時を戻せたら……なんて、思ったことはあるだろうか。多分、きっと……それは誰もが一度は考えたことのあることだろうと思う。
例えば、子供の頃に親に叱られた時とか、友達と喧嘩した時、何かに失敗したり、上手くいかなかったりした時とか。そういう時に「戻れたらなぁ」なんて考えるのが、ごく自然な反応だと思う。
もしくは現実的な話じゃなくても、漫画やアニメなんかを見て、自分にとって不都合な展開があった時に『このキャラがもしこうなっていたらなぁ』と考える人もいるだろう。自分じゃない相手でも、やり直して欲しいと願ってやまない場面というのは存在するものだ。
そんなもしかしたら……みたいなifの世界を想像するのは楽しいものだし、もしそれが叶ったらどれだけ幸せなんだろうと思ってしまうのも無理はないだろう。
しかし、世の中そんなに都合良くいかないもので、過去に遡ったり、もっと言えば未来の自分に会いに行ったりするなんてことは出来ないのである。
現実は空想の世界やゲームのように、容易にやり直しなんて出来やしない。僕らの身の回りにセーブポイントやリセットボタンなんてありはしないのだから。
だからこそ人は願うのだ。もし過去に戻ってやり直しが出来たら、と。もし今と違う選択肢を選んでいたら、と。
そう。だからこそ、僕は――――――
「……」
「さぁーて、どうしたものかしらね?」
今のこの瞬間、時を戻せたらなんて思ってしまう。いや、正確には現在進行形でそう思っているのだが……とにかく、それくらい僕は困っていた。
ここは職員室。そして以前にも利用したことのある応接スペースである。それから目の前には担任である釜谷先生が足を組んで座っている。今日も今日とて、その何も無い頭部は禍々しく黒光りしている。
それに対して僕はというと、ソファに腰掛けて下を向いて俯いている状態だった。何故こんなことになっているのかと言えば、それは僕がここに呼ばれた理由にあった。
「ほら、早く話してしまいなさいな。じゃないと、次の授業に遅刻するわよ」
「そ、そうですね……」
先生は急かすようにそう言ってくるけど、僕としては正直、この話を先生にしたくないと思っているわけで……というか、何で話さないといけないのだろうかが本音だったりもする。
いやまぁ、先生の言う通り、このままだと間違いなく次の授業には間に合わないんだけど……でも、だからと言ってわざわざ話すようなことでもないんじゃないかと思う訳で……。
「あの、先生……」
「何よ?」
「その、どうしても話さないと、いけなかったりするんでしょうか……?」
恐る恐る、といった様子で尋ねる僕に、先生は呆れたように息を吐くと、組んでいた足を戻してこう言った。
「当たり前でしょう?」
「……ですよねー」
何を当たり前のことを言っているんだ、と言わんばかりな口調で釜谷先生はそう言った。どうやら僕に退路なんて残されていないようだった。
……はぁ。心の中で深い溜め息を漏らしつつ、僕は諦めて覚悟を決めることにした。
「分かりました……話せば、いいんですよね」
「さっきから、そう言っているでしょ。ほら、早くしなさい」
「はい……」
僕は小さく返事をすると、頭の中で話の整理をしてから口を開いた。
「えっと、実は―――」
僕はそう口にしつつ、少し前の自分を呪いたくなった。何も考えずに浮かれていた、あの時の僕を殴り飛ばしてやりたい気分だった。
◆一時間前―――
長いゴールデンウイークが終わり、ついに迎えてしまった月曜日の朝。僕は憂鬱になりそうな気持ちを抑え込みながら、いつも通りに登校していた。
あまりに休みの期間が長いと、どうも学校へ向かう足取りが重くなるのは、おそらく気のせいとかじゃないと思う。長期休暇というものは、得てして人を怠惰にするものだ。
しかし、だからといって行かない訳にはいかないので、嫌々ながらもこうして僕は通学路を歩いているわけである。
「けど、ゴールデンウイーク……初日以外、特に何も無かったなぁ」
思い返してみても、これといって特別なことはしていない。ほとんど家でゴロゴロして、たまに本屋や中古ショップに行ったりしたくらいだ。
本当に何かあったといえるものといえば、初日の如月さんとの登山くらいなものだ。人生初とも言っていいかもしれないデート……デートでいいのかな?
あれって一応二人で出掛けてるわけだし、場所が場所だったけど、デートって言ってもいいよね……? うん、やっぱりあれはデートだ。間違いない。
だけど、その如月さんとのデートも、最後の最後で気まずい感じで終わってしまったし、それ以降は何も連絡は取っていない。連絡を取るべきだったかな……なんて思ってしまうけど、不要な連絡はもしかすると、彼女は嫌うかもしれない。そう考えると、どうすべきだったのか悩んでしまう。
「はぁ」
僕はまた一つ溜め息を吐いて、空を見上げた。今日の空模様は少し曇ってるけど、雨が降るような天気ではないみたいだ。まるで僕の心情を表してるような曇り具合だな、なんて思いつつ視線を前に戻す。するとそこには見慣れた校門が見えてきた。
そして僕は校門を通り抜けるとそのまま昇降口へと向かい、靴を履き替えてから教室へと向かう。そして自分の教室へ辿り着くと、僕は扉に手を掛けた。
ガラッと音を立てて扉を開けると、教室には既に何人かの生徒がいて、それぞれが楽しそうに談笑したり、スマホを弄っていたりと様々だ。
僕はそんな彼ら彼女らの横を通り抜けていき、窓際にある自分の席に座った。鞄から教科書やノートを取り出して机の中に放り込むと、頬杖をついて窓の外を眺める。そこから見える景色は至って普通で、いつもと変わらない風景が広がっているだけだ。
そしてしばらくボーッと眺めていると、不意に僕は背中に軽い衝撃を感じた。それと同時に耳に聞こえてきたのは聞いたことのある声だった。
「やっ、おっはよー、立花くん! 元気してるー?」
振り返るとそこにいたのは弥生さんだった。弥生さんはいつものように明るい笑顔を僕に向けながら、手をひらひらさせて挨拶してくる。多分、さっきの衝撃は彼女が僕の背中を叩いて呼んだのかもしれない。
「お、おはようございます」
「うんうん、おはよー!」
元気な声で挨拶をしてきた彼女に、僕も挨拶を返す。それに満足したように笑顔を浮かべる彼女を見ていると、何だかこっちまで笑顔になってしまうような気がした。