社畜には平穏は許されないらしい。
謝罪動画出演、PR動画撮影。主演と監督を同日にこなした後、今度はドライバーだ。
しかも向かっている先が怪獣発生現場ときた。社畜マインドが染みついている私でも、初出勤にしてこれは業務過多だと言わざるを得ない。
怪獣だぞ、怪獣。私はウルトラ警備隊か?
そもそも怪獣なんてものが何故現れたのか。
――
Q. 怪獣はなぜ出現するのですか?
A. 現在、怪獣の出現理由については調査中ですが、有力な仮説が存在します。
令和4年に施行された「魔力資源基本法」に基づき、日本政府はマントル層から採掘される魔力結晶をエネルギー資源として安定供給する体制を確立しました。それに伴い、怪獣と呼ばれる未知の巨大生物が全国各地で散発的に出現するようになったことが確認されております。
現時点では、以下のような説が有力とされております
■ 怪獣出現に関する有力仮説
「エネルギー循環反応における共鳴干渉仮説」
魔力結晶はマントル層に存在する未知のエネルギー核(アークファクター)との共振によって活性化されるとされており、その副次的作用として、地球環境に存在する特殊な元素・生命体との局所的なエネルギー歪みが発生。
その歪みが一定以上の閾値に達すると、局所的な生体情報の再構成が起こり、怪獣と呼ばれる新規生命体が出現する可能性があると報告されています。
この現象は国際的にも例がなく、日本列島特有の**高エネルギー感応地帯(ハーモニックゾーン)**でのみ確認されています。
■ 国民の皆さまへ
怪獣出現は突発的かつ予測困難な現象であるため、全国に配置された魔法少女チームが速やかに対応し、皆さまの安全を守る体制が整えられております。
M.A.G.E.では引き続き、怪獣出現メカニズムの解明と、安全な生活環境の維持に全力で取り組んでまいります。
「魔法少女がいて良かった」——そう言っていただける未来のために。
※
ーー
なるほど、それっぽい説明だが何も分からないという事を高尚に言っているだけだ。政府広報の資料も作成したことがあるから、こういう言葉を使わざるを得ない事情は良く分かる。
しかし、魔法少女技術が開発されなかったら一体どうやって怪獣に対応していたのか。想像するだけで背筋が凍る。
思考が巡る。
広告制作のため、様々な現場を経験してきた私だが、怪獣は初だ。色々考えていないと緊張で胃が口から出てきそうだった。
それにしても人手不足が過ぎる。ドライバーくらい雇用した方がいいんじゃないか? 仮にも国家防衛の要だろ。モフ丸にそれとなく抗議したら「魔法少女は秘密が多いから、ケアする人間は厳選してるっぴ~。予算もカツカツだから丁度いいっぴ~」とか尤もらしい事を言っていた。
そんなんだから、前任者が失踪するんだぞ。
後部座席では腕を組んで目を瞑り集中しているようだが貧乏ゆすりが隠せない星宮すみれと、ぬいぐるみを抱えて「怪獣さんと仲良くできるといいなぁ」と呟いている白瀬カノンがいる。
車内の空気があまりよろしくないので、話題を提供する事にした。
「それにしても、緊急事態なら魔法でテレポートとかしないのか」
「……馬鹿言わないで」
星宮がバックミラー越しに睨みつけてきた。とても少女の眼光とは思えない。
「魔法ってのは、心の力を使うからそれなりにしんどいのよ。怪獣と戦う前に消耗するの? 負けたら大勢死ぬのよ。責任取れる?」
大勢死ぬ。
その言葉に、私は一瞬言葉を失った。私が従事している業務の重さを再認識した。二つ返事で応諾したことを少し後悔しなくもない。
だが、あの夜モフ丸から見せてもらったPVでは、死の匂いなんてまったくしてこなかった。自分の顔を千切って奉仕する某菓子パン
香水は適量ならば心地よいが、多すぎると気分が悪くなるものだ。あのPVもそういった類のものなのかもしれない。プロモーションは得てしてそういう風になってしまうことが多い。
対象の良い所ばかり、つまりは理想を喧伝するため、胡散臭くなってしまうのだ。かといって現実を見せたって見向きもされない。人は理想に酔いたいのだ。
どこも一緒だなと辟易しながら、
「……すまん。良く知らないのに軽率だった」
謝罪すると、星宮は「ふん」と顔を背け何もなかったかのように窓の外を見やった。
「すみれちゃん。お兄さん、謝ってるんだから、許してあげなよぉ」
白瀬はぬいぐるみで腹話術をしながら、ゆっくりと諭した。
「………許してるわよ。悪かったわね、分かりにくくて」
