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思春期の高校生男子にとって、『何でも』なんて言葉は軽々しいようで重過ぎる。



 そして迎えた放課後。ホームルームを終えると、担任の釜谷先生が「あんたたち、寄り道せずに帰りなさいよー」と言いながら教室を後にした。それを合図に生徒達はそれぞれ動き出す。部活に向かう者、帰る準備を始める者と様々だった。


 そんな中、僕は如月さんと話がしたく、彼女の姿を探す。しかし、彼女は既に帰ってしまったのか教室にはいなかった。そのことに少しだけ落胆しつつ、僕は鞄を持って立ち上がる。


 おそらくは、あそこだろうか。僕は彼女がいそうな場所を予想して、その場所へと向かった。


 その場所とは、ここ数日に渡って僕が足繫く通っている場所である屋上だ。昼休みにも訪れたこの場所を、僕は再訪することにしたのだ。もちろん、そこにいなければ別の場所を探しに行くつもりだけど。


 階段を上り切り、屋上に繋がる扉の前に立つ。そしてゆっくりと深呼吸をしてからドアノブに手を掛けた。そして扉を開けるとそこにはやはりと言うべきか、一人の少女がいた。フェンス越しに景色を眺めていた如月さんは僕の存在に気付いたらしく、こちらへ振り返った。


「あっ……」


 如月さんの姿を見た瞬間、思わず声が漏れてしまった。そこにいたのは紛れもなく、探し求めていた彼女だったからだ。僕は彼女に歩み寄りながら声を掛ける。


「……やっぱりここにいたんだね」


 僕の言葉を聞いて、如月さんは無言のまま頷いた。そんな彼女の隣に立つと、改めてその姿を観察する。相変わらず綺麗な子だなと思った。


 長く艶やかな髪が風に靡き、その整った顔立ちが映える。普段は無表情だが、こうして眺めているだけでも十分魅力的に見えるのだから不思議だ。


 そんなことを考えながらしばらく見つめていると、不意に彼女と目が合ってしまった。その瞬間、僕は慌てて視線を逸らしてしまう。


 そんな僕の態度を見てか、如月さんは首を傾げながら僕の様子を伺っていた。それを視界の端で捉えつつも、僕は平静を装って話し掛けることにした。


「えっと……如月さんってよく、ここにいるよね。もしかして、ここが好きだったりするのかな?」


 僕の問い掛けに、如月さんは相変わらず無言だったが、やがて静かに口を開いた。


「別に」


 短くそれだけ言うと、彼女は再び窓の外に視線を戻した。その様子を見る限りではこれ以上話す気は無いのだろうと判断し、僕はそれ以上何も聞かなかった。


「……そっか」


 とりあえずそう返事をし、僕もまた外を眺めることにした。空は茜色に染まり始めており、太陽はその姿を隠そうとしているところだった。


 そのまましばらくの間沈黙の時間が続いたが、ふと隣から小さな溜め息が聞こえてきた気がしたので、そちらに目を向けると、如月さんがまた僕を見ていた。何かあったのだろうかと思い声を掛けようとしたその時、先に彼女が言葉を発した。


「みんなといたくないから」


「えっ?」


 一瞬、何を言われたのか分からず、僕は呆けたような声を上げてしまう。すると、如月さんは淡々とした口調で再び話し出した。


「すぐに帰ろうとすると、みんなと一緒になるから。だから、ここで時間を潰してる」


 その言葉に、僕はようやく理解した。要するに彼女は人が多い場所が苦手なため、人のいない時間帯を見計らって下校しているのだと言う事らしい。確かに言われてみれば納得出来る話ではある。


「そ、そうなんだ……なんかごめん……」


 僕としてはただ屋上の雰囲気や景色が好きでここを訪れているのだと思っていたから、少し意外だった。それと同時に申し訳なく思ったので謝罪の言葉を口にすると、如月さんは首を横に振った。


「別にいい」


 短い一言だったけど、怒っているような口調ではなかったことに安堵した。どうやら気を悪くさせた訳ではないようだ。


「そ、そっか……なら良かったよ」


 安堵の息を吐きながらそう言うと、今度は逆に彼女の方から質問が飛んできた。


「さっきのあれ」


「へっ?」


 いきなりの問いに間抜けな声が出てしまったが、構わず彼女は続ける。


「噂、広めてくれてるんでしょ? ありがとう」


 お礼を言われるとは思っていなかった為、反応に困ってしまう。なので取り敢えず無難に返答することにする。


「いや、そんな……僕はただ、スマホを眺めていたらああなっただけで……」


「それでも、きっかけを作ったのはあなたでしょ?」


「う、うん……まあ、そうだね……」


 彼女の言う事はもっともだったので、素直に認めることにする。すると、如月さんは僅かに表情を綻ばせたように見えた。


「あなたのお陰で、私は助かってる」


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が熱くなったような気がした。まるで心臓が鷲掴みされたかのような感覚だった。今まで経験したことのない感覚に戸惑いを覚えながらも、何とか口を開く。


