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彼女と訪れる初めてのデート先は、少し変わった場所である。




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 というわけで、僕と如月さんは今現在、山に来ています。ちなみにこの場所は僕たちが住む街の近隣に位置する山であり、名前は寿山ことぶきやまといって標高は大体千メートルもいかないくらいの高さの山である。


 一応、ハイキングコースが整備されており、登山道も整備されているので登山初心者や体力の無い人でも比較的登りやすい環境となっている。


 ただ、それでも山道であることに変わりはなく、傾斜もそれなりにあるので歩くのには適していない。道幅も狭いし、景色もほぼ一定である為、変化がない。山頂付近から見る景色は素晴らしいと言われてはいるけど、それ以外は何もない為、基本的に人気はない。


 そもそも、この山は地元の人間くらいしか訪れないような場所で、僕も訪れるのは初めてだし、登山者自体もそこまで多くはない。現状で歩いてきて出会ったのも、釜谷先生みたいな(別にオネエではない)屈強な男性か、熟年の夫婦らしき人達だけだった。


 その為、僕達以外の人影は一切なく、聞こえるのは風によって木の葉が擦れる音と鳥の囀り、あとは休憩中である自分の情けなく息切れを起こしている声ぐらいだった。うん、概ねはとても静かな空間が広がっている。


 僕は背後の木に背中を預けつつ、呼吸を落ち着けるために大きく深呼吸をする。酸素を体内に取り込むことで思考がクリアになっていく感覚を味わいつつも、僕は正面に立つ人物を視界に収める。そこにはいつも通り無表情のまま佇んでいる如月さんの姿があった。


 いや、正確に言えば少し違うところがある。僕がいつも見慣れていた制服を着た姿じゃなくて、初めて見る私服姿をしている―――といっても、登山スタイルなんだけども。


 虫刺され対策と通気性の高い長袖のパーカーや、伸縮性に優れて行動のしやすい長ズボンタイプのトレッキングパンツ。それとリュックサックを背負っていて、靴もスニーカーではなくトレッキングシューズだった。


 正直、ここまで本格的な服装をしているとは思わなかった。いや、確かに山に行くって言った時点で、デートとかにあるような可憐な私服姿とかはしてこないことは予想していたんだけど、まさかここまでガチ装備だとは思いもしなかった。


 ちなみに僕の服装はというと、学校指定の上下ともに赤色なジャージである。……うん、山に適した服装が無かったので、仕方なくこの芋感バリバリな格好で来ざるを得なかったのだ。というか、これ以外に選択肢がなかったのだ。本当に申し訳ない。


 そんなことを考えている間に呼吸を整え終えた僕は、改めて目の前の如月さんに目を向けることにした。彼女は先程からずっと僕の方を見ていて、視線が合うなり小さく首を傾げてみせた。


「大丈夫?」


 後ろ手を組みつつ、僕の体調を心配する声が耳に届く。既に体力が切れ掛けている僕とは違い、如月さんはまるで平気そうな声色、そして表情であった。如月さんは女の子で、僕は男だというのに、この体力の無さは情けない限りだと思う。


 ……まぁ、体力が切れ掛けている原因は、如月さんに少しでも良いところを見せようと、ペースを無視して登ろうとしたのが原因なんだけども。ペース配分、大事だね。山の神になんて到底なれないと思う僕であった。


 しかし、今はそんなことを考えている場合ではないと思い直し、僕は彼女に返事をするべく口を開く。


「だ、大丈夫だよ……ちょっと疲れただけだから……」


「そう」


 本当は全然大丈夫じゃなかったけど、強がってみせる。実際問題として、まだ上り始めて序盤の段階でもあるし、目的の場所に辿り着いていないのだから、ここで弱音を吐くわけにはいかないと思ったからだ。


 しかし、それを察してくれたのか、それとも単に興味が無いだけなのかは定かではないけど、彼女はそれ以上追及してくることはなかった。その代わりに別の話題を振ってくれた。


「歩けそうにないなら、私が背負うけど?」


「え、えぇっ!?」


 唐突な彼女からの提案に僕は思わず大きな声を出してしまう。


 慌てて周囲を見回したけど、幸いにも周囲に人の姿はなかった為に誰かに聞かれる心配は無かった。そのことに安堵しつつ、僕は彼女の提案について考える。


 えっと……つまりどういうことだろう?


