寿山から下山して、街に戻った僕たちはそのまま解散をする―――と、思っていたのだけど、どうやらそういうわけにはいかないらしい。
というのも、如月さんがこのまま昼ご飯を食べに行こうと誘ってきたからである。それを聞いた瞬間、僕は驚いたと同時に困惑した。あの如月さんが僕をお昼に誘うなんて夢にも思っていなかったからだ。
「あ、あの……如月さん、本当にいいの?」
「うん」
僕の問い掛けに、如月さんは小さく頷いて答えた。それを見て、僕の鼓動が一気に跳ね上がるのを感じた。まさかこんな展開になるとは思ってもいなかったのだから当然である。
しかし、ここで断るわけにもいかないだろう。そもそも断るつもりもなかったけどね! というわけで、僕はドキドキしながら頷いた後、どこに行くのかを如月さんに尋ねようとした。
だけど、僕が聞こうとするその前に、如月さんが先に口を開いた。
「着いてきて」
それだけ言うと、彼女はすたすたと歩いて行ってしまう。
「え、ちょ、ちょっと!?」
突然のことに慌てる僕だったけど、如月さんは振り返ることなくどんどん先へ進んでいってしまう。僕は仕方なく、彼女を追いかけることにした。
そして、しばらく歩いたところで、如月さんはあるお店の前で立ち止まった。そこは真っ赤な看板に黄色の明朝体で書かれた『中華』という文字が目立つお店だった。
店の名前を見てみると、そこには『
「……ここ?」
「うん」
僕の問い掛けに対して短く答えると、如月さんは躊躇うことなく店内へ入っていった。僕もそれに続くようにして中へと入る。
店の内装はまさにこれぞ中華料理店という感じのものだった。全体的に赤を基調としたデザインになっており、カウンター席とテーブル席がある。そしていくつかの席にまばらにお客さんが座っている。
そして……テーブル席にはなんと、あの回転をするお馴染みの円卓が置かれていた。実物を見るのは初めてだったこともあり、思わず感動してしまった。
そうして僕が立ち尽くしていると、店員さんらしき人が近づいてきたので、そこでようやく我に返った。
「いらっしゃいませー! お二人様ですかー?」
明るく元気な声でそう尋ねられたので、僕もその店員さんの顔を見ながら、受け答えをしようと口を開く。
「え、あっ、はい。そうで……」
その瞬間、僕の言葉が途切れた。理由は単純明快だ。目の前にいた店員の顔を見た瞬間に固まってしまったのである。何故ならば――そこに立っていた人物は間違いなく……僕が知っている人物だったからだ。
「んー? あれあれ? 良く見たら立花くんじゃん。やっほー!」
そう言って僕に声を掛けてきたのは、まさかのモブ子さんだった。名前は未来さんだっていうのは分かったけど、苗字の方はまだ知らなかったりする。だから、僕の中ではまだ彼女はモブ子さんだった。
そんな彼女はいつもの制服とは違い、店員が着る白衣に身を包み、特徴的だった長い金髪を纏めて帽子の中に収めていた。そのせいで一瞬誰だか分からなかったくらいだ。
でも、確かに良く見てみれば彼女はモブ子さんだった。それにしても、こうして見ると普通に美人だなと思った。普段はあまり意識していないが、改めてよく見ると整った顔立ちをしているのが分かる。
それにスタイルも良いし、声も綺麗だし、接客業には向いているのかもしれない。華があってまさに看板娘って感じだと思う。
けど、何でこんなところで働いているんだろう? バイト中かなと思いつつ、僕は彼女へ挨拶を返そうと口を開いた。
「こ、こんにちは……」
「いやー、こんなとこで会うとは思わなかったよー! 今日は部活帰りとか? あれ? でも、立花くんって帰宅部だよね? 何でジャージなん?」
不思議そうに首を傾げながら、矢継ぎ早に尋ねてくる彼女に、僕はどう答えようか迷った。正直に話すべきか、それとも誤魔化すべきなのか。しかし、どちらにしても面倒なことになりそうな気がしてならない。
そんなことを考えていたら、いつの間にか黙り込んでしまっていたらしく、彼女が再び話し掛けてきた。
「おーい、どしたん? 大丈夫?」
「えっ!? あ、はい! だ、大丈夫ですっ!」
「そっかぁ。なら、良かったかな」
そう言うと、彼女はにっこりと微笑んだ。花の咲いたような笑顔とはこういうことを言うのだろう。
「で、何でジャージなん……ん? って、あっ、如月さんじゃん!? 全然気付かなかったし」
「……」
そして僕の姿に対して再び言及しようとしたモブ子さんが、如月さんの存在に気付く。モブ子さんは自分の口元に手を当てると、僕と如月さんを交互に何度も見た後、急ににやけた表情となり、何かを察したように大きく頷いた。
「ははあ、なるほどねぇー、そういう訳かぁ……」
そう言いながらニヤニヤする彼女を見て、僕は嫌な予感を覚えた。何だかとてつもなく面倒な事が起こりそうな気がするのだ。いやもう既に手遅れかもしれないけどね! そんなことを思っている間にも、彼女の口撃は止まらない。
「いやいや、デート中だったとはねー! 青春してるなー、羨ましい限りだよ! ヒューヒュー!」
そして、何故かテンションを上げていく彼女に対して、僕はただただ戸惑うしかなかった。一体全体何がそんなに楽しいのだろうか……?
