「大変っス~!!」
朝一番、
「今日はなんですか~?」
膝に乗ったピンクの水玉模様の猫、みぃちゃんを撫でていた
呆れたように入り口の方へ視線を向ける。
その時だった。
「ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛……」
みぃちゃんが今まで聞いたこともないような威嚇の声を上げ始めた。
そして、次の瞬間。
シャー、と短く鳴いたかと思うと、真藤くんの頬からパッと血が飛んだ。
「いってぇ!!」
突然のことに頬を抑えてうずくまる真藤くん。
怯えた様子のみぃちゃんは私の足元に身を寄せて、威嚇を続けていた。
逆立った毛のせいでいつもより三割増しの大きさになっているみぃちゃんを抱き上げ、落ち着くように撫でてやりながら真藤くんの話に耳を傾けた。
「つ、ついにあそこの公園も封鎖されてたっス。しかもそこに取り残されてるおっさんがいるっス」
結城ちゃんに消毒液をかけられて顔をしかめながら、真藤くんは南東の方を指さした。
ここ二週間ほど、何者かによって公園が封鎖されるという事件が相次いでいた。
犯行は人目のない時間帯であれば昼夜関係なく起こっているらしく、ここ
そんな怪現象がついに伏木分室の最寄りの公園でも起こったらしい。
しかも、公園に取り残された人がいる。
「
「そうだね。真藤くんはここに残って、
初めて見るみぃちゃんの異常な反応が気にかかったけれど、私は結城ちゃんと連れ立って現場に向かうことにした。
伏木分室から歩いて五分のところにある通称・カエル公園の入り口は黄色と黒の立ち入り禁止のテープで封鎖されていた。
それも、一本や二本ではない。
執拗に何重にも重ねられ、壁のように立ちはだかっていた。
とはいえ、柵の高さは大人の腰ほどなので中の様子は簡単に見通せる。
名前の由来である長く伸びた舌が滑り台になっているカエルは公園の目立つ位置に鎮座し、無人のブランコが小さく風で揺れていた。
そして、二つ並んで設置された赤と青のベンチの青い方に男の人が一人で座っている。
「
ベンチに腰掛けた人の顔を見て、思わず声が漏れた。
名前を呼ばれたことに気付いたのか、男の人がこちらを向いた。
「あっ、香塚さん。おはようございます」
ニコニコと笑いながら木井さんはこちらに歩いて来る。
私はなんとなく封鎖された入り口ではなく柵を乗り越えて公園に入ろうと思った。
「あっ、危ないですよ!」
木井さんが声を上げるのとほぼ同時だった。
バチッと音がして指先に衝撃が走り、思わず手を引っ込める。
かなり強めの静電気を喰らった時のような感覚だった。
「なにこれ……」
「よくわからないんですが、ゲームでよくある触るとダメージを受ける見えない壁のようなものがあるみたいで」
木井さんは困り顔で言うと、自分でもその壁に触れてダメージを受けて見せてくれた。
「香塚せんぱーい、これ、切れません!」
結城ちゃんが声を上げている。
彼女は彼女で立ち入り禁止のテープを無骨な枝切り鋏のようなもので切ろうとしていたが、全く歯が立たないようだ。
他にもハサミやカッターナイフなど、いろいろな刃物が足元に散らばっている。
「ホームセンターで一番切れるやつ、ってお願いして出してもらった金切り鋏なんですけど」
「金切り鋏――あ、チェーンとか切れるあれ? それにしても、結城ちゃん。どうしてそんなにいっぱい……」
「え? 趣味です♡」
どうしよう、この子の趣味がわからないよ!
っていうかこんな大きな金切り鋏、どこに隠し持ってたんだろう。
とにもかくにも、このテープは刃物では切れないらしい。
柵を強引に乗り越えようとしても見えない壁に阻まれるし……八方塞がりだ。
「ところで、
金切り鋏を構えたまま、結城ちゃんが問い掛ける。
勾鬼というのは木井さんのペンネームだ。
「
でも、少し早く着きすぎましてね。時間を潰すのにちょっと公園に入ってみようかなと思ったらこのありさまです」
木井さんの言う「お店」は木井さんがマスターをしている、「隠れ家ならぬ
「ええと……、木井さんが入った時ってこの立ち入り禁止のテープはあったんですか?」
「いいえ。テープもありませんでしたし、見えない壁もありませんでした」
「それは何時ごろでしょう?」
「んー、正確には覚えてませんが、七時をちょっと過ぎたくらいですかね」
だいたい一時間半くらい前か。
「立ち入り禁止のテープが貼られたのっていつぐらいかわかりますか?」
「車にスマホを忘れたのに気付いて、車に取りに行こうとした時だから……公園に来てニ十分とかそのくらい経ってたんじゃないですかね。
その時もこのベンチに座ってて、立ち上がる時に靴ひもを踏んじゃったんです。それで、一旦しゃがんで靴ひもを結び直して、立ち上がったら立ち眩みみたいになっちゃって。
真っ暗になった目の前が元に戻ったらこの状態でした」
言われてみれば、木井さんの車が公園の入り口の歩道に半分乗り上げるような形で路駐してある。
靴ひもを結んで、立ち眩みになって元に戻るまで――せいぜい一分くらいだろう。
その間に何者かによって公園が封鎖された。
「ちなみに、木井さんは立ち入り禁止のテープが貼られる前後で怪しい人影とか見ませんでしたか?」
「わぁ、香塚さんなんだか刑事さんみたいですね!
残念ながら僕が見ていた範囲には人っ子一人、いやそれだけじゃなくて、犬猫やカラスさえいませんでした」
あ、そうだ! と木井さんが声を上げる。
カバンをがさごそと探ると、車の鍵や家の鍵がひとまとめになったキーケースを取り出した。
「この先の手押し信号がある交差点を左に曲がって四件目か五件目の空き地になっている所に店が来ているはずなので、臨時休業のお知らせを出してきてもらえませんか?」
言いながら、木井さんはキーケースを私たちに向けてアンダースローで投げて渡そうとする。
鍵は当然のように見えない壁に阻まれ、軽い金属音を立てながら地面に落ちた。
「と、とりあえずわかりました。
結城ちゃん、私お店の方に行ってくるから小津骨さんと真藤くんに連絡して応援に来てもらって」
「はい、わかりました!」
私は木井さんから聞いたお店の場所に向かう間も、どうやったら木井さんを救出できるのか必死で考え続けた。
「すみませんっ、ますたぁきい、本日臨時休業です!」
私が木井さんのお店の前に到着した時には、すでに十人ほどが店の前で列を作っていた。
前に私たちが行った時にはガラガラだったのに……。
今日の立地がいいからだろうか?
列を作る人たちに声を張り上げて臨時休業を報せるけれど、私の方に目を向ける人はいない。
まるで、私の声が聞こえていないみたいだ。
「ますたぁきい、休業です!!」
負けじと声を張り上げながら、列の先頭へ回り込んで「本日休業」の張り紙をしようとした。
その時だった。
「お待たせしました。開店です」
カランカランとベルの鳴る音がして、店の入り口が開いた。
そこに立っていたのは、公園にいるはずの木井さんだ。
木井さんは私には目もくれず、列をなすお客さんたちに声を掛けた。