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第27話 想いを遺して

 地下へと続く螺旋階段を、セラフィナに肩を貸してもらいながら、ベルフェゴールはゆっくりと下ってゆく。歩く度にポタポタと血を滴らせながら、ゆっくりと、ゆっくりと。


「……全く、不甲斐ないな。儘ならぬ我が身が恥ずかしい。君も酷い怪我だと言うのに、こうして肩を貸してもらうことになるとは」


「……困った時はお互い様だよ。それに……貴方の負った傷の大半は私が負わせたものだし」


「それは、確かにそうだな……違いない」


 セラフィナの言葉を受け、ベルフェゴールは苦笑する。


 シェイドとマルコシアスは地上に残り、調査の終了を告げる信号弾を打ち上げてハルモニアからの迎えを要請しつつ、周囲の安全を確保するべく動き回っている。


 信号弾には魔力が込められており、打ち上がったのを確認次第、アモンが自らの手勢を引き連れて、迎えに来る手筈となっていた。転移魔法で来ると言っていたので、割と直ぐにやって来るのではないだろうか。


「それで……本当に良いの? 涙の王国の第一王女キリエを、ハルモニアで保護してもらうっていう話だけど」


「何を馬鹿なことを。ハルモニアじゃない。セラフィナ……君個人に彼女を保護してもらうと言ったんだ。生憎私は、ハルモニア皇帝や死天衆の連中など、これっぽっちも信用などしていない」


 自分に拒否権はないのかと思いつつ、セラフィナは小さな溜め息を一つ吐いた。


 とはいえ、天空の神ソルに背いた叛逆者であるベルフェゴールは、今後も天使たちに狙われる可能性が高く、そうなれば必然的にキリエの身が危険に晒されるのは間違いない。


 剣を交え、そして共闘したセラフィナという、唯一と言っても良い信ずるに値する存在に、キリエを託そうというベルフェゴールの考えは、理解出来なくもなかった。


 城の地下に存在する拷問部屋へと辿り着くと、部屋の中央にある拷問台の上に、珠の如く清らかなる黒髪の少女が横たわっているのが目に飛び込んでくる。


「あれが……第一王女キリエ……」


 "最終戦争ハルマゲドン"の終戦直後、服毒自殺という形で一度死亡した、涙の王国の第一王女。ベルフェゴールが、自らの魂を大きく削ってまで蘇生させようとした存在。


 拷問台の上に横たえられたキリエは、弱々しいながらも何とか自力で呼吸しており、胸が小さく上下していることが確認出来た。


 そんな彼女を守護するかのように、拷問台の周囲には幾重もの防御結界が構築されていた。恐らく戦いの直前、ベルフェゴールが彼女を守るために形成したものだろう。


「……少し待っていろ。今、結界を解除してやる」


 ベルフェゴールは覚束ない足取りで拷問台の傍まで歩み寄ると、骨と皮しか残っていないような血塗れの手で、水で形成された防御結界にそっと触れる。結界としての役目を終えた水は、ベルフェゴールの手のひらへと収束すると、そのまま音もなく消失した。


「ぐっ……うおっ……!?」


「ベルフェゴール……!」


 その場に力なく座り込み、口から大量の血を吐き出したベルフェゴールの元へと、セラフィナはわずかに声を荒らげながら駆け寄り、その背を何度も優しく擦る。


 ベルフェゴールは弱々しい笑みを浮かべながら、背を擦るセラフィナを制止すると、


「もう、良い……セラフィナ。最早、如何なる治療をしたところで手遅れだ……どのみち、私が助かることはない。間もなく、私の身体は塵になることも許されず、現世から消失するだろう」


「それは……私が、貴方に……」


「……いや、君の所為などではない。君から受けた傷がなくとも、そう遠くない内に、私という存在はこの世から消えて失くなる運命にあった。キリエを蘇生させるために、力を殆ど使い果たしたからな……それが、少し早まっただけだ」


「…………」


「……だが、最後にやるべきことがある。セラフィナ、申し訳ないが私を立たせてはくれまいか?」


 セラフィナは何も言わず、自力で立てなくなったベルフェゴールを優しく助け起こす。ベルフェゴールはセラフィナに支えてもらいながら、拷問台の上に横たわるキリエの顔を穏やかな表情で見下ろした。


「……私はずっと、迷っていた。キリエを……この子を、目覚めさせるべきかどうか。大きく歪んだこの世界は、余りにも醜い……仮に目覚めさせたところで、キリエを余計に苦しませるだけではないか。このまま終末まで……安らかなる眠りに就かせたままの方が、彼女にとって幸せなのではないのだろうか」


「……そう、かもしれないね」


「……だが、決めたよ。セラフィナ……私は、キリエを目覚めさせることにする。君の中に、暖かな光を見た……まだまだ、この世界は捨てたものではないと、そう思うことが出来た」


 静かな寝息を立てているキリエの胸の上に、ベルフェゴールはそっと手をかざす。仄かに青白い光を放つ欠片が現れたかと思うと、キリエの胸の中へと吸い込まれてゆく。


 それは恐らく、ベルフェゴールの中に残っていた魂の、最後の一欠片だったのだろう。欠片がキリエの胸の中へと吸い込まれたと同時、ベルフェゴールの身体が急速に風化してゆくのを、セラフィナはその身で感じ取っていた。


「セラ、フィナ──心強き我が戦友よ。最後に一つだけ、君に頼んでも良いか?」


「……うん。良いよ、ベルフェゴール」


「──どうか、キリエを……あの子を、宜しくお願いします……」


 その言葉を最後に──ベルフェゴールの身体は消失し、そのまま粉雪を思わせる光の粒子となって霧散した。


 彼の立っていた場所には、生前彼が身に纏っていた、襤褸きれの如き血塗れた黒いローブのみが残されていた。


「おやすみ、ベルフェゴール──どうか、死せる君の御魂に安らぎがあらんことを」


 ローブを丁寧な手付きで拾い上げると、ベルフェゴールの死を悼むように、セラフィナは静かに目を閉じ、胸に手を当てながら黙祷を捧げた。


 ベルフェゴールの消滅から少しして、蘇生した第一王女キリエがゆっくりと目を覚ます。元は黒かったであろう瞳は、ルビーを思わせる鮮やかな紅色へと変化していた。


 恐らくそれは、蘇生する過程でベルフェゴールの力を色濃く受け継ぎ、人とは異なる存在へと変貌したからなのだろう。本来ならば齢四十を目前に控えている筈の彼女の容姿が、十代後半のままストップしているのもまた、そのことを如実に物語っていた。


「…………」


 第一王女キリエは、セラフィナの顔をつぶらな両目でじっと見つめると、やや舌足らずな口調で、


「……ずっと、怖い夢を見ていたような気がします。誰もいない暗闇の中を、独りで彷徨い歩くような……そんな夢を」


「うん……そっか。それは、確かに怖い夢だね。間違いないよ」


「……はい。でも、そんな時……暗闇の中に、一筋の光が射し込んだのです。とても暖かで、優しい光でした。その光に導かれて、私は戻ってくることが出来ました。あの光は、貴方だったのでしょうか」


「さて……どうだろうね?」


 セラフィナは無表情のまま、目覚めたばかりでまだ思うように動けないキリエの華奢な身体を、そっと抱き上げた。キリエは特に抵抗することもなく、まるで幼子の如くうっとりと目を閉じながら、セラフィナにその身を委ねる。


 涙の王国……その滅亡の原因を探る旅は、こうして終わりを迎えたのだった。

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