いやまあ、別に悪い気はしないんだけどね? むしろ、嬉しいまであるんだけども! ただ、状況が状況なので素直に喜べないというか何と言うか……そんな感じなのである。あと、如月さんを含めたモブ子さん以外の周りの目も痛いしね!
そんなこんなで戸惑っている僕をよそに、彼女はさらに続けた。
「っていうかさ、ぶっちゃけどうなの? もうキスくらいした感じ?」
「えぇっ!?」
その問い掛けに思わず声が裏返ってしまった。まさかそんなことを聞かれるとは思っていなかったから尚更である。
いや、僕が如月さんとキスだなんて、出来る訳がない。手なら繋いだけど……そこまでの関係性にまで発展するのは、現状では無理だと思う。
「あの、その、えっと……」
そして僕は何とか誤魔化そうと言葉を紡ごうとしたが、動揺してうまく言葉にできない。そんな僕の様子を見てか、モブ子さんは快活そうに笑ってこう言ってきた。
「あはは、ごめんごめん! 冗談だってば! 流石にそんなことまで言わなくてもいいし、普通は言えないよね!」
そう言ってウインクしてくる彼女を見て、からかわれたのだということに気付き、一気に顔が熱くなるのを感じた。きっと今、鏡を見れば顔は真っ赤になっていることだろう。
「そ、そうですよね……はは……」
僕は恥ずかしさから目を逸らしつつ、乾いた笑いを漏らした。ああ、恥ずかしい……穴があったら入りたい気分だ。
「ふふ、ごめんねー。つい、テンション爆上げしちゃってさー」
「いえ、大丈夫です……」
楽しそうに笑う彼女に、僕は苦笑しつつ答えた。とりあえず、今はこの話題から離れようと思い、別のことを尋ねることにした。
「と、ところで……ここでバイトしているんですね。その、びっくりしました」
「え? あっ、バイトじゃないよー。どっちかっていうと、手伝いみたいな?」
「手伝い?」
「うん。ここ、うちの両親が経営してるからさ。その手伝い。ほら、店名に弥生って入ってるっしょ? あーしの苗字」
「あっ、なるほど……」
そこで僕はようやく知ることが出来た。モブ子さんの苗字が『弥生』だということに。ということは、フルネームで
「そそ、そういうこと。だから、良かったら今後も来てくれると嬉しーかも。あ、もちろんサービスするよん♪」
そう言ってウィンクしながらピースをする彼女を見て、僕は苦笑した。本当にこの人は元気だなあと思いながら。
「ねぇ」
と、僕とモブ子さん―――改め、弥生さんが話していると、僕の袖を引っ張る人物がいた。言うまでもなく、それは如月さんだった。そして彼女はどこか不機嫌そうな顔をしていた。
「お腹空いた」
それだけ言うと、如月さんはじっとこちらを見つめてきた。どうやら彼女は早くご飯を食べたいようだ。その目は湿気を伴った感じで僕を捉えており、無言の圧力を感じるほどだった。
「あっ、ごめんごめん。あーしがしゃべり過ぎちゃって、待たせちゃったね。じゃあ、すぐ案内するから、着いてきて。おかーさん、二名様入るよー! 二名様ごあんなーい!」
彼女はそう言うと踵を返して店内を歩いていく。僕はその後に続いていくが、その際、ちらりと後ろを見ると、そこには不満げな顔をした如月さんが立っていた。
もしかして、さっきのことで怒らせてしまったのかな? 山頂にいた時からお腹を空かせていたみたいだし、それで待たせちゃったから、機嫌を悪くしたのかもしれない。
だとしたら、悪いことをしたなと思いつつ、僕は前を向く。そして先導しながら歩いていく弥生さんの後を着いていくのだった。