第四〇三銀河、シュテルヒェンフルス星雲。
遥か宇宙の彼方にも、悪は蔓延っており、可能性の世界とされる太陽系「地球」という惑星に、救いの戦士を求めてやってきたのがララ・エインエンゲルであった。今は人間の少女の姿をしているが、元々は猫耳とうさぎ耳を併せ持つふしぎないきものだったらしい。
(猫耳とうさ耳って……え、つまりララちゃんは)
「所謂魔法少女ものによく出てくる『ふしぎないきもの』だったの!?」
「そうにゃ」
「だからこんな喋り方なんだよ」
なんだか納得してしまった。
「オレが謎の生き物のお願いを素直に聞く純朴な少女じゃなかったのが運の尽きだな」
「むう! 運は尽きてないにゃ。ララが変身できるようになったから結果オーライにゃ」
今時「ふしぎないきもの」が魔法少女に変身するのも珍しくはないが、シオリの言い回しはどこかニヒルで意地悪な雰囲気が漂う。
そういえば、変身アイテムを「パクった」と言っていた。「真似した」ではなく、まさか。
「変身アイテム、『盗んだ』の?」
「まあね。だってただ受け取ったら魔法少女になるのを了承したみたいになるじゃん? そんな気分じゃなかったんだ」
「気分って」
「ショックな出来事があった直後だったんだ。心が完全に折れてた。そんなんで正義のヒーローとか、世界の救世主とかやるわけないだろ」
すらすらとシオリが述べた。その言葉に、歌折は余計なこと言ったかな、と反省する。
盗むのはどうかと思うが、いきなり「世界を救ってくれ」と言われても、応じられないのが普通だろう。心が上向きじゃないのなら尚更。
「あんたにも関係あることだぜ、由比歌折」
「え」
名前を呼ばれ、息を飲む。
サングラスの奥、瞳の色は伺えないが、明るくない表情をしているのはわかった。
「オレは、あんたの
「っ!」
口元を押さえる。
あのライブ。人が死んだライブなんて、一つしかない。忘れようがない。息を飲む音が悲鳴みたいにひきつって、不快な旋律を紡ぐ。こらえていないと涙が出そうだ。
シオリは歌折の様子に気づいて、短くごめんと呟いた。思わず上擦ったらしい声を意識して低める。
「あんたを責めたいわけじゃない。そもそも、あのライブの人死にに、あんたの責任なんて一欠片もありやしない。あの殺戮を仕掛けたのは、『グリムローズ』なんだから」
「……『グリムローズ』って、さっきの?」
ああ、とシオリは苦い面持ちになる。
思わぬ情報だ。犯人がわかっているのなら、警察に言って、捜査してもらうこともできるはず。歌折の中に微かに希望の光が射す。
が、それはシオリに遮られた。
「ただの警察機構じゃ、ヤツらの尻尾なんて掴めねーよ。アレはそれこそ『魔法少女』とか、そういうのじゃねーと対処できねー分野だ」
「そうなの?」
「『終ワラズノ騎士ハスク』——さっき来てた甲冑騎士、アイツがどうやってあの数の甲冑動かしてたか、LiLiなら気づいたんじゃねーか?」
シオリの指摘に、歌折ははっと思い出す。
あのときは必死で、さして不思議にも思わなかったが、甲冑騎士の剣を使えるようにする方法がわかっていた。支配を——所有権を、自分のものにすれば良い、と。
それをLiLiパクトで成したが、どうしてそれがわかり、できたのかの原理は判然としない。けれど、一つ言える。
あのとき書き換えたのは「薔薇を啄む魔女の刻印」だ。
「あの刻印を媒介にして、物を動かすとか? ……超能力ってこと?」
「ご名答。科学では説明がつかない。超常現象だ。科学捜査を主とする警察機構じゃ、お蔵入りしちまう」
「だからララたちが戦うのにゃ!」
ララが力強く拳を握ってみせる。
「アイツら、アイドルのライブを滅茶苦茶にしただけじゃなくて、そのアイドル本人……カオリンのことも狙ってるかもしれないにゃ」
「私を? そういえば、発見したから捕らえろみたいに言ってたけど……」
甲冑から聞こえた声を思い出す。状況的にも、捕らえる目標が歌折だったと考えるのが順当だ。
けれど、歌折は狙われる心当たりがない。そもそも「グリムローズ」という名前も今日初めて聞いた。
「由比歌折には『永遠』の素質があるって思ってんだ、アイツら」
「永遠の素質?」
「ん。あんた、アイドルやって長いだろ? 人気にも見た目にも翳りなんて全然ないからな」
普通なら、照れたり、へりくだるところなのだろうが、少し複雑な気持ちになる。
なんとなく、ロクなことじゃない予感がしたのだ。
「グリムローズは『永遠』を求めて研究やら侵略やらをしてる。老いない、廃れない、変わらない、三拍子揃ったあんたを『永遠』の手掛かりとして狙ってる」
捕獲して、研究かなー、とシオリはわりと軽い調子で告げた。カオリンが怖がってるにゃ! とララがシオリの頭を叩く。
