「ゆっきだああああああああああああ!!」
大声を上げながら、影子は降り積もった新雪に思いっきりダイブした。たちまち雪が影子の形にくりぬかれる。
師走が訪れ、ハルたちの住んでいる街には初雪が降った。真夜中にしんしんと降り積もった雪のおかげで、朝目が覚めてみたら辺り一面真っ白だったというわけだ。
当然ながら、ハルと感覚を共有している影子は雪の存在を知っている。
しかし、知っているのと実際に体験するのとでは全く違う。
ごろごろと転がって雪まみれになりながら、影子は生まれて初めての雪を満喫しているのだった。
「すっげ! マジつめてえの! うっわ、なんか水になってしみ込んでくるし!」
「あんまりはしゃぎすぎないでよ」
グラウンドに積もった処女雪で遊ぶ影子に、ハルは苦笑しながら言った。はしゃぐ気持ちもわからないではない。自分も、子供のころ初めての雪にこうしてはしゃいだものだ。
ひとしきり雪の中を転げまわった影子は、すぐにハルに駆け寄ってきて、
「なあ、なあ! 雪っていろんな遊び方あんだろ!?」
「まあ、いろいろあるね」
「んんー、どれから遊ぼっかなー?」
真っ赤な目をきらめかせながら思案する影子とハルのもとに、いつも通りの朝の挨拶が届いた。
「オッハヨー、ハル、カゲコ! すっごい積もってるネ!」
耳あてにマフラー、手袋と冬装備をしたミシェーラが駆け寄ってくる。そばかすの浮いた頬と鼻の頭が赤くなっていて、少女らしい魅力が倍増しているのは気のせいか。
金髪碧眼、高身長ナイスバディのあからさまにアメリカ人の彼女だが、実は日本生まれ日本育ちだということは誰もが知っている。
「んん! 米国産ケツデカチチウシ! でけえ乳揺らして寄ってくんじゃねえよ!」
「おはよう、ミシェーラ。この時期に降るのは珍しいね」
「だよネー。ワタシ今日裏起毛フェイクタイツだヨー」
「おはようございます、影子様っ!!」
いきなり横合いから影子に飛びかかってきたのは、別に暗殺者でも刺客でもない。ただのギャル系ドМ女子高生、一ノ瀬三日月である。
そんな一ノ瀬の朝の挨拶を華麗にかわして、影子は雪に顔面から突っ込んだ一ノ瀬の尻を、げし、と蹴った。
「ん、いっちょまえに人間の挨拶してんじゃねえよメス豚」
「はああああああああああん♡ ありがとうございます♡」
その罵言だけで感極まったらしい一ノ瀬が、目を潤ませながら影子にすり寄って来る。これがかつてハルをいじめていたボスギャルの末路だとは、あのときは誰も考えはしなかっただろう。
「まったくもう、ただでさえ雪で街中混乱してるっていうのに、君たちまで騒がしくしてどうするんだよ」
「だよなー」
突如、背後から気配もなく首筋に腕が回された。これもいつものことで、ハルは慣れた態度で振り返りもせずに挨拶をする。
「おはようございます、倫城先輩」
「おっす、おはよ塚本。今日もかわいいな」
この高身長シックスパックの好青年風イケメン、外見だけでなく中身まで完璧超人だが、実際のところはハルの尻を付け狙うホモだ。今日もせっせとハルに愛の言葉をささやいている。
ハルはそれをさっぱり無視して、校舎への道を歩いた。
これでいつものメンバーがそろった。騒がしく登校しているこの集団は、ハルを中心に自然とできたグループだ。周囲からはハデだハデだとささやかれていることを、ハル本人は知らない。
「おい、てめえら! せっかくの雪だってのになにしらーっとしてんだよ!」
「逆に君がはしゃぎすぎなんだよ……」
「お、じゃあ雪合戦でもするか? 塚本を賭けて」
「ワタシ乗った!!」
「上等だ!!」
「影子様が参加されるなら私も!」
「よし、決まりだな」
あれよあれよという間に、ハルを賞品にした雪合戦大会が開催されることになった。毎度のことながら、ハル本人は了承した覚えはイチミリたりともない。
たちまちグラウンドは戦場と化した。各々準備運動をしたり雪玉を作ったりとやる気満々である。これは死人が出そうな予感だ。
校舎のそばにちょこんと座って観戦するハルの目の前で、ついに戦いの火ぶたは切って落とされた。
「雪国育ちさナメるでねえええええええええ!!」
そういえば、ミシェーラは新潟から転校してきたのだった。普段の外国人風なまりも東北弁になって、いきなり覚醒した。
影子に向かって全力投球されたがっちがちの雪玉は、正確なコースをたどってせまり……
「影子様! 私が! 私がお守りいたします!!」
「ん、頼んだ」
「え?……ぶぼっ!?」
