怪獣の咆哮が、金属と獣声を掛け合わせたような不快な振動音を伴って響き渡る。朽ち果てた工場はその音圧だけでも崩れてしまいそうだ。
車内の怪獣駆除記録用端末が音割れする。私の耳もどうにかなりそうだ。
『怪獣駆除の記録は必ず取って、当日中にレポートをあげるっぴよー! 特に誰がどの魔法を使用したかは必ず報告するっぴ。遅れたら減給』
モフ丸が事務所出発前に繰り返し何度も伝えてきてきた言葉がフラッシュバックする。減給と言う部分に妙な口癖がついていないのがその真剣さを物語っていた。まぁ時間単位の納期でないだけましだ。
前職では1時間後とか馬鹿げた納期で、更にICレコーダーなどの記録端末は根性が足りないと不正とされた。私は根性よりも文明の利器を信用したい。
……違う。
今は社畜経験を振り返っている場合じゃない。すぐ現実逃避使用する自分の頬を打って集中する。
「怪獣くんとお話、したいです!」
肌を震わす咆哮に臆することなく怪獣を見上げながら、白瀬が精一杯大きな声で言うのが端末から聞こえてきた。
「またぁ?」
白瀬の申し出に星宮すみれが呆れたように眉をひそめる。
「……ダメだと言っても意外と頑固だもんね、カノンは。まぁ好きにしなさい。でも危なくなったらすぐ引くのよ」
物分かりの良いリーダーだ。私にもそうしてほしいと願っている間に白瀬が一歩踏み出し、怪獣に語りかける。
「君はなんで暴れるの? もし話せるなら、聞かせてくれないかな……君の苦しみを」
空気が一瞬だけ静まり、怪獣の動きが止まったようにも見えた。
だが次の瞬間、咆哮と共に衝撃波が走り、白瀬の足元の地面が爆ぜる。
「……優しさ、
白瀬は悲しげに微笑み、後方へふわりと跳んで下がった。
「カノンが悪いんじゃないわ。怪獣には理性なんかないの」
「……でも、そうじゃないかもしれないって、思いたくて」
「気持ちは分かる。それに私にはカノンの優しさ、十分伝わった。だから、今はまず目の前の命と生活を守ろう!」
星宮の一喝に、白瀬は苦悩を抱えつつも頷いた。
星宮はカノンの優しさを台無しにした怪獣への怒りの表情で前に出た。そして、肩越しに一瞬だけ振り返る。
「いい? 今日はお客様がいるからね。デモンストレーションからよ
」
すみれが手を前に突き出し、指先で空を裂くように魔力をかき混ぜると、宙に光の弾が浮かび上がる。
「
その言葉と共に、白銀の光が怪獣に向けて連射された。次いで、足元から浮かび上がった魔法陣が焼け焦げるように展開される。
「
赤熱の輪が怪獣の周囲を取り囲み、進行を封じる。だが、再生能力の高い怪獣は火傷も痕跡も残さず、輪を打ち破って前進を続ける。
すみれはさらに魔力を振り上げ、もう一撃。
「
光の斬撃が空を裂き、怪獣の左肩を斜めに切り裂いた。だがやはり、それも数秒と持たずに肉は盛り返されていく。
「……ホント、しつこいのは嫌い」
肩で息をしながら、すみれは一歩踏み込んだ。
彼女の胸元に揺れる宝石のペンダントが、魔力に共鳴して煌めく。
その瞬間、彼女の全身を包むように魔力の風が吹き上がり、足元に王冠の紋章が浮かび上がる。
星宮すみれは、詩のような口調で詠唱を始めた。
その声と共に、彼女の背後に光の花が咲く。
咆哮のように広がった魔力が、怪獣を中心に吹き荒れた。
爆風の中心から閃光が放たれ、建物の鉄骨がしなるような音と共に周囲が震撼する。
工場の床が溶け、怪獣の外皮が崩れ落ちるかのように蒸発する――
(だが、それでも倒れない!?)
まさかの反撃。怪獣は再び尾を振り上げ、彼女に迫る!
鮮やかな紅が舞い、星宮の体が吹き飛ぶ。
「すみれちゃん!」
白瀬が駆け寄り、膝をついた星宮の背に手をかざす。そして、そっと目を閉じ、祈るように詠唱した。
彼女の指先から光が流れ出し、透き通った音色が空間に満ちる。光は柔らかく揺らめき、星宮の傷口を優しく包んでいく。
「っ油断した! カノン、ありがとう」
「いつも無茶ばかりするんだからぁ、すみれちゃんはぁ」
最大限の攻撃魔法が通用しなった二人は、怪獣から距離を取り攻撃をなんとか避けつつ、牽制の小規模魔法攻撃をして反撃の機会を窺っているが次の手があるようには見えない。
すみれは歯を食いしばりながら連続詠唱を続け、小規模な牽制魔法をいくつも発動している。軌道をズラす閃光弾、足元を抉る魔力弾、そして音響でかく乱する超音波。だが、どれも怪獣の再生速度に追いつかず、数秒もすれば元通りだ。
「ちっ、何発打てば気が済むのよ……っ!」
彼女の声が震える。額から汗が垂れ、無線イヤフォンに当たった瞬間、それが耳から外れて地面に落ちた。車内に大きなノイズが走り、星宮の声が聞こえなくなった。
それでも彼女は魔力を練り続ける。孤独な戦場。次の一撃を外せば、白瀬にも被害が出るかもしれない。
その間も、記録端末には怪獣の挙動ログと生体シグネチャが連動して着々と記録されている。星宮のバイタルサインからは焦りやじわじわと湧き出る恐怖がしっかりと読み取れた。
目の前で繰り広げられる戦闘は苛烈だが、高橋の思考は静かだった。星宮のピンチだからこそ頭が冴えわたっていく。
硬化→液状化→反射、そして……熱源の偏り?
