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黒服の男

 太陽が沈み、黒い月が中点にある。

 黒い光は柔らかい影を墓地に落としている。

 先程の冒険者達を骸にした事を祝福するように、風のない穏やかな静寂が訪れていた。

 虫も鳥も声をひそめ、土に染み込む死者の血の流れ出る音が聞こえるようだった。


 しかし、何かの羽ばたく音が響き出した。

 数匹のコウモリが墓地に飛来し、輪を描くように宙を舞う。

 どこからか飛来するコウモリたちが加わり、次第に数が増え、地上に降りてきた。


 なんだ?鳴き声もなく、赤く見えないコウモリの群れ。

 たとえ、小動物であろうが、昆虫であろうが、俺の目には赤く映る。しかし、あのコウモリたちはそうではない。以前から、たまにこの“生きていない”コウモリを見たことがある。


 地上で輪を描いていたコウモリたちは四散すると、その中心部に闇のわだかまりがあった

 その中から、黒いスーツの男が出てきた。

 真っ黒な細身のスーツ上下に、白いドレスシャツ。首元にはひも状のポーラータイ。襟元に留め具の赤い宝石。


 その男も赤くない。生者ではない。

 しかし、ゾンビには見えない青白いが、損傷の無い整った顔立ちに、真っ赤な目と唇。尖った耳。

 そしてニヤけた形の閉じた口からはみ出している鋭い犬歯。

 知ってる。

 吸血鬼やヴァンパイアと呼ばれる存在だ。


「お前たち」


 吸血鬼が口を開いたと同時にエッジが切り掛かった。

 明らかな強者の出現、エッジの行動は理解できた。


「ほう」


 そう言いながら、いつのまにか握っている赤いレイピアで軽々とエッジの二本のシミターを受け流す。


 エッジは舞う。

 嵐のような斬撃の連続から刺突を織り交ぜる。

 顔面から胴体、足首や手の指を正確に狙った攻撃すらもレイピアの刀身とクロスガードやナックルガードで悠々と弾く。

 真っ赤なレイピアは時にしなり、時に強固にシミターをはじき返す。


 もう俺の目には追えない速度の攻防が繰り広げられていた。

 刃物の作り出す風と、金属同士が奏でる澄んだ音だけが響き渡っていた。

 それも突然終わり、エッジは飛びのいて吸血鬼と距離を取る。

 二本のシミターを鞘に戻すと低い姿勢を取る。

 何をするか理解できた。


 居合だ


 張り詰めている空気が肉体のない体にピリピリと刺さる。


 吸血鬼は、にやけた顔でレイピアの切っ先をエッジに向けている。


 音が消える

 時も止まったのか、風も吹かず、空気も停止している



 黒い月が煌めいた


 刹那


 エッジが音もなく踏み込み、何かを切った。

 抜刀の瞬間は見えなかったが、剣を抜き放ち、残心の構えから再び鞘にシミターを納める。


 吸血鬼のレイピアは、根本から切断されていた。

 そして、少しの間をおいて吸血鬼の体も斜めにズレた


 しかし


「見事な一撃だ。その意気やよし」


 出血の無いズレた体は、重力に逆らうように、するりと元の位置に滑り戻った。傷口は赤い光を放ち、瞬く間に閉じられる。吸血鬼の目がさらに赤く輝いた。

 彼の目がエッジを見据え、次第にその唇が何かを語り出そうとしていた


 エッジは静かに俺の隣に戻ると、一瞬の間を置いて構えを解いた。

 何かわからないが、決着がつき、共に話しを聞くようだ。


 ・・・



「お前達、我が配下となり、共に生者を倒さないか?」


 配下か。生者を倒すというのには、魅力を感じる。

 この推定”吸血鬼”、そしてエッジと共に街を襲い、生者を蹂躙する光景を思い浮かべる。

 悪くはない。


 そんな思考をしてから、隣に立つエッジを見る。

 半分口を開けたような姿で固まっている。

 なにか、こう…

 俺の感覚では、彼は「戦い」にしか興味がないように思う。

 他のゾンビやスケルトン、そして俺のように生者だからと闇雲に襲い掛かるようなことはない。

 しかし、今の話自体を聞いていなかったのでは…。


「そこのお前、何か言いたそうだな。喋れない体は不便だろう。そうだな…」

 組んでいた腕の片方をあごにあてがい、考える姿の吸血鬼。

 しばしの思考の後に、片目だけが赤く光り笑う。

「くっくっく。能力を授けよう」

 近寄る吸血鬼に、俺は身構える。

 吸血鬼が何か言おうとする前に、エッジが肩に触れた。

 まるで「大丈夫だ」とでも言うように。

 剣を交えて、何か相互理解をしたのだろうか。

 俺にはよくわからんが…エッジがいるから、不意を突かれる事はないか。


 大人しくしていると、吸血鬼が頭に触れた。エッジの頭にも触れている。

 しばらく触れていると、何かが俺の頭の中に入ってくる感覚がある。

 そして口を動かしていない吸血鬼の、その声が頭に響く。

「どうだ?隣のヤツにも触れてみろ」

 俺はエッジの肩に触れた。

「よう、兄弟。コイツは案外信用出来ただろ?」

 エッジの口調は思っていたよりも軽い印象を受けた。

「そうだな。で、どうする?配下になるか?」

 俺の問いにエッジは軽く肩を竦めた。

「お前に従うぜ。俺は『強い相手』と戦えれば文句はない」

「そうか。墓地を離れるが、いいんだな?」

「ああ、お前もこの黒服も強いしな。退屈はしないだろう」

「では、決まりだな。おい、黒服。聞こえているな?」

 ずっと俺たちの頭に触れている吸血鬼を見る。

「ああ、先に、この能力を与えたが、無駄にならずに済んだ。では、移動しよう」

「何処へ、だ?」

 吸血鬼は少しの間、俺たちを見つめていた。

「くく、我が屋敷だ。そこで我が計画を話す。楽しみだな…」



 吸血鬼は振り返り背中を見せた。

 何かの呪文を詠唱している。

 水面に水滴を垂らしたように、虚空に一度、波紋が広がる。


 吸血鬼は微かな笑みを浮かべ、揺らぎを作り出す前に一度、深く思案する。

「くっくっく。私の能力ならば、発声をさせることもできたのだが、予想以上の知能の高さだ。この素体、単に無能な死体ではない。いざとなれば強制的に服従させ、手駒にすることもできるが…貴重だ、面白い。」

 その後、揺らぎが生まれ、吸血鬼は動きを止めた。内心ではさらに計画を練りつつ、二人を虚空に沈ませる準備を整え始める。

「くっくっく、この先が楽しみだ。私が与えた能力、どこまで理解できるか――」

 吸血鬼の思想が少しだけ漏れ出していた。

 その思考はスケルトン達に届くことはない。振り返ることなく、吸血鬼は揺らぎを完了させた。

「では、ついてこい」

 そう言うと抵抗なく体を沈ませる。

 俺とエッジは顔を見合わせた。罠の可能性もあるが。

「まあ、行くか。俺から行こう」

 そうして、吸血鬼の後に続き揺らぎに入った。


 死体の散乱する墓地に、再び静寂が訪れた。

 黒い月の下に、コウモリはもう飛んでいなかった。

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