すかさず一ノ瀬を盾にした影子が、ミシェーラの雪玉を防ぐ。またしても顔面に雪をぶちまけられた一ノ瀬はそのまま沈み、早くも一名脱落だった。
「雪合戦はおらが国のお家芸! おらは雪合戦の女王て呼ばれたおなごだっぺ!! ほーれ!!」
なにかそういうしきたりでもあったのか、学生カバンにぱんぱんに雪を詰め込み、そこから雪玉を量産するミシェーラがあちこちに雪玉をばら撒いた。当然ながら登校途中の他の生徒たちにも当たり、被害が拡大する。
さすが、雪国育ちはあなどれなかった。白の弾幕で影子が攻めあぐねている内に、ミシェーラの無双は続く。
「ははははははは! 近寄れねえべさ!? おらに近づいたもんは全員ぶふっ!!」
高笑いをしていたミシェーラの側頭部に、きれいに雪玉がぶつかって弾けた。たちまちミシェーラも沈み、これで脱落者二名だ。
スナイパーの倫城先輩は、かなり離れたところから手びさしをして沈黙を確認する。
「おー、当たった当たった。俺もまだやるじゃん」
元野球部キャプテンのレーザービームは強烈かつ精密だった。ロングスナイプを成功させた倫城先輩は、足元の雪で雪玉を握りながらさわやかに笑う。
「残るは……」
「ふははははははは! アタシの目論見通り潰し合ってくれてサンキューだ!」
先輩を使って弾幕を張るミシェーラを黙らせ、あとはサシの勝負に持ち込む。そういう目算だったらしい。
影子と倫城先輩が正面から対峙した。この一騎打ち、なんだかデジャブを感じるのだが。
「それじゃあ、頂上決戦と行きますかね……っと!」
いきなり先輩の超精密狙撃が影子を襲った。
しかし、影子は超人的な反応速度でそれをかわし、先輩に肉薄する。
いくつもばらまかれた雪玉は、すべて正確に影子を狙っていた。が、影子はプロボクサー以上の動体視力で一発も被弾せず、いつしか先輩の目前まで迫っていた。
というか、雪合戦とは雪玉を投げ合う遊びだが、影子はまったく雪玉を投げていない。
代わりに、固い雪を握り込んだ拳で先輩の頬を狙い、
「くらえ! 雪ぱーんち!!」
もはや雪合戦ですらない、単純な殴り合いに持ち込もうとしていた。雪合戦ってなんだったっけ、とハルは遠く思いをはせる。
倫城先輩はその攻撃を素早くスウェーバックでかわし、続く左のこぶしも上手くさばいて距離を取ろうとした。
しかし、影子はさらにその距離を詰めようと追いすがる。
「死ね♡ 犬っころ♡」
にんまり笑って渾身の一撃を叩き込もうとした影子だったが、突如その真っ黒なセーラー服の背中に大量の雪が流し込まれた。
「ひゃあああああああちべてえええええええええ!!」
びくーん!とからだを硬直させて止まる影子に、雪を流し込んだ張本人であるハルが呆れた様子で告げる。
「君はもうちょっと頭冷やしなね」
さすがにこれ以上はガチバトルになりそうだったので、とっさに止めたのだった。ASSBの高校生エージェントである倫城先輩と、ハルの『影』である影子、そのふたりがぶつかれば両者とも無事ではいられないだろう。
雪の冷たさに震え上がった影子は、すっかり戦意を喪失していた。握っていた雪の名残である水滴をぱらぱらと撒き、
「……ま、アンタがそう言うなら、今日のところはここまでにしておいてやんよ」
素直に従って臨戦態勢を解く。先輩ももともと本気ではなかったらしく、さわやかに笑いながら雪玉を放り投げ、
「さすが塚本。俺の思いびとなだけあるな」
「るっせ駄犬! コイツはアタシの思いびとだ!!」
影子が即座にそこに噛みつく。
そうだった。
先日の一件で、影子はハルに対する思いを自覚し、完全に吹っ切れたのだった。あれから何度もアプローチが成され、その度ハルはいそいそと逃げ出していた。だんだんと手が込んできて、そろそろ年貢の納め時かと思っていたところだ。
「ははっ、そう言うなよ。塚本はみんなのもので、最終的には俺のものになるんだろ?」
「吠えてろ駄犬! Mine is mine, yours is mine.だろ! 英語ではそう言うんだろ!」
「聞き捨てならないネ! ハルは総受けヨ! そこは譲れないネ!」
「塚本おおおおおおおおお!!」
ゾンビのように雪原から立ち上がったミシェーラがまたよくわからない用語を持ち出して来て、一ノ瀬は一ノ瀬でハルに向かってばっさばっさと雪をひっかぶせてくる。
これはまた一戦始まりそうだな……
そんな気配を感じ取り、ハルは騒がしい面々から少し離れて、ひとり黙々と雪だるまを作り始めるのだった。