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№5 甘味尽くしフルコース

 郊外にある隠れた名店である老舗の割烹料亭。


 その離れのだだっ広い畳敷きの部屋で、ハルは逆柳と差し向かいで座っていた。


 繁華街ではネオンが輝き始めるころだろう。普通なら夕餉の時間だが、今目の前に並んでいるのはお汁粉と梅が枝餅だった。


 接待などで行きつけの割烹料亭で、お得意様限定の甘味尽くしフルコースが供される。そういった情報がたどたどしいラインで送られてきて、ハルはすべてを察した。


 このラインが苦手で超甘党な『閣下』は、今日も一部のほつれもないオールバックにスーツ姿で、眼鏡の奥の目は神経質そうだがどこかきらきらしている気もする。


「君ならば誘いに乗ってくれると思っていたよ。いや、確信していた」


 繻子座布団の上にきれいな姿勢で正座をする逆柳は、お汁粉の入った器を手で抱え、大切そうに一口ずつ飲んでいる。


「なにせ、私の甘味好きの唯一の理解者だ。君に断られれば私はこの千載一遇のチャンスを逃すよりほかない。期間限定、お得意様限定のこのフルコース、涙を呑んで見送ることしかできなかっただろう。そんな苦渋の決断を、君のような少年が迫るはずがない。そう見込んでのことだったのだよ」


 相変わらずべらべらしゃべっているが、要は『ハルに断れない圧をかけました』と言っているのだ。甘味好きなのを知っているのはハルだけなので、他の誰かを誘うことはできない。頼みの綱は君だけだ、と無言のプレッシャーを与えられれば、誰だって誘いに応じるだろう。


 逃げ道をふさぐようなやり方は逆柳らしくないが、それだけ切羽詰まっていたということだ。糖分への欲求がこの男を駆り立てたのだろう。


 そういう点では部下以上にこころを許してもらえているのだと思うとフクザツだったが、またややこしい話が始まるに決まっているので、ハルはなるたけ早めに帰りたかった。


 ハルもお汁粉に口をつける。さすが老舗割烹料亭、下品な甘さではなくさわやかささえ感じる甘さだ。濃厚なアズキがしっかりと煮溶かされており、入っている粒もほこほこしている。まあ、お汁粉缶のとりこになっている影子から言わせれば、お上品ぶりやがって、といったところだろうが。


 しかし、甘いものは甘い。半分ほど飲んだが、重厚な甘みにやられそうになって煎茶を合間に挟みながら、少しずつ飲み進めていく。


 そんな甘々なものを、梅が枝餅をアテに飲んでいる逆柳は、やはり相当な甘味好きだ。逆柳は竹串でほぐした焼餅を口に運んではお汁粉を飲み、


「やはり甘味はいい。私は合理主義者だが、糖分補給のためにブドウ糖錠をがりがりと嚙み砕くことが無粋であることくらいはわきまえているつもりだよ。しっかりと糖分と向き合い、ありがたく摂取することが礼儀というものだ。食事とはかくあるべきだと私は考えるが、君はどうかね?」


「……最初のころの逆柳さんは、三食カロリーメイトなひとなのかと思ってましたけど……意外と人間くさいところもあるんだなあ、と」


「おや、微妙に論点をずらしたかね? まあいい。私とてただの人間だ、食事もするし、排泄もするし、睡眠もとる。しかし、そのような動物的ルーティンには敬意を払ってはいけない、という決まりもなかろう。むしろ、生命活動に必要不可欠な活動こそ、質を高めることによってQOLが上がり、生産効率の向上へとつながる。私はそういった意味で真の合理主義者なのだよ」


 照れ隠しのつもりだろうか、通常の三倍ほど口が回っているような気がする。ハルには、はあ、と返すことしかできない。


 逆柳が梅が枝餅とお汁粉を平らげて少ししてから、ハルもようやく供された甘味を完食した。しかし、コースというからにはこれだけではない。


 次にやって来たのは主菜(?)である栗ようかんと抹茶である。ほっこりと炊き上げられたたくさんの栗を、重々しいようかんがまとめ上げているヘビーな代物だ。それだけだと舌がしびれそうだったので、抹茶の救済はありがたかった。


