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№6 『杉』、再び

「……さて。先の一件でも露呈したことだが、ASSB内部には私の敵がいるようだ」


 そうだ。あの『無影灯』ヘリが妨害工作によって遅れなければ、『黄金狂時代』は助かったかもしれない。ザザは妹を失わずに済んだかもしれなかったのだ。


 やさしい味のほうじ茶を苦汁のように飲みながら、逆柳は続ける。


「一枚岩の組織など存在しない。それは以前から認識していたことだったが、ひとのいのちが関わっている案件にまで横やりを入れる輩がいるとまでは考えていなかった。『黄金狂時代』君の死は私の浅慮が招いたことだ。どうやら私は、自覚していた以上に考えが甘かったらしい」


 元々、逆柳はどちらかというと性善説を信じるタイプだった。人間という生き物を愛し、それゆえに守ろうとしているのだ。それが敵であろうと、味方であろうと。


 だが、今回想像を絶する悪意に触れて、逆柳はまんまと裏をかかれた。『黄金狂時代』が生きるか死ぬかの局面で、敵はなおも逆柳の足を引っ張ったのだ。結果、『黄金狂時代』は残酷な火刑に処された。


 逆柳はなによりもそれを悔やんでいた。ザザに対する手厚いケアも罪滅ぼしの気持ちが半分だった。助かるはずだったいのちが、考えの甘さから失われたのだ。


「正直、ここまで私を敵視している……いや、憎んでいるとさえ言えるものが組織の中にいるとは思ってもみなかった。敵は私の勝利をなんとしても阻止したいらしい。完全なる私情だよ。おおやけのために戦うASSBに在りながら、敵は私に対する憎悪という取るに足らない見下げ果てた理由で人命をないがしろにした」


 湯飲みのなかのほうじ茶が徐々に冷めていく。飲みやすくなったお茶とは対照的に、逆柳の弁論は加速していった。


「さいわいなことに、憎まれることには慣れている。いくらでも憎悪してくれて構わない。が、市民を守る立場にあるASSBにおいて、私情を挟むことは絶対に許されない。ひとひとりのいのちが地球よりも重いとは言わない。いのちの重さはいのちの重さでしかない。が、それが失われることをよしとするものがのさばっているというのならば、私はそれを許すわけにはいかない」


 ヒートアップしているという自覚があるのか、逆柳はぬるくなったほうじ茶を一口飲み、深く息をついた。


「『無影灯』ヘリの出動は、上層部のみが左右できる要請だ。それを妨害するとなると、敵は相当に上に食い込んでいるらしい。誰がどうやって上層部に取り入っているのかはわからないが、こうして組織が腐っていくのは見るに堪えない……どうにも、ヒーローになれなかった大人の血が騒いでね」


 そう皮肉げに締めくくって、逆柳は口元だけで苦く笑った。


 ほうじ茶も空になり、そろそろお口直しがやって来るという頃、聞いたことのある声が廊下からやってきた。


「その話、僕も混ぜてもらいましょか」


「……雪杉さん!?」


 驚いて呼んだ名に、当の本人はお口直しの葛切りを持ってにっこり笑う。ひょうひょうとした糸目に後ろで結んだ長髪。かつて逆柳と出世争いをし、敗北したはずの雪杉なぞるがそこに立っていた。


「おひさしぶりやなあ、塚本ハル君」


「いや、おひさしぶりです、けど……本部に戻ってきたんですか?」


「まあ、そこの『閣下』に戻された、っちゅうのが正解やけどな。そんなことより、お口直しやでー。僕もいただくわ」


 雪杉はそう言うと、勝手に座敷に上がり込んで三人分の葛切りを配膳した。ちゃっかり逆柳の隣に陣取っている。


 雪杉なぞる。かつてミシェーラが爆弾騒ぎを起こしたときに激突した『十字軍』のことは、ハルもよく覚えている。


 いくら負けを認めたからといって、あのときのことがチャラになるわけではない。身構えた様子のハルを見て、雪杉は葛切りを食べながらくすりと笑った。


「安心してや。僕はもう敵やないで。負けた身分で今更やいやい言うつもりもないわ」


 逆柳の方を見ると、涼しげに葛切りを食しながらうなずいている。


「雪杉は私が関西支部から呼び寄せたのだよ。今は対策本部で、私の右腕として働いてもらっている。当初は価値観の違いがあったが、それも君のおかげで解消された。数少ない信用できる身内、というやつだよ」


