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№4 寄る辺なきもの

「結論から言うと、データはゼロだ」


 逆柳は腕を組みながら淡々と事実を告げた。


 夜、『影』たちが寝静まったころ、ハルと『殺人狂時代』はASSB本部に呼び出された。『影の王国』対策本部の本部長である逆柳律斗は、この事態を予想していたかのような顔をして会議室で待っていた。


 そして告げられたのが、その言葉だった。


「ゼロ、って……?」


「そのままの意味だよ。ASSBが調べ上げた『殺人狂時代』君の出生から現在に至るまでのありとあらゆるデータはなにもなかった。ASSBよりも上層の組織に消されたか、それとも本当にデータに残るようなことを避けてきたのか、それは定かではないがね」


 つまりは、『殺人狂時代』はこの社会には存在しないはずの存在、というわけだ。誰かにデータを抹消された可能性もあるが、『殺人狂時代』があえてデータに残らないように立ち回ってきたということもありえる。


 当の『殺人狂時代』は不安そうな顔をしているばかりで、どちらなのか見当はつかないが。


「当然だ。戦場で生まれ育ってきた僕らには本名もないんだから。『モダンタイムス』が『殺人狂時代』と呼んだから、そう名乗っているだけ」


「……だ、そうだ。その名付け親が目下の敵とは、なんとも業の深い話ではないか。君は戦場で何をしてきたのかね?」


「とにかく殺した」


 『閣下』の問いかけに、『殺人狂時代』は目をまっすぐに見て簡潔に即答した。相変わらずこちらがひるんでしまうほどの視線だ。ダテに死線をくぐり続けてきたわけではないらしい。


 その回答で満足したらしい逆柳は、質問を変えた。


「『七人の喜劇王』の一席、ということは、君も『影使い』なのかね?」


「そうだよ。今は夜だから『影』は出せないけど、僕の『影』は、強い」


「そんな君がなぜ『影の王国』に身を寄せたのかね?」


「思想が共鳴したからだよ。僕は百人を殺して英雄になりたかった。悪党のままじゃイヤだった。だから、全人類を抹消しようとしている『影の王国』でたくさん殺そうと思った」


 『殺人狂時代』はそこでいったん間を取って、


「……けど、妹の『黄金狂時代』は争いを好まなかった。無関係のひとの死をかなしんでいた。だから、僕は妹といっしょに『影の王国』から抜けようとした。けど、妹は取り残されて『モダンタイムス』に囚われてる。だからあんたたちに助けを求めたんだ」


「状況を説明したまえ」


 暗にその救難信号を受け止めたことを示して、逆柳が鷹揚に言った。


 『殺人狂時代』はひとつうなずくと、


「妹の『黄金狂時代』は『モダンタイムス』のところに監禁されてると思う。その場所はわからない。これ以上僕が戻らなければ、妹は見せしめに殺されてしまう。そうならないためにも、塚本ハルに、ASSBに亡命した。『影の王国』が敵だと認定しているあんたたちに」


 単身敵地に乗り込むのは相当な勇気が必要だっただろう。しかし、『殺人狂時代』の判断は正しかった。ハルたちは『殺人狂時代』と『黄金狂時代』を助けようと動いている。


 『殺人狂時代』はパイプ椅子の上で背筋を正すと、ハルたちを真剣なまなざしで見つめて、


「お願いします。僕らを助けてください」


 深々とこうべを垂れた。


 ここまでまっすぐに頼み込まれたら、さすがにスパイの可能性は消えた。『殺人狂時代』はウソをついていない。そんな必死さが垣間見える懇願だった。


 逆柳はその懇願に苦笑すると、


「やれやれ。こんな子供に頭を下げさせるとは、私もまだまだだな」


「じゃあ……!」


 頭を上げて顔を明るくした『殺人狂時代』に、逆柳はうなずきかけて見せた。


「いいだろう。対策本部は全力で君たちを保護する。『黄金狂時代』奪還も約束しよう」


 どこか暗闇を宿していた『殺人狂時代』のまなざしに、光が差していく。地獄に垂れた一筋の蜘蛛の糸をつかんだようなここちなのだろう。


 『殺人狂時代』は少年らしいはにかんだような笑みを浮かべると、もう一度頭を下げた。


「……ありがとう。本当に、ありがとう」


「やめたまえ。こちらとしても、『影使い』、そして『七人の喜劇王』という手駒を得るというメリットを見越した上での提案だ。決してボランティアで君たちを助けるというわけではないのだよ。善意は期待しない方がお互いのためだ」


 『閣下』一流の照れ隠しなのだろうか、眼鏡をくいっとあげて神経質そうな顔をしながら告げると、『殺人狂時代』は微笑んだまま、


「それでも、あんたたちには感謝したいんだ。これまで寄る辺ない生活を送っていたから」


 戦場育ちで殺しで育ってきたと言っていたが、当然親族などはいなかっただろう。友達も、恋人も。本当にたったふたりだけで生きてきたのだ。


 こころ細かったに違いない。それが今、初めて自分たちを受け入れてくれる大人が現れたのだ。


 ハルは黙って『殺人狂時代』の頭をぽんぽんとなでると、笑いかけた。


「ふむ、仲が良いようで何よりだ。これなら目下の『殺人狂時代』君の潜伏先は決まりだな」


「へ?」


 不思議そうな顔をするハルに、逆柳はにやりと笑みを浮かべた。


 ものすごくイヤな予感がするのだが……




「コンニチハ! 留学生のアブラハムです! ホームステイヨロシクオネガイシマス!」


 結局、イヤな予感は当たった。


 両親に渾身の笑みでそうあいさつした『殺人狂時代』は、すぐに塚本家に受け入れられた。あいにく空き部屋はなかったので、とりあえずハルの部屋に布団を敷いて眠ることになった。


