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4. 社会人編――ふたりのこれから

第65話 3年目の春、そして出会い

 人の気持ちは変わりゆくもの……


 学生時代に描いた理想があったとしても、社会人となり現実を知ると自分の気持ち優先ではいられなくなる。


 あの頃の僕達に戻りたいと思ったこともあった。

 だけど、僕は貴方と一緒にその先に進みたい……貴方と歩んで行く道が用意されているのであれば。



※※※



 日向ひなたは社会人3年目の春を迎えた。

「おはよう、ひな。朝食出来てるぞ」

「おはよう、れいさん……眠い」

「ひなももう3年目か……仕事が楽しくなってくる時期かな」

「うん……だけど休み明けは眠いや」


 日向と一緒に住む恋人である怜はバー「ルパン」を経営しているバーテンダーであったが、一度体調を崩して入院したこともあり、主に昼のランチの時間に出勤することとなった。これにより、夕方に帰ってくる日向と一緒に過ごすことが出来ている。


 もともとは日向が中学生の頃、雨に打たれてうずくまっている所を怜に助けられ、そこから6年後に再会したところから始まった。最初は男性同士の恋愛に戸惑いもあったものの、今の2人はお互いを信頼し良好な関係を築けている。


「怜さん、今日は牛肉が特売だっけ? 買って帰ろうか?」

「それは助かるよ、何食べたい?」

「ビーフシチューがいいな」

「了解」

「やったー! じゃあ行ってきます」

「行ってらっしゃい」

「あ……忘れ物♪」


 日向は怜の唇にキスをする。日向が社会人となってからは毎朝の日課となった。

 いってらっしゃいのキスだ……と最初は照れていたが、これがあるから仕事を頑張ろうとも思える。



※※※



「はぁ……人手が欲しい」

 怜が開店前の準備をしながら呟いていた。アルバイトが1人辞めてしまい、自分や他の従業員にしわ寄せが来ている。

 怜の店「ルパン」のランチはメインと日替わりの惣菜が並ぶプレートランチであり、スープやパンも付いている。

 お洒落で健康も意識されたメニューは女性や体調が気になる者達に大人気。店の雰囲気にも料理にも怜のセンスが光っており、連日主婦層を中心に行列が出来ていた。


 日向によれば「夜の白シャツに黒ベスト、前髪を上げたバーテンダー姿の怜さんも格好よかった。けれど昼の黒シャツに茶色の腰エプロン姿、前髪をナチュラルに分けた怜さんはもっと格好いい。そして若返っている」とのこと。


「お洒落で美味しいランチに怜さんがいれば超人気になる」と日向が言っていた通りとなったが、人手がないと回らないのも事実。どうしたものかと悩む日々である。


「外の空気でも吸いに行くか」

 怜がドアを開けるとふんわりと春の陽気を感じた。ああ、新年度っぽいこの感じ……世間は慌ただしいが希望に溢れる者もいるだろうな、と思う。


 ひなも……今ごろ頑張っているだろうか。


 そんなことを考えていると、近くから子どもの泣き声が聞こえて来た。

「うわぁぁん、痛いよーーーー」

つばさ、もう少しでおばあちゃん家に着くから……頑張ってくれる?」

「うぅ……」


 怜が様子を見に行くと……女性がしゃがんで、男の子をどうにか泣き止ませようとしている。女性の側にはキャリーバッグがあり、男の子は転んで膝を擦りむいたようだ。


「あの、大丈夫ですか?」と怜が話しかける。

「あ……すみません。大丈夫ですので」

「君、怪我をしているじゃないか……よろしければうちの店で手当しますよ」

「いえ、そんな……」

 女性は遠慮していたが、

「うわぁぁぁぁん!!」

 男の子が痛そうにしている。放ってはおけない。


「痛いよな? 今から手当してやるから……こちらです、どうぞ」

「すみません……」と女性は申し訳なさそうに怜の店に入っていった。



 店の奥に男の子を座らせて、怜は救急箱を持って来た。男の子の擦りむいた箇所に消毒をしている。

「痛い……」

「ごめんな、しみるだろう? だけど早めにこうしておかないとな」

 絆創膏を貼ってもらった男の子は落ち着いたようだ。

「本当にありがとうございます……実家に行くところでしたが、もう少しで着くといったところでこんなことに……」

「いえいえ、気になさらないでください」


「ここは……飲食店ですか?」

「そうです、元々はバーでしたがランチ営業も始めまして」

「入り口にアルバイト募集の看板がありましたが……今も募集されているのでしょうか?」

「はい。昼間は人手不足で」

「あの……私、飲食店でアルバイトをしていたことがあるんです。ちょうど働き口を探しておりまして……」

「えっ……そうなんですか?」

「事情があってこの子と実家に帰ることになったのですが、私もこの子のために働かないといけなくて。でもブランクがあるし、小さい子どもがいるとなかなか受け入れてもらえなくて……」


「経験のある方なら歓迎しますよ。一度考えていただいても大丈夫ですし」

「本当ですか? ここなら実家にも近いからちょうど良さそうだなと思っていました。でも助けていただいた上に、いきなりこんなこと……申し訳ないです」

「いえいえ、うちも人手が欲しかった所なので、来てくださるなら有難いです」

「そんな、こちらこそ有難いです。では実家に帰って履歴書を準備しますので……またご連絡させていただきます」

「はい、お待ちしております」


 女性の名前は裕子ゆうこ、男の子はつばさという。

「翼くん、またな」

「ありがとう、おじちゃん!」

 これでようやく人手が足りそうだ。経験者なら即戦力になるだろう。


 しかしこの時の怜は気づいていなかった。

 怜が裕子と翼と出会ったことによって、日向が辛い思いをすることに。



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