。ベテランの公安関係者はどれだけ不仲でも感情を偽れるが、経験の浅い二人では成立しなかった。
「……なんかもう、言い返す気力も無くなったっす。先輩なんて殉職しちゃえばいいんすよ」
「そんなストレートに死を願うことってある?」
「人が死ぬなんて、珍しくないっすから」
理々杏は鼻をひとつ鳴らす。そのまま無言を貫き、物憂げに車窓の外を眺めた。
『夜行』の生徒にとって、人を殺す経験は切っても切り離せないものだ。対能力者の任務における無力化とは建前であり、ほぼ確実にどちらかが死ぬ。何度も任務をこなしている理々杏をもってしても、精神が沈んでしまうのだろう。
「確かに珍しくはないな。能力者として生まれてしまった以上、そうなる運命だし」
「……先輩は、今の立場に納得してるんすか」
「その口ぶり、理々杏は納得していないみたいじゃん」
「そりゃそうっすよ。『夜行』の一員として人を殺すか、周囲から迫害されてひっそり生きるか。こんなクソみたいな二択しか存在しないんすよ?」
「まあな。能力者の人権なんて、無いに等しいからな」
「そうっすよ。先輩も、身に沁みて実感してるっすよね?」
「いやぁ、俺はこの生活が案外快適だったりするんだよ。寮は綺麗だし、学食は美味い。おまけに任務をこなせば給料だって懐に入る。あとは素敵な恋でもできたら言うことナシだな」
帆高がへらりと笑った瞬間、ポケットに入れたスマホが震える。
情報収集を請け負っている諜報班からのメッセージだった。
「――理々杏」
「はい。すでに確認したっすよ」
帆高はスマホを素早く仕舞い、窓の外の景色に目を向ける。
彼等が利用しているメッセージアプリは履歴が残らず、二十四時間後にはサーバー上からも削除される。犯罪者の温床として知られているが、セキュリティの高さ故に帆高達も常用している。
大阪市内へと流れる景色を眺めながら、帆高はターゲットの情報を咀嚼した。