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第14話 夏休み

 大学では夏休みに入った。日向はサークルで合宿に行くという。

「京都の抹茶は美味しいのかな、怜さんに八ツ橋買ってくるね」

「ありがとう、ひなは抹茶が好きだったな」

「怜さんの方が抹茶感あるのにね」

「だから抹茶感て何なんだよ……フフ」



 京都というだけで街並みに感動している日向。

「日向って本当に可愛いところあるわよね」

「亜里沙? 何か言った?」

「ううん、何も」


 そして京都の某有名な城で練り切りの和菓子と抹茶をいただいた。時間がゆっくり流れていく。何も考えずに景色だけを見ているこの時間はとても貴重に感じる。日頃の慌しさから解放されていく。ふわりと浮かんでいるような感覚。怜のバーとはまた別の、落ち着いた雰囲気があるなと日向は思った。


「さっき怜さんのバーのこと考えてたでしょう?」

 お茶をいただいた後に亜里沙が言う。

「うん……ちょっと考えてた。外の景色見ながらっていうのも、気持ちが穏やかになるね」

「分かる! たまにこういうところでゆっくりする時間は必要よね」



 合宿から帰ってきた日向は早速、怜のバーへ行った。

「怜さん! はい八ツ橋」

「ありがとな、ひな。合宿は楽しかったか?」

「うん! 僕、京都は初めてだったんだ。あんなに情緒があるとは思ってなかったよ」

「それは良かったな」


「で、夜はみんなで居酒屋行ったんだけど、色んな人に僕の好きなタイプはどんな人かって聞かれちゃって」

 ここまで可愛い日向だ、やはりモテているのか? と怜は思った。

「10歳以上年上でもいいって言ったら、みんな引いちゃった……」

「ハハハッ」

「笑わないでよ、怜さん……あまりにも言われるから正直に言っただけだよ」


「いや……ひなのこと気になる子って多いんだなと思ってさ」

「そうかな、その後亜里沙が『恋愛に年齢は関係ない』って言ってくれたからどうにかなったけど」

 亜里沙が慌てて言っているのが思い浮かぶ怜であった。彼女には日向と怜のことが分かってそうである。


「ところでひな、前言ってたここでのアルバイトはどうする?」

 そうだ、夏休みだけならこのバーでアルバイトしてもいいんじゃないかと前に怜と話していた。

「うーん……やってみたい!」

「わかった。夏休みを取っているメンバーもいるから助かるよ」


 アルバイト……緊張するけど……怜さんがいるなら大丈夫……! そう思いながらいつも通り日向は2階へ行く。

「八ツ橋、いただこうかな」と怜が日向からもらった八ツ橋を冷蔵庫から出した。

「美味しそうだな」

「あ!」

「どうした、ひな」

 日向はその八ツ橋を一つ取って怜の顔を見る。


「はい、あーんして」

「おい! ひな……それは……」と怜が苦笑いしている。

「やってみたかったんだよ、けど恥ずかしいよね」

「いや……構わないけどさ」怜が照れながら言う。日向がぱっと笑顔になった。

「あーん」

 この年で八ツ橋を食べさせてもらうなんて思ってなかったな……と怜が思った。だけど、目の前にいる日向の笑顔が見たくて、そしてそんな日向がとても愛しく感じる。


「怜さん美味しい?」

「美味いよ」

「良かった」

「ひなも食べるか?」

「え、いいよそれ怜さんのだし」

「フフ……今度は俺が食べさせてあげようか?」

 日向は驚きながらも嬉しさが隠せないようで首を縦に振っていた。


 あーんして、と言われて怜に食べさせてもらった八ツ橋は、自分で食べるよりもずっと甘くて優しい味がした。

「怜さんに食べさせてもらったら、こんなに美味しいんだね」

「そうか」

「じゃあ……またこのぐらいのおやつ買って来たら『あーん』できるね!」

「は?」

「何があるかなぁ、うーん……」


 またこういう事をするのか……? と思った怜であったが、それでも心のどこかでワクワクしている自分がいる。

「やっぱり見ていて飽きないな、ひなは」

「ん? どうかした?」

「フフフ……ありがとな、ひな」

 怜が日向を抱き寄せた。



 ※※※



 日向が怜の店でアルバイトを始めた。ウェイターとして緊張している姿がまた可愛いと年上のお姉様方に大人気であった。

「働くって……大変なんだね」と日向。

「そうだろう? ほら、あそこのテーブル呼んでるぞ」

 怜に言われ、日向がテーブルに向かった。


 改めて店を仕切っている怜を見て、日向は尊敬の眼差しを向けた。何て格好いいんだろう……テキパキしているけれど、抜け感というのか、程よくお客さんに対応しているのが大人の余裕を感じさせる。常連の人も多いようだ。よく来る女性客がいると日向はつい怜の方を見てしまう。

 何も……ないよね?


