あの時、僕は初めて一目惚れをした。
これまで僕が、自分から人を好きになることはなかった。勝手に向こうから言い寄られ、付き合い出すものの……割とすぐに別れを切り出されるのだ。
今回の彼女もそんな感じで何となく付き合いだし、そしてたった今別れたところだ。
理由はもちろん……
※※※
来年大学3年となる
日向が中学生の頃、雨に打たれてうずくまっている所を怜に助けられ、そこから6年後に再会した2人。今は恋人同士であり、一緒に住んでいる。
怜曰く「自分はただのバーテンダーのおじさん」とのことであるが、家庭環境が複雑であった日向にとって、怜は唯一甘えられる存在であり、ずっと一緒にいたいと思える大切な人。背が高くて黒髪に切れ長の目元で少し見た目は怖いけれど、いつだって日向を優しく受け入れてくれる。
怜も日向の笑顔に癒され、幸せを感じる毎日である。ふんわりとした茶髪で目が大きいのも可愛いが、純粋で放っておけないところもまた可愛いと思っている。
そんな幸せな2人の前に現れた1人の大学生。明るい茶髪に端正な顔立ち。日向を「可愛い」と言った上に怜のことも知っているようである。
彼は一体……?
日向も怜もその大学生のことが気になっていたが、今は2人でいつものように甘いひとときを過ごしていた。
「おはよう、ひな」
「……怜さん……もう少し……」
いつも通り日向が怜に抱きついて寝ているため、なかなか起きることができない。それでも側にいる日向の髪を撫でて優しく話しかける。
「ふふ……」と日向が嬉しそうにしている。相変わらず可愛いな、と思う怜である。
「さてと」怜がベッドから離れようとすると、日向に腕をつかまれる。
「ねぇもうちょっとだけ……ここにいて」
「この甘えん坊が」
「お願い……」
日向のおねだりには弱い怜である。
「わかったよ」
そして年末年始、怜のバーが休みの間に日向と怜は2人だけの時間を楽しんでいた。
家で年越しそばを食べながら、カウントダウンしたり、初詣に行ったり……日向は恋人とこういったイベントに行くこと全てが初めてだったので、いつも嬉しそうに笑っている。そんな日向を見て怜も思わず笑顔になる。
出かけた帰り道に日向が尋ねる。
「怜さんは……今年の目標ってあるの?」
「そうだな……健康第一」
「フフッ」
「おいひな、大事なことなんだぞ。健康でないと何も出来ないんだから」
「うん……分かってるよ」
「そういうお前は目標あるのか?」
「まずは……就活を頑張る……かな」
「そうか、まずそこだよな」
「そして……怜さんともっと一緒にいる」
「それ目標か?」
「あとは……怜さんにずっと好きでいてもらえるように頑張る」
「俺ばかりじゃないか」
「で、怜さんと……」と言いながら日向は真っ赤になって俯いてしまった。
「ひな?」
怜が日向の顔を覗き込もうとすると、日向が怜の腕をつかんで唇にキスをした。
「怜さんと……こうするの、僕から」
新年早々、日向にそう言われ怜も顔が熱くなってきてしまう。
「つまり昨年よりも積極的にくるってことか」
「ダメ?」
「大歓迎だ」
「やった」
目標というか愛情表現だな、と怜が思った。
そういえば最初の頃は外で腕を組むことも恥ずかしかったのに、最近では平気になってきた。何よりも……日向があの頃よりもずっと幸せそうにしているのが嬉しいと思う怜。
「ひなが元気で笑って過ごしてくれるのが……俺のもう一つの目標みたいなものだな」
「怜さん……」
やっぱり優しい……大好き……と思いながら日向は怜と腕を組む。
「僕も怜さんが元気で笑って過ごしてくれるのを目標にする……! あぁ目標、いっぱいあるな……」
「就活も大事だが、まずは健康第一だからな」
「やっぱりそこに戻るんだ。確かにそうだね!」
2人は笑い合いながら自宅マンションへ向かった。こうやってゆっくり過ごせる時間……幸せ、いや幸せよりももっと……
「怜さん、幸せの上って何?」
「いきなりだな」
「超幸せ?」
「超って……何でも超をつけりゃいいもんじゃないぞ」
「だって……すごく幸せなんだもの」
「フフ……」
※※※
冬休みが明けていつもの日常が始まる。
「ひな、起きないと遅刻だぞ」
「怜さん……あと5分……」
本格的に寒くなってきたため、布団から抜け出せない。それでも特に日向は起きるのが遅いようだ。
「学生はいいな」と怜が言いながら朝食の支度をする。
怜のバーでは寒い冬にオススメのホットワイン、ホットカクテル等が人気である。
「いらっしゃいませ」とウェイターがカウンターに1人の客を案内する。