その事実が導き出す結論を検討中にかつての先輩——健司に裏切られた日の記憶がよみがえる。
『いいか、高橋。非効率は悪だ。お前は何も考えずにがむしゃらにやり過ぎる。はっきり言って効率が悪くて見てられない。頑張ってるだけで褒められるのは学生までだぞ。結果を出せ、結果を。そのためにはまず冷静に状況を分析しろ。そして、できるだけ頑張らないで結果を出す。それがデキる男だ』
その声が、今も頭にこびりついている。
……あの人の言う効率化は他人を犠牲にして成り立つものだった。主に私を!! でも、言っていることは一理ある!
何度も戦闘記録を巻き戻して再確認する。そのとき、怪獣が一瞬だけ背面の中央部、肩甲骨にあたる部位の色が薄くなる瞬間があることに気づく。
「……ここか。背面中央、排熱か何かで装甲が薄くなる。再生も一瞬だけ止まる……」
勝てるかもしれない。
だが、
いや、嘘をつくな、高橋。伝える方法ならあるだろ、選ばないだけで。
激しい衝撃波が周囲を揺らす。スターリリィたちの攻撃と怪獣の反撃が拮抗し、一瞬でも気を抜けば命を落としかねない戦場だ。
近づいたら……死ぬかもしれない。
死、か。
自分もよく、前職の残業中に死ぬ死ぬ言っていたが、本当に死ぬと思っていたわけではない。
そのとき、脳裏にかすかな記憶がよぎる。
——あの時、オフィスで倒れた自分。ストレッチャーに乗せられた帰り道。「心臓が止まりかけていた」という医師の言葉を思い出す。
あの時、私は……一度、死んだ。
「……行け、高橋」
誰に言われたわけでもない。だが、背中を押されたような気がして、彼は走り出した。
――直後。
怪獣の尻尾が地面を薙ぎ払い、鉄骨ごと高橋の進路を襲った。
「危ないっ!」
白瀬が飛び込み、光のバリアを展開。高橋を抱えるようにして地面に転がる。
「お兄さん!?」
「アンタッ、ただの社畜が何やってんのよ! 車に居ろって言ったでしょ」
「……すまない。でも、弱点を見つけた。あいつの背中の——」
バリアの向こう、星宮の視線が突き刺さるようにこちらを向いていた。
「文句はあとにしてくれ、星宮。あの怪獣、背中の中央……排熱用の外皮が一瞬だけ薄くなるタイミングがある。そこを狙え」
星宮は一瞬、目を細めた。
「本当に……あんたの推測、信じていいのね?」
「信じる信じないじゃない。他に選択肢があるのか?」
「……ムカつく。愛想ないって言われない? でも了解」
白瀬が呼応するように膝をついた星宮の背にそっと手を添える。彼女の目には涙はない。ただ、深く静かな決意だけがそこにあった。
「すみれちゃん……カノンも頑張るから。」
彼女は胸元のペンダントを握りしめ、目を閉じて空を見上げる。淡く光る魔法陣が周囲に浮かび上がり、花びらのように揺れながら空間に旋律が満ちる。
魔法陣が三重に重なり、優しく、しかし確かな魔力が星宮へと流れ込む。彼女の足元から浮かび上がった王冠の紋章が、再びその輝きを取り戻す。
「……ありがと、カノン」
星宮はゆっくりと立ち上がると、遠くにいる高橋の方へわずかに頷き、そして怪獣の背後を見据える。
「これで倒せなかったらただじゃおかないからね、社畜!!」
すみれは胸のペンダントへと手を伸ばす。宝石が赤々と燃え、空気が震える。
足元に浮かんだ魔法陣は王冠の紋章。そこからまるでオーケストラのように輝きが広がり、彼女の後ろに七つの光柱が立ち上がる。
その瞬間、彼女の背に巨大な光の羽根が広がった。
まるで天空に向けて王冠を掲げるように、すみれの魔力が一点に収束され、爆発的な輝きとなって解き放たれる。
白瀬が唱えた和光がその輝きを導き、星宮の閃光が怪獣の背中、装甲の薄れた一点に正確に突き刺さった。
怪獣の身体が波紋のように震え、咆哮と共に泡のように崩れていく。紫の霧と残響が残り、そこにはただ、焼け焦げた地面と静寂が広がっていた。
一瞬の沈黙。
そのあと、星宮は背を向けたまま、ぽつりと呟いた。
「……助かったわ、あんたの観察力」
その背中を見つめながら、私は静かに笑った。
「社畜もたまには使えるだろ」