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第6話



 ────ドクン。



 肉の塊が、生命に変わった瞬間である。



「──ッ!!!」



 楓等は水から上がったように大きく空気を吸い込んで、目を見開きながら飛び起きた。


「すぅぅぅ、はぁぁぁっぁあぁ…私、死んだはずじゃ…何、これ!?」


 コンクリートの地面に手をついて起き上がろうとすると、地面についていたはずの血が浮き上がり、楓等の指にできた傷の穴に潜り込んだ。

 地面から血の跡が消えると、全身に細かくできていた傷が勝手に塞がり、立ち上がった時には傷一つない最高の体調へと変わっていた。


 まるで身体の時間が巻き戻り、生き返ったかのような。


「…そう、か…私、勘違いしてた。そうだよ、ネクタイがあんなに都合よく千切れるわけない…私はあれから三日間、ずっと死に続けていたんだ」


 恐ろしくなって、己の首を撫でる。その所作は、もはや癖の一つとなっていた。


「もし、ネクタイが千切れなかったら…あのまま何度も、死んでは生き返ってを繰り返して…」


 その絶望のシナリオに一瞬頭を抱える。自身の記憶が曖昧である理由も、その異常な死のループのせいだと仮定すれば辻褄が合うと、楓等は確信を手に入れて顔を上げた。


「…え?」


 顔を上げた先には、野次馬が楓等を囲う様に集まっていた。

 彼らは各々でスマホを掲げ、楓等を撮影している。何故こんな、路上パフォーマンスを見ているかの如く見られているのかと言えば、すぐに見当がつく。


 スカイツリーの展望デッキから人が落ちてきて、しかもその死体が生き返ったのだ。


「そりゃあ、撮られるか…」


 ざわめき、奇異の視線を一身に浴びて、楓等は上を見上げた。

 椛や炎の男が追ってきていないかを確認すると、煙のあがる展望デッキから米粒程度の二人が楓等を見下ろしているのが見えた。


 急いで逃げなくては。

 一歩を踏み出そうとすると、人込みが割れて妙な男が現れた。


「やあ、こんにちは、不治者の少女」


 楓等にはそれを、妙な男、としか形容出来なかった。


 しかし、それは人によっては一目でわかる。フライトスーツに耐Gスーツ、ハーネスや酸素マスクなど、明らかな戦闘機のパイロットであった。

 無論、こんな市街地の真ん中でそんな恰好をする者を「妙な男」と形容する事に間違いはない。

 ヘルメットで表情はわからないが、その声色は穏やかで、変人然とした風貌から想像も出来ないほど柔和な雰囲気を放っていた。


「えっと…あなたは?すいません、私今不審者に襲われていて、危険な状況なんですけど」


 返事を返すと、男は大げさに肩を揺らして驚きを現した。


「おや、これは驚いた。不治者になって間もないのに、もうそんなに冷静なんだね。おっと失礼、僕の名前はレオン・ジェファーソン。君と同じ、不治者だ」


 当たり前のように男は言い放つが、楓等にはそれがあまりに不自然に思えて、眉間に皺を寄せた。


「…え?え?ちょ、ちょっと待ってください。さっきから何ですかこの状況?何か…変なんですよ、私を襲ってきた人達も何故か私の事知っているみたいでしたし……あなたも明らかに私の事知っていてここにきてる。上で私を襲った人達は、あなたの仲間ですか…?」


 そんな楓等の反応に男は肩を揺らして笑い、両手で宥めるようにジェスチャーをする。


「まぁまぁ、落ち着いてよ。僕に君への敵意はないよ」


 しかし、そんな言葉を素直に信じられるはずない。


「今、私が天望デッキから落ちてきたの見てました?いきなり殺されたんですけど」


 レオンという男は冷静に訳知り顔で楓等を諭すが、その平静さはこの異常においてはむしろ反対に作用し、狂気を醸し出ていた。


「いきなり?ふむ、どうやら手違いが起きてしまったようだ。申し訳ない。今日ここへ来たのは、君を誘いに来たんだ」


 男は言いながら、悠然と楓等へ右手を差し出した。その手を横目で見ながら、辺りを見渡して逃げる算段を探す。


「…手違いだがなんだか知りませんけど、上の人達はあなたのお仲間で間違いないわけですよね?それって要するに、どっちにしろ場合によっては殺しにくる計画だったって事で……いや、それよりもなんで私の事、知ってるんですか?」


