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№3 名前を呼んで

 『影』は夜眠らなければならない。


 それはどんな『影』であれ同じのようで、影子もまた日が沈むとハルの影にもぐって眠ってしまった。これで朝まで出てこない。


 影子がいなくなった19時ごろ、ハルはとある施設を訪れた。


 電車とバスを乗り継いでたどり着いたその施設は、児童養護施設だった。身寄りのない子供たちが暮らす場所だ。


 なぜハルがそんなところに行ったかというと、ひとりの子供に会うためだった。受付にいた養母に面会したい旨を告げると、中年の養母はうれしそうにラウンジへとハルを案内した。


 この様子だと、ちゃんと生活させてもらってるみたいだな……と安心しているハルの耳に、ラウンジから男の子の声が聞こえてくる。


「デュエル、スタンバイ! ふははははははは! この海馬瀬人様に勝てる者などおらん!!」


 やたらテンションの高い高笑いを上げているのは、よく見知った顔だった。やせっぽちのからだ、褐色の肌に琥珀色の瞳、燃えるような短い赤毛。腕には遊戯王のオモチャをつけて、カードを構えて対戦相手の男子と対峙している。


「ふっ! この武藤遊戯、お前などに負けはしない!」


「ふはははははは! 面白い! この俺にたてつこうとは!」


 社長ってこんなテンション高かったっけ……?と思いながら、ハルは申し訳なさそうに片手を上げて、


「…………こんばんは」


 その声にはっとした少年……『殺人狂時代』は、さっきまでのテンションはどこへやら、真っ赤になって口を引き結び、


「……さっきの、見てたの……?」


「……うん……楽しそうだなあ、って……」


「……ごめん、ちょっと行ってくる……」


 遊戯役の少年に断りを入れると、『殺人狂時代』はオモチャを外し、カードを置いてハルのもとに駆け寄ってきた。


「逆柳さんには言わないでね?」


「言ったらきっとよろこんでくれると思うけど、別に言わないよ」


「絶対だよ?」


「わかったから」


 もじもじと念を押す『殺人狂時代』は、すっかり普通の少年だった。もしかしたら、今はもうあの枕元の拳銃は置いていないのかもしれない。だとしたら、とてもいいことだ。


 ふたりは施設内にある『殺人狂時代』の部屋へとやって来た。


 『殺人狂時代』とは、もちろん本名ではない。


 ハルたちが敵対している『影の王国』の首魁である『七人の喜劇王』のひとり、それが『殺人狂時代』だった。


 しかしそれはかつての話だ。『影の王国』を離反した『殺人狂時代』は、ASSBに保護され、今はこの施設で静かに暮らしている。もともと戦場育ちの『殺人狂時代』も、ASSBが管轄しているこの施設では普通の子供らしく育っているようだ。


 部屋にやってきたふたりは、それぞれ学習机のイスとベッドに腰を下ろし、目を見合わせるとおずおずと笑った。


「久しぶりだね、『殺人狂時代』」


「うん、久しぶり、塚本ハル」


「元気にしてる?」


「元気だよ。毎日マトモな食事が出てきて、あったかい布団で眠れて、学校に行って友達と遊べる。こんなしあわせ、今までなかったことだからちょっと慣れるのに時間がかかったけど」


 戸籍などもASSBがすべて偽造し、『殺人狂時代』は今、普通に小学校に通っている。本人も言っているように慣れない環境にだいぶ苦戦したようだが、友達もできてああして遊んでいるところを見ると、ずいぶん日常にもなじんできたことが分かった。


「全部、逆柳さんが面倒見てくれたんだ。ちょっとこわいけど、いいひとだよ」


「ふふ、そういうのは直接本人に言ってあげて。きっと面白い反応すると思うから」


 あの『閣下』のことだ、いつもの神経質そうな鉄仮面でべらべらとまくしたて、照れ隠しをするのだろう。しかし、ハルは逆柳がヒーローになりたいことを知っている。


 ふと『殺人狂時代』が思い出したように口にする。


「そうだ、僕名前がついたんだよ。あくまで戸籍上の、だけどね」


 今まで『モダンタイムス』がつけた名前である『殺人狂時代』と呼ばれていた名もなき少年だったが、ようやく本名を手に入れたらしい。


「へえ、どんな名前?」


 ハルが尋ねると、『殺人狂時代』はうれしそうに笑いながらないしょ話をするように声を潜め、


「……あのね、ザザ、っていうの。僕はもう、『殺人狂時代』じゃない、ただのザザだ」


 『影の王国』、そして『モダンタイムス』がつけた呪いじみた最後の痕跡が、ようやく消えてくれた。誇らしげにその名を口にする少年は、もう『影の王国』の『殺人狂時代』ではない。


 なんだか無性にうれしくなってしまったハルは、口元に笑みを浮かべながら、


「いい名前だね、ザザ」


「でしょ?」


 『殺人狂時代』……いや、ザザは、そう言って得意げに笑った。


 しかし、その笑顔もすぐに曇ってしまう。


「……僕だけ名前をもらって、妹には悪いけど……」


 ザザの妹、『黄金狂時代』は、『影の王国』にむごたらしく焼き殺された。その現場にはザザもいて、妹が火刑に処されて死んでいく様子をずっと見せつけられていたのだ。


 戦場で育ち、その小さな手にサブマシンガンを抱えて生きてきたザザにとって、妹は唯一の肉親であり、こころの支えであり、トリガーでありストッパーだった。


 その妹が無惨に殺されて、ザザは『影の王国』、そして『モダンタイムス』に復讐を誓ったのだ。


 だがそれは単なる仇討ちではない。


 ザザ達きょうだいを翻弄してきた運命に対する反逆だ。


 『神様を出し抜いてやる』と、ザザは言っていた。


 それが、殺された妹に対するせめてものはなむけだった。


 処刑の様子を思い出して暗い空気に沈みかけていたふたりだったが、ザザはとりなすように明るい声で、


「だからさ、たくさん名前を呼んでよ。そうすれば、きっと妹もよろこぶ」


「……わかったよ、ザザ」


「うん」


 それが自分の名前だと確認するようにうなずき、ザザは少しさみしげな笑みを浮かべた。


「なにかあったら絶対に言ってね」


 そう、ザザもまた『影使い』だ。対象の影を斬りつけることによって、本体にダメージを与える『黒曜石のナイフ』。ザザの影から無数に出現するそのやいばの威力は、先日の一件でまざまざと見せつけられた。


 そんなザザも、今ではこころ強い味方である。


「……っていっても、その時が来たら逆柳さんから『影』を使うように言われるんだろうけどさ。『影の王国』を倒すためなら、僕もちからを貸すよ」


「うん、そのときはお願いするよ」


 ハルはうなずくと同時に、否応なしに戦いに身を投じなければならない『影使い』の業の深さを実感した。


 こんな小さな子供まで巻き込んでしまっているのだ、一刻も早く『影の王国』を打倒して、すべてを終わらせなければならない。


 もう、誰かが不幸になることはあってはならないのだ。


 ハルはその後、ザザと他愛のない話をして過ごし、あまり遅くならないうちにその場を去ろうとした。


 ザザは去り際のハルの制服の裾をつかんで、ぼそりと控えめにつぶやく。


「……最後に、もう一回だけ名前を呼んで……?」


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