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私という人間は、どうしようもないくらいにどうかしている。




 ******



 ……あれから、どれくらい時間が経ったのだろう。数時間ぐらいかな。それとも、日が変わってしまったかもしれない。


 気付けば辺り一面は暗闇に覆われていて、私の目の前は何も見えなくなっている。光なんて、どこにも見えない。闇の真っただ中だった。


 それでも目を閉じてみれば、音だけはやけにはっきりと聞こえてくる。虫やカエルといった生き物の鳴き声。すぐ近くを流れる川の音。時折、強めに吹く風によって木々の葉や草花が擦れる音が響いている。


 私はそれらを聞き流しながら、ぼんやりとしていた。何をするわけでもない。ただ、じっと草むらの中で寝転んで空を仰いでいる。


「……ふぅ」


 私は息を吐き出すと、ゆっくりと身体を起こした。それから立ち上がると、着ている服についた土を払う。


 そして私は周りを見渡した。そこは人気の無い河川敷。周囲に人の気配は無く、まるで世界に私一人しかいないような錯覚を覚える。


 けれど、実際にはそんなことは無い。少し離れた所からは、車の通る音が聞こえてくる。人々の生活する喧騒が微かに耳に届いてきている。


 そういった錯覚をしてしまうのは、おそらく私がそう望んでいるからだ。どうしようもないぐらいに、終わってしまっている願いでもある。


 誰もいない世界で、ただ一人きり。誰からも干渉されない場所で、誰にも邪魔されずに過ごしていきたい。そう思っているからこそ、そんな錯覚を感じてしまうのだと思う。


 ……自分のことながら、どうかしていると思ってしまうけど、これでも一応は自覚している。私が変わっていることくらい、誰に言われなくたって分かっているから。


 だけど、そうしなければいけなかった。誰かと関わりを持つと、必ずといって良いほど傷付くことになるから。嫌な思いをしてしまうから。


 だから私は独りを選んだ。誰とも関わらなければ、少なくとも傷つくことはない。そう思っていたから。


「……馬鹿みたい」


 私は呟いた。自分でも何を言っているんだろうと思う。本当に、救いようがない。矛盾している。終わっている。壊れてしまっている。どうしようもなく、どうしようもない。


 こんな私を、誰も助けはしないだろう。他ならぬ、私自身がそれを拒んでいるのだから。救いの手をただただ払いのけて、私は孤独の旅を続けるだけである。


「……帰ろう」


 私はそう呟きつつ、左腕に着けている腕時計を見た。暗がりであまり良く見えてはいなかったけど、時刻は既に夜の九時を過ぎている。


 日が変わっているかもなんて思ったけれど、やっぱり変わっていないようだ。そのことに安心と落胆の両方を抱きながら、私は帰路につくことにした。


 そうした家に帰る道中でのこと。私は数時間前の彼の言葉を思い返していた。こんな私に付き合ってくれている、殊勝な彼の言葉を。


『もし良かったら、送って、いこうか?』


 彼は私にそう言ってきた。たどたどしく、恥ずかしそうにしながらも、真っ直ぐに私を見て。おそらく、勇気を出してでの言葉だと思う。彼の性格からして、そんな言葉を告げる機会なんて、あまり無いと思ったから。