 楓等はレオンの怪しさを追求する事よりも、時間を稼いで状況を整理する方向へシフトし、質問を投げた。


「それはまだ言えない。だが、僕の手を取ってくれれば、全てを話すよ。この世界の真実を」


 いよいよ怪しい宗教勧誘みたいになってきたな、と楓等は警戒を高める。

 しかし、明らかな不審者三人に狙われている以上、すぐに逃げ出すのは賢明ではない。あと何人仲間がいるかもわからないのだ。警察を待つのが賢明だろうと、さらに会話を繋げる糸口を探す。


「世界の真実?それはどうも、拗らせた若者を誑かすにはもってこいのワードですね」


 どんな言葉がレオンの逆鱗に触れるかわからない。冷汗をかきながら、慎重に様子を窺った。


「ははっ、君は警戒心が強いんだね。聡明なんだろう。では、少しだけ教えてあげよう。君は不治者についてどこまで知っている?」


「…不死身の人間、でしょう?近代史の授業で習いますから、多少は知ってますよ」


「足りないな。全然足りないよ。今の君が、その知識のままここから離れれば、二度と日の目を見る事は叶わないだろうね」


「…どういう事です?」


「いいかい?世界は嘘をついている。その異能も、力の根源も…不治者を殺す方法も…何も知らずにどこへ行く気だい?」


 時間稼ぎのつもりが、気付けば聞き入っていた。さらに魅了するように、男は饒舌に語る。


「五年前、イラクで起きたとある戦争で、一人の男がミサイルによって死亡した。しかし、その男はあろうことか生き返り、不死身の身体と強力な異能を用いて敵味方区別なく殺戮の限りを尽くした」


「…私の知っている話と違う。五年前に生まれた最初の不治者は、すぐにアメリカに保護されたって」


「それは改竄された表の話さ。なにせ、僕はあの戦場にいたんだから。そして、不治者となった戦争犯罪人は未だに逃走を続けており、今この国にいる」


「…不治者の、犯罪者…まさか」


「男の名は、デイビット・マドソン。世界中の権力者が恐れる最悪の不治者さ。けどね、デイビットが狙われている今がチャンスなのさ。いいかい?四年前、今度はアフガンで闇に葬られた不毛の戦争があった。不治者が初めて兵器として戦争に使われた、地獄みたいな戦争だ。私達はアレを『不治者戦争』と呼んでいる」


 四年前に戦争があった事自体、初耳だった。

 楓等が世間知らずなのもあるだろうが、レオンの言葉が真実ならば、恐らくこれも意図的にほとんど報道されなかった戦争。


「知らないのも無理はないさ。この国にいたら、遠い異国の関係のない話だものね。けどね、実はこの戦争には連合国軍が編成されて参加している。もちろん、そこには日本の名前だってある。あの日、不治者の殺し方と、その有用性が証明された。わかるかい?君は今呑気に警察の到着を待っているつもりかもしれないけれど、彼らがここにつけば、今度は君が戦争の道具にされる」


「…そんな、陰謀論めいた事…」


「陰謀論なもんか。現に君は触れただけで陸で溺れさせられ、手のひらから炎を放つ男にここまで落とされた!彼らもね、不治者だよ。我々には、自分を守る力があるんだよ!私と来れば、力の使い方を教えてあげよう!」


 男は語気を荒げ、掲げた右手を力強く振った。そうして楓等にさらに近づき、手を取るよう急かす。


「さぁ!デイビットが狙われている今なら、他の国にだって逃げられる!僕の手を取って!そして不治者となった今の君自身の瞳で、世界を見るんだ!そうすれば、不治者が今どれだけ追い詰められているのかがわかるはずだ!共に僕たちの居場所を創ろう!」


 凄まじい勢いだった。楓等は己の頬に伝う冷汗を拭いながら、冷静に言葉を探した。


「…確かに、安易に警察に頼るのは悪手かも、とは思いました…けど、何か勢いに任せてごり押してますけど、さっきから肝心な事話してませんよね?どうして私の事知ってたんですか?政府が私を戦争の道具に使うって言うなら、あなたは私を何に使おうとしてるんです?…無理です、殺された時点で、信用できないです」


 きっぱりと断ると、男はあっけなく掲げていた手を下ろした。


 さりげなく近づいていた歩を止めて、肩を落として溜息を吐く。



「はぁ…君は賢いな。ところで君、君はあと何回死ねば翻意するかね?」



「は?」



 瞬きなんて、していなかった。


 それなのに、気付いた時には男の上空、空高くから一機の戦闘機が楓等に向かって落ちてきていた。




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