「ど、どういたしまして……?」


 どうにかそれだけ返すと、彼女は小さく頷いた後、視線を外の景色に戻した。その表情からは何を考えているかは分からないけれど、少なくとも悪い気分ではないということは伝わってきた。


 何だろう……? 胸に手を当ててみるも、心臓はまだドキドキしていた。それは決して不快なものではなく、むしろ心地良ささえ感じるものだった。


 この気持ちの正体が何なのか分からないまま、僕はしばらくその場で立ち尽くしていると―――


「ねえ」


 唐突に声を掛けられてハッと我に返ると、いつの間にか如月さんがこちらを見つめていた。


「へっ!? あ、何!?」


 驚いて声が裏返ってしまったけど、如月さんは特に気にした様子もなく、言葉を続けた。


「何か欲しいもの、ある?」


「え? 欲しい物って?」


 脈絡のない話題転換についていけず、首を傾げると、如月さんは更に続けた。


「お礼がしたい」


 彼女は真っ直ぐにこちらの目を見つめながらそう言った。その眼差しはとても真剣で、冗談を言っているようには見えなかった。とはいえ、僕にはその真意が全く分からなかった。


 どうして急にそんな事を言い出したのだろう? それとも別の意図があるのかもしれない……なんて事を考えていると、彼女は小さく溜め息を吐いた後に言った。


「あなたには感謝してる」


 そう言って如月さんは僕に頭を軽く下げるのだった。突然の事に驚いていると、彼女は顔を上げてこちらを見た。そしてもう一度口を開いた。


「私に出来ることなら、返させて」


「ええっ……!? いや、あのっ……! お気持ちは嬉しいんだけど……!」


 予想外の展開に慌てふためく僕に対し、彼女は冷静に言葉を返してくる。


「遠慮しなくていい」


「いやいやいや! そうじゃなくて!」


「じゃあ、何が不満なの?」


「だ、だって……それは流石にまずいんじゃないかなって思って……」


 僕がそこまで言うと、彼女は不思議そうに首を傾げた。


「何で?」


「な、何でって言われても……」


 僕は言葉に詰まってしまい、黙り込んでしまった。しかし、いつまでも黙っている訳にはいかないので、なんとか声を絞り出そうとするも、上手くいかない。そんな僕の様子を見かねたのか、彼女はこう言った。


「何でもいい」


 彼女の言葉は僕の耳へと届き、脳内へと浸透していく。しかし、それがどういう意味なのかを理解するまでには至らなかった。


「えっと……それってどういう……」


 言葉の意味を理解出来ないまま聞き返すも、彼女はそれ以上答えるつもりはないようで、再び窓の外へと視線を向けてしまった。それからしばらくはお互いに無言の時間が続いたけれど、やがて彼女がゆっくりとこちらを振り向いた。そして再び僕を見つめると言った。


「……まだ?」


「へ?」


 思わず間の抜けた声が出てしまったけれど、そんな事にはお構いなしに彼女は言葉を続ける。


「そろそろ決めてほしい」


 少し苛立ちの混ざった感じに如月さんはそう告げる。どうやら僕が決めあぐねて長考しているのが気に入らないらしい。しかし、正直言って申し訳ないと思う反面、そう簡単に決められないのも事実だ。


 彼女は何でもいいとか、私に出来ることなら、なんて言うけれども、そんなことをただの凡庸な高校生男子に即決しろなんて言われても困るのだ。そもそも恋愛経験の無い僕がそんな重大な決断を迫られても答えられるはずがないのだ。


 とは言え、このままずっと考え込んでいても埒が明かないのは確かだった。それに何より、これ以上待たせるのは失礼だと思ったので、ここは覚悟を決めるしかないだろう。


「じ、じゃあ……お願いしてもいいかな?」


 僕がそう言うと、彼女は無言で頷く。それを見てホッとしたものの、すぐに緊張してきた。何せ女の子相手にこんなことをお願いするのは生まれて初めてなのだ。


 僕は生唾をごくりと飲み込んで、意を決して彼女に向けてはっきりとこう告げるのだった。


「あ、あのっ! 如月さん、僕と―――!!」





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