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偏屈な彼女と良い雰囲気になり、理不尽な展開に巻き込まれる僕。



 如月さんの後を追って見晴らし台に立った僕が見たのは、先程立っていた場所よりもさらに広く景色が見えるようになった光景だった。


 眼下に小さく映る自分たちが住む街の眺めや遠くに連なる山々の姿が良く見える。そんな僕の隣で、如月さんも景色を眺めているようだった。


 しばらくの間、二人で黙ってその光景を眺めていたのだけど、ふと気になったことを聞いてみることにした。


「如月さんって……高いところとか好きなのかな?」


「……どうしてそう思うの?」


「え? いや、さっき頂上に着いた時もそうだけど、凄く楽しそうにしていたから……あと、学校でも良く屋上にいるからさ」


 そう告げると、如月さんは驚いたような表情でこちらを見てきた。その表情には微かな戸惑いの色が浮かんでいるように見える。もしかして、気に障ることを言ってしまったのだろうか……? そんな風に僕が不安に駆られていると、彼女はぽつりと呟くように言った。


「……私、楽しそう?」


「え? あ、うん……多分……」


 僕がそう答えると、如月さんは再び黙り込んでしまった。


 もしかして、余計な事を言ってしまったのかもしれない。如月さんの気分を害してしまったのではないかと、僕が内心焦り始めた時、彼女は唐突に口を開いて言った。


「……そんなこと言われたの、久しぶりな気がする」


「へ?」


「私が楽しそう、とか……良く見てるんだね」


「そ、そうかな……?」


「うん」


 如月さんはそう言うと、また黙り込んだ。だけど、今度は少しそわそわとしている様子だ。前髪をいじり、落ち着きがないようにも見える。


 僕はそんな如月さんの様子を黙って見ていた。……というか、あれ? これって、ひょっとして……照れてる?


 僕は彼女の様子を見て、なんとなくそう思った。普段の如月さんからは想像もつかない様子だったけど、よくよく考えてみれば、彼女は普段から感情を表に出さない人だ。


 もしかしたら、本当は嬉しいと思っているのかもしれない。そうだとしたら、さっきの僕の発言も、それほど不快に思われていない可能性がある。それなら安心だ。


「あと、高いところは……好き」


「あっ、やっぱりそうなんだ」


「……蓮くんは?」


「僕?」


 突然話を振られて戸惑う僕だったけど、答えなければ失礼だと思い、自分の意見を素直に告げた。


「僕は高い場所が苦手かな……高いところから下を見下ろすっていうのは、ちょっと怖いかも」


 高いところから下を見下ろしている自分を想像してみて、もし落ちたらと思うと……とてもじゃないけれど、落ち着いて見ていられる自信はない。


 それにそういった場所に立つと、何だか地面に吸い込まれてしまいそうな、妙な感覚に陥ることがある。実際そんなことはありえないんだけど、それでもやはり恐怖を感じるものだ。


 だから僕は高い場所が得意ではない。ただ単に高所恐怖症ってだけなのかもしれないけどね。安定した平地の地面の方が落ち着いていられて、居心地が良いと感じる。


 そんな風に考えていると、僕の答えを聞いた如月さんは納得した様子で頷いた後、視線を景色の方へと向けた。どうやら話は終わりのようだ。僕はほっと胸を撫で下ろすと、改めて景色を眺めた。


 しばらく景色を眺めていると、僕はその中に見慣れた場所を見つける。それは僕たちが通う学校の校舎だった。ここからだとかなり距離があるので分かりにくいけど、間違いないだろう。


 いつもは見上げる高く大きな建物であるはずの校舎も、ここから見れば本当にちっぽけな存在だ。建物でそれなら、人なんてもっとちっぽけに見えることだろう。だけど、こうして上から見下ろしてみれば、僕たち人間はそれ程までに小さい存在なんだということを実感する。


 そんなことを考えながら、僕は遠くに見える学校を指差しつつ、如月さんへ声を掛けた。


「如月さん、あそこに僕たちの学校があるよ」


「うん」


「ここから見ると、学校も随分ちっちゃいね」


「うん」


 僕の言葉に如月さんが頷く。彼女から僕に声を掛けることは無かったので、僕が一方的に話を振り、それに対して彼女が頷くといった形で、会話は成立していた。だけど、それでも良かった。僕は彼女と会話が出来ているだけで嬉しかったから。


 そしてそのまま、僕たちはしばらく景色を眺めることにする。会話もやがて途切れてしまったこともあり、僕たちは無言のまま時間が過ぎていく。しかし、不思議と気まずさのようなものは無かった。むしろ、心地良さすら感じているくらいだ。


 そうして普段の喧騒とは違う、静かな時間を堪能していると、不意に如月さんが僕の袖を引っ張った。何だろうと思って彼女の方を見ると、彼女はじっとこちらを見つめていた。


「……どうしたの?」


「お昼」


「え?」


「お腹空いた」


 如月さんがそう言ってきたので時間を確認すると、時計の針は既に正午を過ぎていた頃だった。大体、十時ぐらいから山を登り始めたから、二時間近く経った計算になる。そう考えると、確かにお腹が空いてくる頃合いかもしれない。


