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第51話 陸の孤島

 パズズが引き起こした騒動から数時間後──


 セラフィナの居室に集まった一同は、レヴィからの報告を聞いて渋い表情を浮かべていた。


 ベッドの上では、両足に包帯を巻かれたセラフィナが静かな寝息を立てており、ベッド端に腰を下ろしたキリエが治癒魔法を発動し、傷の治りが少しでも早くなるように、それでいて疲労が蓄積しているセラフィナの身体にこれ以上負担が掛からないように、細心の注意を払って傷を癒している。


 その傍らでは、マルコシアスがセラフィナに寄り添うように腰を下ろし、魘されているのか時折呻き声を漏らす彼女の顔を、心配そうに見つめていた。


「……本当に、だったのか?」


 沈黙を破るように、そう口を開いたのは、ハルモニアからの来賓として精霊教会の記念式典に出席していたアモンである。彼の隣には、同じく聖教会からの来賓として精霊教会の記念式典に出席していたガブリエルの姿もあり、彼女もまたレヴィの報告内容に対し懐疑的なのか、何処か困ったように眉をひそめていた。


「──間違いありませぬ、アモン殿。この目で然と、確認致しました」


 真面目な話になると仕事口調になるのか、本来敵である筈のアモンの問いに対し、レヴィは堅苦しい言葉遣いで以て応える。


「姿形こそ、異なっておりましたが──唸り声だけはそのままでした。紛うことなく、あれはパズズであると私は考えます」


「ですが、レヴィ……? セラフィナさんは確か、彼の者パズズを象った像を護符として、常にその身に帯びている筈。彼の像さえ護符として所持していれば、彼の大精霊から敵として認識されないのでは?」


 レヴィに対し異論を唱えるガブリエル──言葉とは裏腹に、目の奥には護符である筈のパズズ像に対する不信の念が、仄暗い焔となって燃え上がっているのが見えた。


「……そう言えば、シェヘラザードさんという巫女が仰っていましたね。時たまに護符を所持していても、彼の者パズズの姿が見えてしまう者がいる、と。若しかして……」


 ちらりと、直ぐ隣に座るアモンを見やるガブリエル。アモンは胸の前で腕を組んだまま、小さく頷く。


「うむ──その若しかして、だろうな。セラフィナは見えてはならぬ者が見えてしまう、所謂"巫女体質"、"霊媒体質"の持ち主であると考えるのが適当だろう。しかしながら、此度の一件はそれだけが原因ではないような気がしてならぬ」


「えぇ……私も同感です、アモン。レヴィ、貴方の見解は如何?」


 ガブリエルが穏やかな声音で問い掛けると、レヴィは居住まいを正しながら、


「はい、ガブリエル様。では、僭越ながら私見を述べさせて頂きますが……思うに、護符を持っていたとしても、パズズはこちら側を認識することが出来るのではないか、と」


「なるほど、ね……続けなさい、レヴィ」


「はっ……この場合の護符とは、パズズのもたらす熱風、それに含まれる病魔にその身を侵されぬよう、何かしらの加護を与えてくれるということではないかと存じます。誰一人として、"パズズから認識されなくなる"とは一言も言っておりません。つまり、認識するもしないもパズズの勝手ということになりましょう」


 レヴィの言葉を聞いて満足したのか、ガブリエルは柔和な笑みを湛えながら何度も頷く。


「巫女長ラマシュトゥ……食えない女ですね」


「はい、ガブリエル様。しかしながら、目下の問題はパズズに目を付けられてしまった、もっと言えば魅入られてしまったであろうセラフィナ嬢を如何するべきかではないかと考えます」


「えぇ、レヴィ。貴方の言う通り。アモン──セラフィナさんだけを、ハルモニア本国に送還することは可能ですか?」


 ガブリエルが尋ねると、アモンは重々しく首を横に振る。


「……恐らく、ベリアルが許可を出すまい」


「ベリアル……万物を嘲笑するあの"無価値な者"にとっても、セラフィナさんという存在は何かしらの重要な価値があるのでは?」


「あるにはある。だが……それでも、ベリアルは首を縦には振らんだろう。もし、セラフィナを転移魔法でハルモニアへと戻したならば……任務を途中で放棄したという理由で、セラフィナは死ぬよりも惨たらしい目に遭うであろうな。ベリアルとはそういう堕天使よ」