 黒文字で少しずつようかんを切り分けて口に運び、納得したようにうなずく逆柳。


「ここちよい重みだ……なるほど、わざわざコースのメインに持ってくる理由がわかる。しとやかな甘栗をかたく抱きしめる、包容力豊かなようかん……まさにベストカップルだ」


 回りくどい食レポは相変わらずだった。影子くらい語彙力をゼロにした食レポもどうかと思うが。


 ほくほく顔でようかんを切っては口に運ぶ逆柳を見ているだけで、胸がいっぱいになった。しかし、メインを食べないというわけにもいかない。ハルもようかんに黒文字で斬り込み、合間に抹茶を挟みながらちびちびと食べていく。


「ところで、名前がついたんですね、『殺人狂時代』」


 世間話も甘味の席には不可欠だ。特に、この男相手ともなると。


 ようかんを食べる手を一旦休めて抹茶を楽しみながら、逆柳は目を細める。


「そう、私が名付けたのだよ。『地下鉄のザジ』というフランスのコメディ映画が好きでね、少しもじらせてもらった」


 そんないわれがあったとは。逆柳のような男はフランス映画の難解さは好みそうだが、コメディが好きとは知らなかった。また新たな一面が垣間見える。


「あの映画のザジのように、子供らしく面白おかしい日々を送ってほしい。そう願ってつけた。もう陰鬱な悲劇は充分堪能しただろう。これから先、あの子供に必要なのはコメディだ。君は時折様子を見に行っているようだが、どうかね?」


「ええ、逆柳さんの願い通り、楽しい生活を送ってるみたいですよ。名前をつけてもらったの、すごくうれしそうでした。あなたにとても感謝していましたよ」


「……しあわせそうだったかね?」


「ええ」


 それだけはたしかに言えた。強くうなずくと、逆柳は同じようにうなずき返し、


「子供ひとり守れないようでは、大人失格だ。私は大人の責務を果たしたまでだよ。罪滅ぼし、という側面もあるがね。もちろん、君とて子供だ。私は全力を持って君をサポートしよう」


「……でも、利用はするんでしょう?」


 ハルのひと刺しに、逆柳は抹茶を飲みながら皮肉げに口端を持ち上げ、器を置いて肩をすくめた。


「無論、持ち駒のひとつだ。が、利用することと守ること、それらは決して矛盾などしていない。君も自転車にくらい乗るだろう。使っているうちに愛着がわき、メンテナンスを行って末永く付き合っていこうとする。つまりは、そういうことだよ」


「自転車といっしょにしないでください」


「これは失敬」


 くく、と喉で笑うと、逆柳は再びようかんに手をつけ始めた。


「ところで、最近は塚本影子君とはどうなのかね? 例の一件以来、君たちの間にあった一線は消えたように見えたが?」


 栗ようかんが喉に引っかかりそうになった。抹茶を飲んで胸を叩き、人心地着いてからハルは渋々答える。


「……いえ、特には。いつも通りですよ。アプローチが少し過激になったっだけで」


「ほう? たとえば?」


「あまりいじめないでください」


 ぶすくれた顔をすると、逆柳はまた喉を鳴らした。


「また失敬した」


「とにかく、影子も僕も特に変わりなしですよ。ああ、そうだ、今度クリスマスパーティーをするって張り切ってました。僕も参加するんですけど、よかったら逆柳さんも来ます?」


「青春を謳歌する学生の中に、中年男がぽつりと混じる気はない。あいにくわきまえているつもりなので、気持ちだけちょうだいしておこう」


 ハルも『参加する』と言われたらぎょっとしただろう。社交辞令として誘っただけで、その辺は逆柳も心得ている。


 栗ようかんは半分ほどのところでちから尽きた。逆柳はまだまだいけそうだったが、片手を上げて仲居さんに下げてもらう。食べ物はできるだけ残さず食べる主義なので、少しこころが痛んだ。


 熱いほうじ茶を持ってきてもらって、甘味で熱くなった胃をあたためていると、湯飲みを置いた逆柳が急に居住まいを正した。どうやらここからが本題らしい。


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