湿った風が大地を這うように吹く。
湿り気を含んだ骨の体で、泥の中から立ち上がる。
足元にいるカエルか何かに怒りを感じ踏みつぶす。
数回踏むと、息絶えたようだ。
命を奪う事で僅かに気分が落ち着く。
ここはどこだ?沼地か?
背の高い葦のような植物が、周りを囲んでいる。
空を見上げると、星と白い月が見えた。
黒い月は姿を隠しているようだ。
俺は確か
オーガに粉砕されたはずだ。
そして声を聞いた。
前にロジェに倒された時も、かすかに聞こえた。
しかし、それ以上は思い出せん。
体を確認する。
手も足もしっかりと存在し動く。
ならば問題など何もない。
闇夜の先に赤い光が見える。
俺の体はそこに向かう。
生者がいると確信して
遠目で炎が上がっているのが見える。
周りはずっと湿地だったが、そこは丘になっていた。
湿った地面の中から突き出した不自然な隆起だ。
焚火にしては大きく、火事にしては延焼していない。
おかしいな。
だが生きた人間を捕えた俺の視界も炎のように赤く燃え上がる。
走り出したい衝動を押さえ、俺は赤い影を数える。
九、十、十一。遠くに後二人。
大きな焚火と、その周りにいる十一人を迂回し、遠くの二に向かう。
なんだ?
焚火を取り囲むように柵をしている?
中にテントなどがあり、炎に祈っているのか、夜なのに皆で炎を囲むように車座になって座り、揃いの赤装束のフードを地につけるように頭を垂れている。
炎に祈る姿。
それを見て、襲い掛かりたくて震える手足を押さえ、気配を消して歩く。
二人の元にたどり着く。
炎のゆらめきの中に静かに佇んでいるのか。
見張りとは違い、大きな旗の元で炎の方を向いている。
旗は赤字に白抜きの炎を象ったもの。その下に二匹のヘビが巻きついて炎を支えているようだ。
「何かの儀式なのか?しかし、ディクト教内でこのような事がゆるされるのか?」
そんな事が頭に浮かんだが、俺は進む。
足場は相変わらず湿地だ。
いいことを思いついた。
俺は一気に距離を詰め、旗の元にいる一人に飛びつく。
口を押さえ、泥の水たまりに飛び込む。
そして抱きつき、コイツの頭を泥の中に埋める。深く。
もう一人が俺を引き離そうと何かしているが、もうすこしだ。
もがき、あばれ、掴むコイツに抱きつく。
いいだろう。お前が息絶えるまで、その抱擁に付き合おうではないか。
気配のない炎。魔法だと気づくのに時間がかかった。
俺の目は迫る火の玉を捕えた。
火の魔法か?
足元では地面が赤く輝いた直後に火柱が高く上がる。
後方に飛んで避けたが、片足が黒く焦げた。
煤けた臭いがするが、動きに支障はない。
遠くから火の玉を打っている集団に向け、俺は走り出す。
泥から抜け、丘の上を走り、滑り、火の玉や火柱を躱す。
大きく広がる真っ赤な火炎放射は躱せない。
炎は無数の舌のように踊り、黒い夜空に赤い痕跡を残した。
熱波が肌のない俺の骨にまで届き、音もなく焦がしていく。
だが、骨の髄までは焦げてはいない。
しかし、後ろに控える赤い男はなんだ?
赤いローブに鉄の扇を広げ、こちらを見ている。
指揮をしているのか?
それよりも、赤い影から湧き上がるように、にじみ出る煌めく赤い光。
ロジェの青い光とは違うが、忌々しさを感じる。
その前に魔法を打ってくるこいつらをやる。
十分に接近すると、槍を構えた二人組が俺の前に立ちはだかる。
俺は二本の槍をあばらに受ける。
しかし、穂先は肋骨を捕えられず、肋骨の隙間に食い込む。
逆に俺の肋骨から抜けないようだ。
槍を持つ手を離せばよいものを。
槍を手放さない一人の、その慌てる顔に指を揃えた突きを叩きこむ。
まずはひとつ。
歓喜を感じながらも、残った赤い影を睨む。
なぜだ?魔法が飛んでこない?
鉄扇のローブ男が扇を広げ、何かを叫んでいる。
そして、鉄扇をヒラヒラとしながら前に出てくる。
いいだろう、まずはお前からだ。
広げた扇を両手でパンと閉め、俺に会釈をした。
何の真似だ?
しかし、全身の骨に掛かる圧力が強い。侮れん。
俺は僅かに腰を落とし、すり足で近寄る。
相手も扇を滑らかにするりと広げ構える。
二秒ほど見合ったか、俺は鋭く踏み込み拳を叩きつける。
拳はフェイントだ。
狙いは踏み込みと同時に相手の足を踏むことだ。
うまく踏めたが、骨は折れていない。手ごたえは軽かった。
拳を開いた扇で見事に受け流していたが…何?
直立の姿勢になり、扇で口を隠している。
僅かに扇いでいるのか?赤いローブのフードが揺れている。
俺は湧き上がる怒りを押さえ、脱力し攻撃する。
拳で殴り、指で突き、足で蹴り、頭突きをする。
鉄扇がふわりと揺れたかと思うと、風が渦を巻くように俺の拳を捉える。
赤いローブが闇の中で滲む幻影のように動き炎のように揺らめく。その動作に目を奪われた瞬間、俺の指の骨が砕けた。
赤いヤツも体も扇もヒラヒラと動くが、手足を狙った打撃は当たっている。
その後も攻防が続くが、息の切れない俺の攻撃にいつまでついてこれるかな。
少しだけ、息苦しいのだろう。口が開きだした。
俺の突きをしゃがんで躱した赤いヤツは、手を開いた。
暗い。
一瞬、燃え盛る大きな焚火が消えた。
赤いヤツの手から、炎が上がる。
いや、違う。
周囲は燃えていない。
俺だけの周りが燃え盛っている。
俺の周囲十センチほどが、煌々と光を発している。
それでも、攻撃しようと伸ばした手が粉々に崩れ、灰となって舞う。
体と共に俺の意識も灰となり、散り散りになった。
「まだ『炎の国』相手は無理か。次だ…」
消え去る意識の中で、声が聞こえた。