「そゆことですう」


 そろって甘味を食しながら、雪杉がにっこりと微笑んだ。


 ハルも黒蜜のかかった葛切りを口に運びながら、並んだふたりを見詰める。


 そう、ふたりはかつて敵対していたのだ。逆柳率いる『猟犬部隊』と、雪杉擁する『十字軍』。両者がぶつかり合った結果、ハルの言葉によって雪杉はそのこぶしを下ろした。そして、出世争いに敗れ、関西支部に帰ったはずだったが……


 まさか、ここで逆柳が呼び戻すとは思わなかった。しかも、対策本部の右腕とまで言ったものだ。


 言われてみれば、雪杉なぞるは敵対していたとはいえ、信用の置ける人物だ。己の正義を信じ、そして人命のためならばその正義を折ることもよしとした。一本気な人間だとハルも知っている。


 そうなると、逆柳が『信用できる身内』として呼び寄せたのも、ある意味納得できた。もともとふたりは切磋琢磨してきた同期だ、気の置けない戦友としてこれ以上ない人選だった。


「雪杉にも協力してもらって、今はその敵をあぶり出そうとしている。なにかがあれば悲鳴が聞こえるよう、いろいろ細工をして、ね」


「そうそう、煮え湯でじっくりことこと煮込んだら、きっと浮かび上がってくるでー」


 ひどく物騒なことを言いながら、ふたりはにやりと笑いあった。


 最恐のタッグだな……と背中の冷える思いをしながら、ハルは葛切りを口に運ぶ。敵に回すと厄介だが、味方になればこころ強い。


 それに、逆柳が唯一認めていた男が雪杉なぞるだ。それなりの敬意を払ってライバル視していたのだろう。そんなふたりの分かたれた道が再び重なり合ったのは、ハルとしてもよろこばしいことだった。


「君は引き続き、駒として動いてくれたまえ。君が動くたびに局面が変わる。それをゆめゆめ忘れぬよう」


 葛切りを食べ終えた逆柳は、そう言い残して雪杉を伴い座布団から立ち上がった。まだハルの器には甘味が残っている。


「安心したまえ、ここも経費で落ちる。君はもう少しゆっくりしていくといい。実に有意義な時間だった。感謝するよ、塚本ハル君」


「ほなまた、塚本ハル君」


 雪杉がひらりと手を振り、逆柳と共に座敷を後にした。


 残されたハルは葛切りを食べながら、まさかあの雪杉が戻ってきたとは、と驚きの余韻を引きずっていた。


 そうまでして切り崩さなければならない、ASSB内部の敵。


 その敵は、対策本部が、逆柳が動くたびにまた妨害工作を仕掛けてくるだろう。『影の王国』を相手取っての戦いにおいて、重大なガンとなるに違いない。また『黄金狂時代』の件の二の舞になりかねない以上、そうそうに芽を摘んでおかなければ。


 あのコンビならば、その敵もあぶり出せるかもしれない。そして、潰すときは容赦しないだろう。


 ハルとしても懸念事項だったので、逆柳と雪杉にはがんばってもらうしかない。


 それと同じくらい、自分もがんばらなければならない。


 逆柳の言う通り、ハルの行動がすべてのキーとなるのだ、こころしてかからねば。


 葛切りを食べ終えた器を置いて、ほうじ茶のおかわりを頼む。


 熱い茶が来るまで、ハルは今後の身の振り方について考えるのだった。


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