塚本ハルは『影使い』である。
『影使い』とは、己の『影』……具現化した『イデア』を行使するもののことを指す。陰陽思想にあるように、陽に当たる『影使い』とは真逆の陰の存在が、『イデア』である『影』だった。
そして、塚本影子はハルの『影』である。
どこをどう見てもひとの形をしているが、その正体はハルがこの世界に現出させた『イデア』そのものだった。
ハルが内気でいじめられっ子で内向的であるのに対し、『イデア』である影子は強気でドSで外交的だ。加えて、ハルの影の中に長年潜んでいた経緯もあって、青春というものに強い憧れがあるらしく、なにかしらのイベントを探しては毎度大騒ぎを繰り返していた。
しかし、ひとたび争いとなれば、影子はその闘争本能とハルへの忠誠心から縦横無尽、鎧袖一触、一騎当千の戦いぶりを見せるのだ。ハルは今までに何度もそのチェインソウに助けられてきた。
その敵とは、『影の王国』……『七人の喜劇王』が支配する組織だ。世界中の影の集合的無意識に呼びかけ、あるじである人間を食わせ、『ノラカゲ』だけの世界を作る……そんな野望を阻止しようと、ハルたちは戦っているのだった。
しかし、先日の『殺人狂時代』と『黄金狂時代』、そして『犬の生活』の一件以来、特に目立った動きはない。というわけで、ハルたちはつかの間の非日常的日常を楽しんでいる。
初雪も解け切ったある冬の日、ハルやミシェーラと学食へと向かう影子が、急に自販機に飛びついた。
「これ! これ!」
語彙力をゼロにして必死に指さしているのは、缶のお汁粉である。
「ああ、それね。お汁粉缶見ると、ああ冬だなーって感じ」
「わかるー」
ハルとミシェーラの和やかな談笑とは対照的に、影子は鬼気迫る表情で『これ! これ!』と主張を繰り返している。
さすがに無視はできなかったので、ハルは仕方なく財布を取り出した。
「ああもう、わかったわかった、おごるよ」
「やっり! いっぺん飲んでみたかったんだよこれ!」
ガッツポーズをする影子は、いそいそとハルから小銭を受け取ると自販機に投入し、速攻でお汁粉のボタンを押す。がこん、と出てきたのは、何の変哲もないお汁粉缶だった。
「うおっ! あっつ!」
ほかほかの缶をお手玉しながら、影子はプルタブを開け、ちびり、と探るように一口お汁粉を飲む。
そして、次の瞬間目を、かっ!と見開き、
「なにこれ!? あっま!! 激甘!! あっつ!! そしてうんめええええええええ!!」
ちびちびちびちびと、夢中になってお汁粉を楽しんでいた。
すっかりとりこである。影子はこういうジャンクな飲食物を好む傾向にあるらしい。
「この人工甘味料特有の後味と、申し訳程度のアズキの皮がなんとも……!」
相変わらず、褒めているのかけなしているのかよくわからない食レポだった。
ちびちびとはいえ、けっこうなペースで飲み進めていたため、もう缶は空になっていた。
「ん! このっ、なんとも、最後まで、取れねえ、つぶつぶを、なんとかして!」
必死に缶を振って残ったアズキを食べようとする影子。よくある現象だ。
「そういうのは残していいんだよ」
「んー、こころ残り感じちゃうー。ああー、もう一本飲みてえなあ! すっげえうまかったからもう一本くらいいいよなあ!」
言外にもう一本おごれと要求する影子に、呆れたため息をこぼしながら小銭入れを探るハル。
結局、にやにやする影子に三本もおごらされた。
そのまま学食へ行き、三人で昼食となる。大好物のきつねうどんを平らげた影子はすっかりご満悦の様子だ。
「はあー♡ この罪深きコンボ♡」
うっとりと目を細め、お汁粉ときつねうどんを連続して摂取した影子が笑う。
ハルは天丼を、ミシェーラは大盛りカツカレーを食べ終え、満腹の充足感に自然と空気が和やかになった。
「冬って食いもんがうめえな!」
そう言ってなんの含みもなく快活に笑う影子は、まるっきり普通の女子高生だった。あざやかな笑顔がハルの網膜に焼き付けられる。
一瞬見惚れたハルだったが、次の瞬間には『これでも、僕の『影』なんだよな……』と、なんだかフクザツな気分になった。人間の形をしているが、影子は人間ではない。その身に流れる血は墨のように黒く、人間の赤いそれとは違う。
人間ではないが、人間のように考え、人間のように思い、人間のように泣き、人間のように笑う。
そんな存在はひどく滑稽だったが、その滑稽さをハルは好ましく思った。
「あと……冬っつったらひと肌恋しくなる季節だよなあ? いっちょはだかのままであっためあお♡」
ぴとり、と影子が急に肩を寄せてきた。
そうだった、影子はもうブレーキを自らの手でぶち壊してしまったのだった。
ハルがどぎまぎしていると、ふと強烈な視線を柱の方から感じた。
急いで目をやると、柱の影から自主便所飯を終えた一ノ瀬が鬼の形相でハルを睨んでいる。これは視線で呪い殺されてもおかしくはない。
ぞっとしていると、ぴぴー!とホイッスルが鳴った。
今度は何だと音のした方に目を向けると、いつのまにかホイッスルを装備したミシェーラが音を鳴らしながら影子を指さしている。
「そこ! ハルに対するセクシャルハラスメント行為は、親友として見過ごせないネ! 即刻離れなさい!」
ミシェーラ警察24時だった。取り締まられようとしている影子はにやにや笑ってハルにからだを寄せ、
「るっせ、チチウシ! アタシの求愛行動は誰にも止められねえんだよ! 失せろ、エセアメ公デカケツが!」
「つーかーもーとー……!!」
「あっ! またくっついた! 違反行為ヨ!」
「あっため合うなら俺だよな?」
「先輩!? どこから湧いて出て……!?」
「犬っころはひとりさみしくシコってろ!」
「そこも! 肩を組まないで!」
「うらめしい……うらめしぐぎいいいいいいいいいいいい……!」
「僕はひとりでおだやかな冬を過ごすんだ!」
「つれねえこと言うなよな、塚本。俺と燃えるような冬を過ごすんだよな?」
「ハルは総受けネ! みんなのものヨ! 特にワタシの!」
「てめえら全員並べ、アタシが張っ倒してやんよ!」
「受けて立つ!」
「ケンカジョウトウ!」
「君たちは少しは落ち着きというものを覚えようよ!」
ハルがとりなそうとしても焼け石に水である。ヒートアップする面々は、火花が散るようなにらみ合いを続けていた。
一触即発の気配を学食全体に漂わせていた三人だったが、予鈴が鳴るとその緊張もウソのように解けてしまう。
「ちっ、今日のところは勘弁してやらあ」
「のちのち決着つけようぜ」
「望むところヨ!」
ふん!と顔を背け合い、三々五々教室に戻っていく。
そいうところは律義に学園生活を送るんだな……と思いながら、散り散りになって行く生徒の群れに交じって、ハルもまた教室へ帰っていくのだった。