いてっと反応し、シオリは歌折の顔を見た。ごめん、と軽く謝る。
「怖がらせるつもりはなかった。でも、迂闊に出歩かない方がいい。『ゆいぴゃ』としても世間から注目を浴び始めてるあんたが、どうしてこんなリサイクルショップまで来たかは知らんが、バーチャルアイドルなら部屋に籠ってもやれる。しばらく外出は控えた方いいぜ」
「……うん」
歌折は素直に頷いた。表情が暗いのは、気を悪くしたからではない。シオリの言う通りだ。危険な目に遭うのを回避できるなら、籠っていた方がいい。観客と顔を合わせる生ライブなんて、もってのほかだ。あのライブの二の舞なんて、演じたくはない。
ライブの事件の犯人が関わっているというのなら尚のこと、あのときと同じことがある可能性だってある。ファンが死ぬのを、もう見たくない。
「あ、でもでも、カオリンはララを尋ねてきたんだにゃ。一体どういう依頼だったにゃ?」
「……もういいの。今日はありがとう。私、帰るね」
「えっ」
ララの問いかけに申し訳なさそうな笑みを向けつつ、歌折はリサイクルショップから去る。
「一人じゃ危ないにゃ!」
「マネージャーさんに迎えに来てもらうから平気よ」
心配してくれるララの様子が嬉しかったが、歌折は足早にリサイクルショップを後にした。
ライブを見てほしい、なんて言えなかった。
◆◆◆
女性が一人、車を走らせていた。ペールブルーの車体が目に優しい平凡な軽自動車。少し色が抜けて赤茶けて見える黒髪を項のあたりで軽く縛り、パンツスーツ姿。佇まいだけで「できる女」というのがわかる。
「……由比さんに振り回されるのも、慣れたものです。まあ、時期が時期なので、外出するなら一声かけてほしかったですが……」
そんな独り言を紡ぐ彼女の名は早乙女和葉。スーパーアイドル「カオリン」のマネージャーである。
迎えに来てほしい、と歌折から連絡を受け、車を走らせていた。歌折も年齢は二十歳を超えており、自動車運転免許は持っている。が、運転席に座るのが由比歌折だとバレた場合、車はあっという間にファンに囲われ、発進どころかエンジンをかけることすらままならない。
公共交通機関も危険だ。十年以上、トップアイドルをやっている歌折。それと共に歩んできた早乙女が遠い目をしたくなるほど、あまりに色々なことがあった。
熱烈なファンという体の実質的なストーカーが、公共交通機関の利用歴から自宅を特定したこともある。しかも本人が突撃するのでなく、ネットにばらまかれた。ただカオリンのネットファンは民度が高いのか、突撃してくる輩はおらず、早乙女の迅速な対応で晒した本人は処され、ひっそりと引っ越しをし、事なきを得たが。
大事件に及びそうなとんでもない出来事に見舞われ続けた歌折は、気丈に振る舞うものの、ある程度自分を抑え込むようにしている。あまり自分の欲求を口にしない。
『アイドルは「やりたいこと」だから』
つらくないし、苦しくないよ。他に何もいらないとは言えないけど、なんて笑う彼女を、和葉は十年以上、そばで見てきた。
出会った頃は十一歳だったか。あの頃からどこか完成された不思議さを持つ少女だったが、我を出すことが少なかった。
だからこそ、突然「バーチャルアイドル始めたい」だの「自分で曲作りたい」だのと我が儘を言われると、応えたくなるのだ。
好きなようにやってください。あなたは自由でいるときが、一番輝いていますから——早乙女はそう告げて、大抵の無茶振りをフォローする。
それがマネージャーの役割だと信じている。
ただ、少し気がかりだった。
「電話の声、少し落ち込んでいた気がするのですよね」
歌折らしくない、暗い声。少し苦しげな声。
出かけた先で何かあったのだろうか、と不安になる。無茶に応えるのも、マネージャーを続けるのも、あんな事件があって尚、アイドルを辞めろなんて言わないのも、歌折が笑顔でいることを望むからだ。
目の前で夥しい数の人の死を目撃してなお、あの子は歌いたいと言った。「歌わないのは私じゃない」と。
尊敬する。神々しいとさえ思う。だから、その心が翳るようなことがあるのか、と不安が立ち込める。
……メンタルケアも、マネージャーの仕事ですね。
目的地が見えてきたところで、そう思い直し、短く息を吐く。
ピシャァン!!
「っ!?」
フロントガラスが割れた。細かい破片が飛び、急ブレーキを踏みながら、顔を伏せる。
止まれたかどうかもわからないうちに、身体中をひどい痛みが走る。死を感じるほどではないものの、早乙女の意識はふつりと消えた。
情報通り、と茨の鞭で早乙女の体を絡め取った少女が、マゼンタのツインテールをひらひらと揺らしながら、不敵な笑みを浮かべる。
「さあ、いらっしゃい、エターナルガールとやら。フィアの発明品なんかに、アタシが負けるはずないんだから!」