 簡単に生活スタイルを説明してから寝床を用意して、ハルの子供時代の服を与えられて、『殺人狂時代』は今、床に敷いた布団の上でそわそわしている。


 そう、そわそわしているのだ。


 てっきりくつろいでくれると思っていたハルは、すぐ隣のベッドから『殺人狂時代』を見下ろして、


「どうしたの? やっぱりひとの家は落ち着かない?」


「……いや、そういうことじゃなくて……」


 言いかけた『殺人狂時代』は、いきなりその場に伏せた。ものすごい早さで。


 警戒を緩めようとしない『殺人狂時代』を、ハルはぽかんと見つめていた。


「……ええと……」


 何を言ったらいいかわからないハルに、はっとした顔をした『殺人狂時代』はバツが悪そうにしながら、


「……ごめんなさい。窓の外が少し光ったから、スナイパーかと思って……」


 この平和な日本には、当然ながらゴルゴ13以外のスナイパーはいない。戦場育ちの常識は、ここではただただ滑稽でしかなかった。


 しかし、その習性は『殺人狂時代』からなかなか抜けてくれないようだ。戦場が残した爪痕のひとつだった。


「仕方ないよ。さあ、もう寝よう。電気、消すよ」


 フォローしながらハルがシーリングライトを消そうとすると、『殺人狂時代』は今度はごそごそと小さな自分の荷物をまさぐり始めた。なにか夜の習慣にしていることでもあるのだろうか?


「おやす……えええええええええええ!?!?」


 ごとん、と鈍く重々しい音を立てて出てきたのは、大型の拳銃だった。モデルガンにはない、殺傷能力を有する物体特有の鋭い気配がある。


 ホンモノだ。ハルの人生初のナマチャカだった。


「どどどどどどどどどどうしたの、それ!?!?」


 動揺しまくるハルをよそに、『殺人狂時代』はその拳銃を枕の下に敷いて言った。


「これが枕の下に入ってないと眠れないから、持ってきた。弾は入ってないけど」


「……そ、そうなんだ……」


 これもまた、戦場時代の習慣なのだろう。ずいぶんと物騒なライナスの毛布だと思いながらも、ハルは今度こそ明かりを消した。


「おやすみ」


 そう言って布団をかぶると、しばらくして寝息が聞こえてくる。


 まだ眠らないハルは心配そうに『殺人狂時代』を観察していた。


 ……目を開けたまま眠っている。


 これではロクな睡眠も取れないだろうに、『殺人狂時代』はすやすやと浅い眠りの中を漂っていた。


 疲れが取れないだろうと、ハルはベッドから少し身を乗り出して『殺人狂時代』のまぶたを下ろしてやろうと手を伸ばした。


 暗闇の中手探りで手が届きかけた、その時だった。


 近づく気配に反応した『殺人狂時代』は一気に覚醒すると、バネ仕掛けの人形のように起き上がり、素早い動作で隠し持っていたバタフライナイフを構え、またたく間にハルの喉元に突きつける。


「ちょっ、ちょっちょっちょっちょっ!!」


 刃物特有のぎらぎらした緊張感に震え上がり、ハルは小さく悲鳴を上げた。


 その悲鳴にはっとしたような顔をした『殺人狂時代』は、すぐにナイフをしまってまたバツが悪そうに謝る。


「……ごめんなさい」


 こんな小さな子が、こうして身を守らなければ生きていけなかった戦場とは、なんと業の深い場所だろう。


 なんだか無性に切なくなって、ハルは『殺人狂時代』の頭を軽くなでた。


「ここは安全だから。もうこわいことなんて起こらないよ」


 落ち着かせるような口調でなだめても、『殺人狂時代』は申し訳なさそうな顔をするばかりである。


「……ごめんなさい。頭ではわかってるんだ。けど、どうしても信じきれない……安全な場所なんて、どこにもなかったから」


 しゅんとする『殺人狂時代』は、そう言ってうなだれた。


 生れ落ちてから今まで敵に囲まれて生きてきたこの少年は、身を守るために仕方なくこうなってしまったのだろう。


 なんとかして、安らぎというものを教えてあげたい。頭をなでながら、どうしたらいいのかハルは思案していた。


「……けど、僕はこの運命を呪わない」


 ふと『殺人狂時代』が凛とした声音で告げた。


 『運命』。そんなものがあるとしたら、戦場から『影の王国』に流れ着き、そして今、ハルたちのもとにいる『殺人狂時代』は、その数奇なさだめに振り回されっぱなしということになる。


 ひどい理不尽だ。運命などというものはない、そう言ってやりたかったが、そう断言できるほど今のハルは強くはなかった。


「……仕方ないよ。とにかく今夜はもう寝よう」


「……うん」


 沈んだ声のまま『殺人狂時代』が再び床に戻る。もう起こしたりするようなマネは控えよう。


「おやすみ、『殺人狂時代』」


「おやすみ、塚本ハル」


 布団をかぶったふたりは確認するようにそう言い合うと、ようやく眠りの中に落ちていった。


 どうか、眠りの中くらいはのんびりと過ごしてほしい。


 そう思いながら、ハルもまた睡魔に身を委ねた。


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