 彼女の真意が何なのかがいまいち理解できず、僕は首を傾げてしまう。だけど、そんな僕の反応を見て何かを察したのだろう。彼女は淡々とした口調でこう告げた。


「……冗談なんだけど」


「じょ、じょうだん……?」


 その言葉の意味を理解するのに数秒の時間を要してしまった僕に対し、如月さんは表情を変えることなく言葉を続けた。


「もしかして、本気にした?」


 その言葉を聞いた瞬間、自分の顔から血の気が引いていくのが分かった。そしてそれと同時に羞恥心が込み上げてくる。


 心の中で叫びながら頭を抱えたくなる衝動に駆られるが、なんとか堪えることに成功する。しかし、恐らく顔は真っ赤に染まっていることだろう。


 だが、いつまでも羞恥に打ちひしがれているわけにはいかなかった。何故なら目の前にはまだ彼女がいるのだから。


「は、ははは……なんだ、冗談か……」


 乾いた笑いを零しながら何とか取り繕おうとするものの、自分でも分かるくらいにぎこちないものになってしまった。それでも無理矢理笑顔を浮かべてみせることにする。


 ……いや、無理です。無理でした。やっぱり恥ずかしいものは恥ずかしかった。穴があったら入りたい気分とはまさにこのことである。


「……私、冗談言うの、下手?」


 そして一人で悶々としていると、目の前の如月さんがそう口にしていた。その表情は無表情ながらも、どこか悲しげに目を伏せているように僕には見えてしまった。


 それを目の当たりにした僕は、慌てて首と両手を左右に振ってそれを否定しようとした。


「い、いやいや! そんなことないよ! ただ、いきなりだったからびっくりしただけで!」


 必死に弁明するも、如月さんは顔を伏せたまま黙り込んでしまっていた。どうしよう……どうしたらいいんだ……?


 内心で焦りまくる僕だったけど、そんな僕を余所に如月さんは顔を上げると、こちらを見ながら首を傾けていた。


「そう。なら、いいや」


「う、うん……」


 あっ……これ、全然気にしていないやつですね……。僕の勘違いってやつですね……ははは。いや、絶対にそうだ。


 だから、僕はこれ以上言葉を重ねることなく口を閉ざした。もう何も言わない方がいいと判断したからである。下手に何かを言って彼女を怒らせてしまっては元も子もないのだから。


「ねぇ」


 ふと、黙っていた如月さんが口を開いた。その口調からは苛立ちなどは感じられず、いつも通りの落ち着いたものだった。それに少しだけ安心する僕だったが、油断してはいけないと思い直す。


 何故なら相手はあの如月さんなのだから。何を言われるか分からない以上、警戒するに越したことはないのである。


「な、何かな?」


 緊張しながらも返事をすると、如月さんは無表情のまま僕にこう言った。


「そろそろ行こ? 少しは休めたでしょ」


「あ、そうだね……」


 確かに休んでいる間に体力は少し回復したように思える。これなら歩くことも出来るかもしれない。そう思った僕はゆっくりと立ち上がろうと、地面に手をつく。


 すると、如月さんは何を思ったのか、僕に向けてゆっくりと右手を差し出してきた。


「はい」


 突然の行動に驚きつつも、差し出された手の意味を考える。これは一体どういう意味なのだろうか。もしかしたら、立ち上がる手助けをしてくれているのかもしれない。


 そう考えた僕はその手を取ろうとする。だけど、その途中で躊躇ってしまった。果たしてこの手を取っても良いのだろうかと、不安を覚えたからだ。


「……どうしたの?」


 いつまで経っても僕が手を握り返さない為か、訝しげな様子で尋ねてきた如月さん。そんな彼女に対して僕は、素直に思っていることを打ち明けることにした。


「いや、だって……如月さんの手を握るのは良くないかなって……」


 それは決して僕の本心から出た言葉だったのだが、それを聞いた彼女は不思議そうに首を傾げるだけだった。


「どうして?」


「え?」


「私と手を繋ぐのは嫌?」


「そ、そういう訳じゃないんだけど……」


「じゃあ、どういう訳?」


 真っ直ぐな瞳で見つめられてしまい、言葉に詰まってしまう僕。


「いや、あの、その……」


 その言葉に僕は何も返せなかった。そして僕は躊躇いながらも、差し出された彼女の手を掴み取った。


 振れた瞬間に感じたのは、如月さんの手の柔らかさ、そして温もり―――じゃなくて、冷やかさだった。初めて握った彼女の手は、少し冷たかった。


 そんな事を考えているうちに、如月さんは力を込めて僕を立ち上がらせてくれた。僕もそれに合わせて足に力を込めると、どうにか立ち上がることが出来た。


 僕が立ち上がると如月さんは小さく頷く仕草を見せた後、握っていた僕の手をするりと離してしまった。


 それが少しだけ名残惜しく思えたけど、さすがに口に出して言うことはしなかった。その代わりに感謝の言葉を述べることにした。


「あ、ありがとう」


「どういたしまして」


 素っ気なく答える如月さん。それから彼女は何事も無かったかのように歩き出した。僕は慌ててその後を距離を空けて着いて行く。


 彼女は僕に歩調を合わせるつもりはないらしく、横並びで歩くこともなく、どんどん先に進んで行ってしまう。だけど、不思議と置いて行かれるとは思わなかった。むしろ、彼女は僕のペースに合わせてくれているような気がした。


 おそらくは、ペース配分に失敗した僕を気遣って、先導してくれてるんだと思う。何だかんだ言いながらも優しいところがあるんだなと思ったりもした。


 そんなことを考えつつ、僕は黙って彼女の後ろをついて歩いていた。時折振り返ってくれる彼女を見てはホッと胸を撫で下ろすという作業を繰り返しながら、僕たち二人は山頂へと向かい続けたのだった。



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