「いらっしゃいませ」
今日は広樹が1人でバーへ来た。
「よお、怜」
「いらっしゃい、ヒロ」
メニューを見せる怜に広樹が話し出す。
「この前さ、健康診断の結果が出て……気になってた数値が大して下がってなかったんだ」
「そうか、通院しているんだっけな」
「ああ、やっぱり生活習慣を変えないとってやつかな。食事とか」
「なかなかすぐには難しいよな」
「怜は健康診断受けているか? 大事だぞ?」
「今年はまだだったな……」
正月に健康第一という目標を立てたものの、特に何かに気をつけているわけではない。そういえば……
「最近胃の調子が良くないな」と怜。
「おっと……胃が痛いのは辛いな」
「食べた後ちょっと痛むかもしれない……」
「それ、診てもらった方がいいんじゃないか?」
「胃薬は飲んでいるのだが……そうだな、店に立てなくなったら行くか」
「いや、もう少し早くてもいいと思うぞ?」
「うーん……」
「日向くんは知ってるのか?」
「いや、知らない……ひなも就職活動が始まるから」
「わかるよ、迷惑はかけたくないよな。俺もこの前、凪に持病の話はした。俺で本当にいいのかと思ってたんだが……一緒にいたいと言ってくれてな」
「それは良かった」
「だから、あの日向くんなら……伝えてもいいんじゃないか? 怜だって日向くんの胃の調子が悪かったら知らせて欲しいだろう?」
「それはそうだが……」
あれだけ年が離れていたら……自分のせいで彼に負担がかかることもありそうだ。今は大丈夫でも……将来のことを考えると不安になるものである。
何があっても側にいるのが夫婦だとして、果たして日向は自分のことを……どう思っているのだろうか。
「お互い、健康には気をつけなければな」
広樹が怜に言った。
※※※
今日ヒロさんの家に行ってもいい?
凪からメールが届いた。バーで待ち合わせではなく、広樹の家に直接行きたいという。
そして広樹が家に帰ってすぐに凪が来てくれた。
「ヒロさん、これ……」
凪は数種類のおかずをタッパーに入れて持って来てくれた。
「これ……凪が作ったのか?」
「うん……ヒロさんの食生活聞いてるとちょっと心配になっちゃって」
「そんな……こんなにたくさん大変だろう?」
「大丈夫だよ、僕こういうの慣れているから。それよりもヒロさんに健康でいて欲しいし。あと、バーは控えめにするかアルコールなしの方がいいかも」
「凪……ありがとう」
「晩、食べた?」
「いや、まだだ」
「じゃあ……食べて欲しいな」
広樹は凪の作った煮物を食べてみた。
あっさりしていて優しくて美味しい……
「めちゃくちゃ美味いよ」
「本当? 嬉しいな」
こんなに料理上手なのに凪のどこが「期待外れ」なのだろう。そう言われていたのが信じられない。広樹にとっては期待以上のそのまた上である。
「ヒロさん……」
「ん?」
「今日泊まっていってもいい?」
「いいよ」
凪が喜んでいる。
可愛い凪と美味しいおかず……俺、こんなに恵まれていて良いのか?
「そうだヒロさん、ちょっと相談なんだけど」
そう言って凪は就活の話をする。
色々と考えていて偉いと思う広樹。さっきから……凪のことを褒めてばかりだ。
「ヒロさん、そんなに褒めてくれるなんて。みんな普通に就活のことぐらい考えるよ」
「まぁ、そうだけど……」
「でも嬉しいからいっか」
あ……その笑顔がまた可愛い……
そう思って広樹は凪を抱き寄せる。
「ふふ……ヒロさん……」
「凪……」
今日もたくさん甘えられるかな……そう思いながら広樹に抱かれて幸せそうな顔をする凪であった。
※※※
「はぁ……」
やはり怜の胃の調子は良くないようだ。結局、内視鏡検査を行うことになった。
「怜さん……」
食欲のない怜を見て、日向が心配している。
「ひな、お前は就活も控えているんだから……俺のことは気にせずにな」
「怜さん、就活はあるけど……僕でも出来ることがあったら言って」
「じゃあ……」
「……」
「……抱き締めてもいいか?」
日向はバーの2階で怜に初めてそう言われたことを思い出す。もう1年以上経つけれど、あの時の幸せだった気持ちはずっと忘れられない。
「怜さん……怜さん……」
「……何で泣いてるんだよ……ひな」
「だって……思い出しちゃったんだもの」
「フフ……悪い夢でも見たのか?」
「違うよ、初めて怜さんが……」
初めて怜さんがキスしてくれたこと……
「初めてって……あの時か……」
お互い初々しさが残っていたあの頃。
今ではもっと好きだしもっと一緒にいたいしもっと……もっと……
日向が怜の顔を見つめる。
「怜さん、僕は怜さんの一番近くにいるから……絶対離れないから……」
「ひな……」
その日のキスは、初めてのキスと同じぐらい温かくて濃厚で、少し懐かしい味がした。日向が怜の背中に手を回してゆっくりさすっている。
「ありがとう、ひな……」
※※※
そして怜の内視鏡検査の結果は……
「胃潰瘍だった。入院が必要になる」
「え……胃潰瘍……ストレス……?」と日向が言う。
「よくわからないが……1週間か2週間ぐらいの入院だ」
「怜さん……」
胃潰瘍で入院って相当酷いんじゃ……日向は不安でいっぱいになり泣き出しそうになったが、必死で抑える。
「僕、応援しているよ。怜さんなら大丈夫」
日向が怜に抱きついている。
「そうだな。しっかり治してくるよ」と怜が言って日向の髪を撫でていた。