「えっと……じゃあ、そろそろ戻ろうか?」


「うん」


 如月さんに声を掛けて、僕らは山頂から来た道を引き返すことになった。帰りは下り坂なので、行きよりも楽に帰れるはずだ。そう思いながら山道を歩く。


 帰りぐらいは並んで帰れるかなと思ったけど、それは甘い考えだったようだ。如月さんは僕の少し前を間隔を空けてすたすたと歩いている。相変わらず無表情なまま、黙々と歩く姿は凛々しい。


 そんな彼女の後ろをついていきながら、僕は如月さんの背中を見つめていた。


「如月さん」


「……どうしたの?」


 僕が名前を呼ぶと、如月さんは立ち止まって振り返ってくれた。そんな彼女に、僕は言葉を続ける。


「その……今日はありがとう」


「……?」


「如月さんのおかげで、すごく楽しかったよ」


「そう」


 僕の言葉に如月さんは短く返事をすると、再び歩き出した。僕もそれに続いて歩いていく。


 如月さんは特に表情を変えることなく、淡々と歩いていた。僕はそんな彼女の様子を見て、思わず苦笑する。


「あ、あのさ」


「何?」


 僕が歩きながらそう尋ねると、如月さんも歩きつつ、僕の呼び掛けに短くそう答えた。


「その……また、一緒に来ようよ!」


「……」


「えっと……ダメ、かな?」


「……気が向いたら」


「う、うん! それでいいよ!」


 如月さんからの返答を受けて、僕は内心でガッツポーズをした。まさかOKしてくれるとは思っていなかったからだ。


 彼女はあまり表情が変わらないし、口数も少ないので、何を考えているのかいまいち掴みづらいところがある。だからこそ、周りからは変人だとか、変わっているなんて言われてしまう。


 だけど、僕は知っている。彼女が実は優しい女の子だということを。その証拠に、今日の彼女はいつもと比べて優しかった。僕が疲れていたら気遣ってくれたし、僕が話し掛けても無視せずに受け答えしてくれている。彼女の行動の端々には、確かな優しさがあった。


 本当ならきっと、一人で過ごすことを好む如月さんにとっては、僕の存在は邪魔だったに違いないのに、文句一つ言わずに僕と付き合ってくれた。彼女と遊びに行きたいと言った僕に、しっかりと合わせてくれた。


 如月さんは優しい人だ。僕なんかよりも、ずっと。だから、僕もそんな彼女に応えたいと思ったんだ。少しでも恩返しがしたいという気持ちもあったけれど、それ以上に純粋に彼女に喜んでほしかったんだと思う。その為なら、どんな努力だって惜しまないつもりだ。


 そんなことを考えていると、目の前を歩いていた如月さんが急に立ち止まった。何かあったのかと心配していると、彼女はくるりとこちらに振り向いてきて、僕をじっと見つめてきた。


「ど、どうしたの?」


「鹿」


「えっ?」


「鹿がいる」


「はい?」


 如月さんが発した言葉に、僕は首を傾げた。何を急に言い出したのだろうと思い、僕は困惑してしまう。そんな僕の様子など気にした様子もなく、如月さんは続けた。


「鹿がいる」


「えっと……」


 ……あっ、そうか。なるほど、そういうことか。ようやく分かったぞ。つまりこれはあれだ。如月さんはまた、僕に冗談を言っているのだ。


 そうに違いない。全くもう、驚かさないでほしいな。危うく信じちゃうところだったじゃないか。いやまあ、別に信じたところで何か問題が起こるわけじゃないんだけどね?


「え、えぇー? 本当にー?」


 とりあえず、彼女を満足させる為にも騙されたフリでもしておこう。そう思いながら、僕は如月さんが立つ場所よりもさらに奥へ視線を向けた。まぁ、何もいないだろうけど―――


「……」


「キーッ!」


「鹿がいる」


 いた。本当にいた。僕たちの前には確かに一匹の鹿がいた。しかも、結構大きいやつだった。可愛いとかよりも、雄々しいという言葉が似合いそうなやつだった。


 そいつは僕らのことをじっと見ていて、微動だにしない。まるで観察されているような気分になった。


「可愛い」


 一方、如月さんは目を輝かせながらそんなことを呟いている。この日で一番のテンションの上がり方をしていた。無表情なのは変わりないけど、かなり嬉しそうにしているのは間違いない。


 彼女がそこまで喜ぶとは予想していなかった為、少し驚きつつも嬉しく思う僕だったが、それと同時に複雑な感情を抱いていたのも事実である。


 何故ならそれは、僕と話していた時よりも楽しそうにしていたから。急に現れた鹿に僕は嫉妬しているのだった。略してQSK(急に鹿が来たので)。


 そして僕がそんな薄暗いことを考えているうちに、目の前の鹿はどこかへ走り去っていった。その後ろ姿を目で追いながら、如月さんは名残惜しそうに呟いた。


「行っちゃった……」


 如月さんは残念そうにしていたが、すぐに切り替えると、何事も無かったかのように歩き始めた。僕は慌ててその後を追い掛ける。


 さっきまで良い感じの雰囲気になっていたというのに、最後の最後であの鹿が全てを台無しにしたような気がした。


 もちろん、鹿は何も悪くないんだけど……どうしてよりによって今出てきたんだろうなぁ……。せめて、もう少し空気を読んで欲しかったよ……。


 そんな風に心の中で愚痴りながらも、僕たちはそのまま山を下りて行くのだった。





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