 正直に言えば、別に彼の提案を受け入れても良かった。彼からは特に下心とかそんなものは無くて、ただ純粋に私を想っての言葉だったから。


 ―――けれど、駄目だった。気付けば私は彼の提案を断っていた。その理由に関しては、自分でも良く分かっていなかったりする。


 ただ、私は……酷い人間だから。彼に優しくされる資格なんて持ち合わせいない。


 私は彼を騙して付き合っている。それは紛れも無い事実で、だからこそ……私は彼とこれ以上親しくなるべきではない。それは彼の為にも。私の為にも。


 私は人が嫌いだ。他人が信用出来ない。裏切られたくないし、信じたくもない。期待なんてしてしまえば、どこかで私は壊れてしまう。


 だから、もう二度と人を好きになったりしない。そう決めた。―――なのに、どうしてなのだろうか。


 彼が優しく接してくれる度に、彼に名前を呼ばれるだけで、心が揺れ動く。自分で決めたことさえ守れない、私はそんな弱い自分が嫌になる。


「……はぁ」


 思わず溜め息が漏れた。それと同時に、心の中に渦巻いていたモヤモヤとした気持ちが口から飛び出していく。


「最低……」


 自分のことを罵ってみた。だけど、特に何かが変わるということは無かった。元から最低である私は、今更そう罵ったところで何も変わらないのは当然なのかもしれない。


「早く、帰ろ」


 いつまでもこんな場所にいても仕方が無い。そう思って私は足早に歩き出した。


 そしてしばらく歩いたところで、私は自分の家へ辿り着いた。私が一人で暮らすその場所は、独り暮らしには相応しくない一軒家だった。


 二階建ての大きな家で、四人家族ぐらいなら余裕を持って住める広さがあり、その横には小さいながらも庭も備わってはいるけど、今は手入れがされていないので、かなり荒れ果てていた。


 私はそんな見慣れた光景を目にしつつ、玄関の扉を開ける。家の中は当然のように真っ暗で、電気を点けると靴を脱いで廊下を歩いていく。


 そしてリビングに辿り着くと、ソファの上に投げ捨てるようにリュックサックを置く。それから部屋の明かりを点けると、私はリビングの中央に置かれているテーブルに視線を向けた。


 私一人が使うには大きめのテーブルは、最大で四人が使うことを想定された作りになっている。それに合わせて、その周りには椅子が四つ置かれている。


 そして、そのうちの二つは使用出来なくなっている。壊れているとか、そういうことじゃなくて、ただ単に物が置かれていて座れないだけである。


 私はそんなテーブルとその周りを視界に映しながら、ゆっくりとこう口にした。


「ただいま」


 誰もいない家に、私の声だけが響き渡る。返事が帰ってくることは無い。だけど、これが私の日課だった。


 今日もいつもと同じように、誰もいない部屋で帰宅を告げる言葉を口にしてから、私はお風呂場へと向かっていった。


 着ていた服を乱雑に脱衣かごの中に放り込んでいき、全て脱ぎ去ったところで、そのまま浴室へと入っていく。シャワーのノズルを手に取り、お湯を出す。頭からシャワーを浴びると、身体が少しずつ温まっていくのを感じた。


 そして、そのまま……私は特に何もすることもなく、お湯を身体に浴び続けていた。こうしている時間が、私は好きだったりする。


 何も考えず、何もせず、ただひたすらに時間が過ぎていくだけの時間。そこには余計な思考は存在しない。あるのはただ、無だけ。


 ……それなのに、今日は違った。どうしても考えてしまう。脳裏に浮かんでしまう。彼のことが。


「はぁ」


 私は溜め息を吐いた。どうしてこんなことを考えてしまったのだろうか。本当に、今日の私はどうかしてしまっているのかもしれない。


「……さっさと出よう」


 私は呟くようにしてそう言うと、髪や身体を洗ってからお風呂を出た。それからバスタオルを手に取って濡れた髪を拭いていく。


 それからある程度拭き終わると、私は洗面所に置いてあるドライヤーを手に取った。スイッチを入れて、熱風を当てながら乾かしていく。髪が長いこともあって、この作業はかなり時間がかかるのだけど、もう慣れてしまっていた。


 そして数分掛けて完全に乾いたことを確認すると、私は何も着ずに脱衣所から出て、自分の部屋へと向かった。


 二階にある私の部屋は、とても殺風景だ。必要最低限のものしか置かれていない。ベッドや机、本棚に衣装棚、クローゼットなどが置かれているけど、それ以外は何もない。


 私は着替えを取ろうと衣装棚へ手を伸ばして、ふと手を止めた。そして少しの間を置いてから、私はその手を引っ込める。


 今日はもう、何だか疲れてしまった。このまま寝てしまおう。別に何も着なかったところ、それを咎める人なんていないのだから、これでいい。


 私はそう思い直してベッドに横になると、部屋の明かりを消して目を閉じた。……そうして眠りに落ちるまでの間、ずっと考えていたことがある。それは今日あった出来事についてのこと。


 私は彼を騙している。それは紛れもない事実であり、変えようのない現実でもある。だからこれは仕方の無いことだとも思う。けれど……それでも思ってしまうのだ。


 もしもあの時、素直になっていれば……どうなっていたのだろう? そんな後悔にも似た考えが頭に浮かび、消えてくれない。それはまるで呪いのように、私の中に残り続けるのだった……。






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