「あっ、見て! あそこ! 怪獣くん!」
絞り出したかのような星宮の声は、マイペースな白瀬の怪獣発見の声にかき消された。だが問題ない。私には聞こえた。
白瀬の指摘の方向に目を凝らすが私には何も見えない。魔法少女特有の感覚があるのだろうか。
「ここで止めて」
怪獣発生現場は廃工場跡。その駐車場に無造作に車を停める。
星宮がドアを開け、車外に出る。その背中は何の言葉も求めていないように見えたが、それでも声をかけた。まるでかつての自分を見ているようだったからだ。
「私に何かできることがあるなら―」
「何もしなくていい。邪魔だから車にいて」
全て言わせてもらえなかった。星宮は強い。
「じゃあお兄さん行ってくるね〜! カノン、がんばるっ!」
後を追う白瀬のふわふわの髪が朝日を反射して輝く。
これから、何かが始まる――そう確信した。
現場は思っていたよりも静かだった。
それがかえって不気味だった。
先ほどまで通報が殺到していたはずの一帯。空気が張り詰めていた。パトカーも消防車も封鎖線の外で身動きひとつ取れず、圧迫感のある沈黙に包まれている。
だが、その静けさを一瞬でぶち壊すように、突如として風が荒れ狂った。
工業の壁が“バキィ”と不自然な音を立て割れる。そこから這い出てきたのは――
「……これが、怪獣?」
星宮、白瀬が身につけた超小型カメラ兼通信端末から送られてくる映像が車内の怪獣駆除記録端末に映し出されている。
私は言葉を失った。
夕日で世界が朱に染まる中、異様な存在がうごめいている。
何かの動物に似ているようで、まったく似ていなかった。
胴体は異様に長く、硬質とも軟質ともつかぬ皮膜が幾重にも重なって、溶けかけた蝋のように垂れている。皮膚全体は淡い紫色の透明な光を帯びており、見る角度によっては中身が透けて見えるような錯覚に陥る。ところどころ脈打つ器官のようなものが見えるが、それが心臓なのか胃なのか、あるいは別の器官の塊なのかは判別できない。
頭部らしき部分は円形の骨格が歪に配置され、無数の眼孔が等間隔に空いている。それぞれが独立して動き、まるで“誰かを探しているような”視線を送ってくる。眼はあるのに、目が合う感覚がまったくない。あまりに虚ろだ。
胴の内側からは気泡のような吐息が漏れ、淡い靄が漂っていた。その靄は近づくほどに視界を霞ませ、まるで記憶が霧散していくような感覚を覚える。音も鈍くなり、自分がここにいる意味すら問われるような、異様な圧を持っている。
まるでこの怪獣そのものが、「なぜそんなに頑張ってるの?」と問いかけてくるかのようだ。
この怪獣のコードネームは【ウツロゲロス】と認定された。
今ここに現れたこの“災厄”は、ただの暴走する生物だとは思えない。人間の仄暗い感情が具現化したようなそんな嫌な感じがひしひしと伝わってきた。
私が思わず嘔吐しそうになった時、5月の薫風のような心地よさに包まれた。車を降りた二人から放たれている
「変身するわよ、カノン!」
「うんっ!」
先ほどまで笑っていた白瀬が、一転して真剣な表情になる。
ふわりと、二人の足元から光の粒子が舞い上がった。周囲の空気がねじれ、力場が螺旋状に巻き起こる。
最初に変身を始めたのは、星宮だ。
彼女が右腕を高く掲げると、指先に集束した光が炸裂した。
と、彼女が名乗り終えるとまるで観客の視線が一点に集まったような錯覚が起こる。背後から照明のような魔法陣が展開し、無数の光が彼女の姿を撫でるように走った。
スーツのような布が舞い、宝石の粒子がボディラインに沿って編み込まれる。まるで極光を縫い上げるような演出。ドレスというには動きやすく、戦闘用というには華美すぎる――彼女だけの「ステージ衣装」だった。
決めポーズとともに、爆発的な力が周囲を払った。彼女が踏み込んだだけで、アスファルトが煌めいた。
続いて、白瀬カノンが胸元のぬいぐるみをぎゅっと抱きしめ、優しい声で、詠唱する。
彼女の周囲に花びらのような光が舞い、空中に薄いベールのような魔法陣が何層も展開された。そこに彼女自身のパステルピンクの魔力が反響し、包み込むように衣装へと変換されていく。
袖口にはハート型の装飾。スカートは空気のように軽く、ただの装飾ではなく「防御の意思」が編み込まれていると直感した。
変身が完了した瞬間、彼女の目に宿ったのは、「すべてを受け止める覚悟」だった。
星宮は前に出て、白瀬は後方支援。視線を交わし、彼女たちは一糸乱れず、現実の怪獣へと向かって走り出した。