カクテルを取りに行くついでにカウンターにいる常連客の女性の話を聞いてみると……仕事の愚痴のようだった。

 何をやっているんだろう、僕は今の時間はバイトしているんだから……



 ドアの開く音がする。

「いらっしゃいませ」と日向が言うとそこに亜里沙と景子がいた。

「あれ? 日向じゃないの」と亜里沙。

「ああ……夏休みはバイトしようと思って」

「そうなのね、じゃあ2人で」

「カウンターへどうぞ」


「ねぇ怜さん、日向くんなかなかウェイター似合っているじゃない」と景子が言う。

「そうだな」

「あそこのテーブルの女性陣、みんな日向くんを見ているわよ」

「可愛がられているからな」

「怜さん……気になっているんじゃない?」と景子が言う。

「ちょっと景子ったら、あ、怜さん注文! いいですか?」と亜里沙が言う。


 気にならないと言ったら嘘になる怜であるが……日向もそこはうまく切り抜けているようである。

「酔った勢いかな? あの人にうちの娘と合うんじゃないかって言われちゃった。笑って誤魔化したけど……こういうの多そうだね」と日向。

「仕方ないな」

「怜さんも何か言われたことあるの?」

「まぁ……それは……」

「あ、あそこのテーブル行かなきゃ」

 日向はとことこと向かっていった。


 ようやく落ち着いた頃、

「ひな、今日はもう大丈夫そうだ。あの子達もいるから一緒に飲むか?

「いいの? ありがとう」

 日向はそう言って着替えてから亜里沙と景子の所に行った。


「お疲れ様、日向」と亜里沙。

「ありがとう」

「日向くん、毎日ここでバイトを?」と景子。

「毎日じゃないけど、大体は」

「日向くん目当てで女性客も増えそうですね、怜さん♪」と景子が怜に言う。

「ハハハ……夏休みだけだがな」

「僕そんなに良かった? 怜さんの方がちゃんとしているのに」

「色々な客がいるからな。少しの間だけでも、日常を忘れて楽しく過ごしてもらえたら……それでいいさ」


 今の言い方、格好いい……怜さん、格好いい……と思いながら日向が怜をジーッと見ていた。


「分かりやすくて本当に見てて飽きないわ、あの2人」と景子が亜里沙に言う。

「そうね……羨ましいな、日向にあんなに見つめられて」

「……まだ立ち直るのに時間はかかるのね」

「大丈夫なんだけど、仲良さそうな2人を見るとやっぱり……」

「そうね」


 それから4人で色々と話し、亜里沙と景子が帰った。

 景子がこっそりとバーの中を覗くと怜と日向が2階に行く様子が見えた。

「へぇ……なるほどね」

「景子、どうしたの?」

「何もないわよ、さぁ帰りましょっか♪」


 2階が怜さんの部屋といったところかしら。そこでいつも過ごすのね……何だか素敵ね。格好いいバーテンダーのおじさまに、この後2階に来るか? なんて言われるんでしょうね。そういうの……憧れるわー!


 景子がニタニタしながら言う。

「もしもよ……日向くんと怜さんが別れたら、日向くんは亜里沙と、怜さんは私と付き合えるってことよね?」

「景子……何を考えてるのかと思えば……ああいう思考の人が簡単に女性を好きになるかどうかはわからないわ」と亜里沙。

「あら、あの2人がLGBTのBである可能性だってあるのよ?」

「B……男性女性関わらずってことね。それでも駄目よ。あたしは……2人を見て確かに辛かったけど……あのままうまくいってほしいとも思ってる。あんなに日向が嬉しそうだもの」


「亜里沙……そうよね、ゴメン」

「ううん、だけど景子……怜さんのことけっこう気に入ってるんだ」

「ちょっと憧れただけよ、バーで……というシチュエーションがいいなって思っただけ」

「そっか。確かに……憧れるわね」

 いつか大人の恋愛をしてみたい、そんなことを考える2人であった。



 ※※※



「ねぇ怜さん」2階で日向が聞く。

「ん?」

「その……怜さんがお客さんの誰かに何かこう……誘われたり、好きみたいなことを言われたことがあるのかなって思って」

 こういう雰囲気のお店だ。そして格好いい怜さん……僕でも客から「自分の娘を」と言われたぐらいだ、怜さんにアプローチしてくる人だってきっと……


「フフ……気になるか」

「……」

「あると言えばあるが……大概翌日になったら忘れられてるものだ」

「そうなんだ」

「それに……気づくんだよ。俺が……」

 俺がそこまで話を聞いていないということに。大勢いるから一つ一つを真剣に聞いているわけではないからな。客は話を聞いてもらえたらもう十分といったところ。


 だから……ひなみたいに6年経っても、俺なんかを覚えてくれていたことが嬉しかった。自分では大したことはしていないと思っていても、それを本気で受けとめてくれる人だっているんだな。


「怜さん……どうかした?」と日向。

「いや……まぁ相性っていうものもあるだろう? だからそのうち店には来なくなる客だっている。ただ、6年経っても忘れずに来てくれたのは……ひな、お前だけだ」

「怜さん……」

「だから、何も心配するな」

「うん……」

 日向が怜に抱きついて嬉しそうにしている。


「俺だって女性客に人気のあるひなを見て、何とも思わないわけないさ」

「え?」

「こう見えて、すごく心配してるぞ」

「へぇ……じゃあ頑張って人気者になろうかな?」

「そう来たか」


「怜さんが僕のこと、もっと気になってくれるように……なんて」

「頑張ってくれるのは助かるが、中には困った客もいるから気をつけるんだぞ」

「はーい。その時は怜さんに助けてもらうもんね」

「おい、ひな……フフ」

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