彼は12月に一度来た、明るい茶髪の大学生であった。端正な顔立ちをしているため、周りの客も彼をちらちらと見ている。
「いらっしゃいませ、メニューをどうぞ」と怜。
前に日向を見て「可愛い」と言った奴……と思いながらも普通に接客することを心がける怜である。
彼はホットカクテルを上品に飲み、ふぅと息をつく。そして、
「今日はあの日向って人はいないの?」と尋ねる。
「彼は冬休み等の休暇中にアルバイトで入っていた者です」と怜が答える。
「ふぅん……じゃあ、先に……別の話からさせていただこうかな」
「何かございましたか」
「僕は……あなたの息子なんだ、父さん」
息子? 怜の顔がこわばった。同時に忘れ去ったはずの昔の出来事が思い出される。あの頃の何も知らなかった自分……全てが信用できなくなった辛い過去……
そしてあれから20年ぐらいだろうか……ちょうど彼の見た感じの年齢を考えるとおそらく……間違いないのだ。
「……まさか」
「はい、その……まさかです」
「……
「うん、父さん」
「どうして……ここが分かった」
「母さんの知り合いがたまたまここに来たんだよ」
「母さんは……元気か」
「色々あったよ……母さんは再婚していたけど……今は1人さ」
「そうだったのか、翔も大変だったんだな」
「何とかなってる。今は大学2年だから……来年就活かな。まぁ僕はそこのところは大丈夫さ」
「随分自信があるんだな」
「緊張はするけれど……どうにかやってみせる」
「そうか」
そして、
「いらっしゃいませ」という声と共に日向が現れた。怜が焦る。
翔と鉢合わせるなんてどうすれば良いのだろうか。しかも翔は……日向のことをどう思っているか。
「怜さん! いつものください」
「お疲れ、ひな」
翔がずっと日向を見つめている。その視線に気づいた日向が翔の方を見る。
「あ……この前来てくださいましたね。僕もよく来ていて……お酒は飲めないんだけど、ここのノンアルコールカクテルが好きなんです」
「日向くん、今日も可愛いね」
「ええっ?」いきなり前と同じことを言われ、日向が思わず声をあげる。
おかしい……またドキドキしてきちゃった。この人……格好いいだけじゃなくて何だか……癒されちゃう。あ、いけない。怜さんの目の前でこんなこと考えるなんて。
「そんな……僕は……」と日向が言いながら怜の方を見つめる。
あれ……怜さん? いつもと様子が違う?いつもはさりげなく何か言ってお客さん達を和ませてくれるのに。
あ、確か前もそうだったけど、嫉妬してるんだっけ……?
怜はどうすることもできずにいた。恋人である日向と息子が目の前にいる……この状況で自分は何を話せば良いのだ。
「ねぇ日向くん、僕もっと君と仲良くなりたいんだ」
翔が日向に近づいてくる。
「え……その……それはどういう……」
オドオドしている日向も可愛い。
そうあの時、僕は初めて一目惚れをした。
「いらっしゃいませ」と言ってこちらを見てくれた日向くん。その愛らしい目を見た途端、今までに感じたことのない想いが溢れてきた。そうか、だから僕は……これまで付き合ってきた彼女とは続かなかったんだ。自分から好きになろうという気持ちがなかったのだから。だから年末に彼女とも別れてここに来た。
「ねぇ、日向くんのことひなって呼んでるの?」と翔が怜に尋ねる。
「まぁ……そうだが」
「ふぅん……じゃあ僕もひなくんと呼ばせてもらおうか。僕は翔。大学2年。よろしく」
「え……あ……」ひなくんと呼ばれて少し照れている日向である。
「翔くん、僕も2年なんだ。よろしくね」
「同い年か……嬉しいな」
翔が笑顔になる。笑った顔も……素敵だなと日向が思う。そして翔に言われるがまま連絡先を交換する日向。まだドキドキしているようだ。
「じゃあまたね、ひなくん」そう言って翔が帰って行った。
ひなくんと話している時に父さんにじっと見られていたような気がしたが……今の時代、好きになれば男女どちらでも構わないだろう。ひなくんとは……これから距離を縮めていかないと。
そしてバーに残された日向。
「翔くん……僕と同い年だったんだ。大人っぽいから年上だと思った」
怜には何となく分かっていた。翔が日向に向ける好意が。日向も嬉しそうではないか。
「ひな……その……」
「怜さん……嫉妬してた? 大丈夫だよ。あんなに格好いい友達、初めてだったから」
ひなが翔を格好いいと言うだけでモヤモヤしてしまう。翔は俺の息子なんだよ……ひながこの事実を知ったらどうなる……? 俺に失望して翔の元へ行くのか……? いやそうなると俺とひなの関係はどうなる……?
この混沌とした気持ち……一体どうすればいいんだ……?