 薄々分かっていたのか、ガブリエルは肩を落としながら溜め息を吐いた。


「若し、私が"彼"の立場なら……セラフィナさんの身の安全を考慮して、絶対に本国へと戻しますけどね……」


「…………」


 ガブリエルの言葉に何も言い返せず、アモンはただ黙り込むしかなかった。


「……では、如何致しましょう? このまま、祭儀の日程が終了するまで待てと?」


「貴方も薄々分かっていると思いますが……それは寧ろ危険ですよ、レヴィ。ラマシュトゥは、私たちを生かして祖国に帰すつもりは毛頭ないようですから」


 ガブリエル曰く、アッカドの外へと出ようとすると精霊教会所属の警備兵たちが、何かと理由をつけて外に出させてくれないのだという。彼女が暇さえあれば街中を見て回っていたのはどうやら、いざと言う時の逃げ道を探し出すためであったらしい。


 残念ながら、アッカドの出入り口は全て精霊教会の手の者によって押さえられているらしく、陸路での逃亡はほぼ不可能な状態である……ガブリエルはそう締め括った。


 正に陸の孤島──完全に孤立した状態へと、追い詰められてしまったことになる。シェイドやキリエといった年少組は、絶望的とも言える現状に対する悲観と諦観から、表情が見る見るうちに暗くなってゆく。


 だが、流石と言うべきか──レヴィやアモン、ガブリエルといった年長組は悲観するどころか寧ろ落ち着いた様子で、現状を如何に打開するのか、その方法や手段を模索し始めていた。


「では、やはり──」


「はい──その通りです、レヴィ。"敵の敵は味方"……アッカドの支配者たる国王シャフリヤールの手を借りるのが、最悪の中の最善手」


「シャフリヤールの性格を念頭に置いて交渉を進めれば、或いはこの状況を打破することが出来るやもしれぬな」


「ちょっと待ってください……!」


 淡々と話を進める年長組に対し、キリエが異を唱える。


「シャフリヤールって……近郊のオアシス都市で無辜の民を皆殺しにした、非道なる大罪人ではありませんか……!」


 声を荒らげるキリエに対し、レヴィが凪いだ水面の如き態度で反論する。


「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。何れにせよ、精霊教会がこちらを生かして帰すつもりがない以上、精霊教会の敵対者であるシャフリヤールに協力を仰ぐ他ないというのが現状だよ、キリエ」


「……私は、反対です。大虐殺を行ったかもしれない人物に、協力を仰ぐだなんて」


「では──代替案を、君は提示出来るのかな?」


 レヴィがすっと目を細める。鷹のように鋭い目でじっと顔を見つめられ、キリエはたちまち萎縮する。


「答えるんだ、キリエ。代替案を、君は提示出来るのか、出来ないのか。どっちだい?」


「……出来、ません」


「なら、無闇矢鱈と反対するのは良くないね」


「……はい。申し訳、ありませんでした……」


 項垂れるキリエを慰めるように、マルコシアスが彼女の手を舐めながら、小さく何度か鳴き声を発する。


「気持ちは分からないでもないよ、キリエ。シャフリヤールは、少なくとも精霊教会の信者たちから、血も涙もない"狂王"と呼ばれ、恐れられている男だ」


「……はい」


「けれども──国王派の人々からは、若いながらも偉大なる統治者として……特に治安維持の面に於いては絶大な支持を得ている。狂王なのか、将又賢王なのか……それはさておき、万が一何かあった場合の保険が必要なことだけは確かだ。分かってくれるね?」


 キリエをフォローするように、レヴィが優しい笑みを浮かべながらそう言うと、キリエは萎縮した状態ながらも小さく頷いた。


「決まり、だな」


 アモンの言葉に、年長組は次々に同意を示す。


 続けて、レヴィが凛とした表情で、


「ガブリエル様──貴方様のご名義で、シャフリヤールに面会を求める書状を送りたいのですが、宜しいでしょうか?」


 これまでは、レヴィの名義でセラフィナが面会を求める書状をシャフリヤールへと送っていた。しかしながら、シャフリヤールはそれらを黙殺しており、面会に応じる気配はない。


 名義をレヴィより遥かに格上のガブリエルに変更すれば、流石のシャフリヤールでも無視することは出来ないだろう。そう考えての提案であった。


「許可します、レヴィ」


 にこやかに笑いながら、ガブリエルは快く許可を出す。


「それと──シェイド、キリエ」


 レヴィは二人の顔を交互に見やりながら、


「君たちは交代制で、セラフィナ嬢を護衛しろ」


「俺は構いませんが……キリエは、実戦経験がありません。些か不安ではありますが……本当に宜しいのですか?」


 シェイドの問いに対し、レヴィは顔色一つ変えることなく淡々とした調子で、


「構わん──寧ろ、今の状況は実戦経験を積ませる丁度良い機会だ。何時、誰に襲われても、全く可笑しくないからね。少しでも不測の事態に即応出来るよう鍛錬を積まねば死、あるのみ。そう思わないかい、シェイド?」


「それは……まぁ、確かに……」


 間違いない。これからキリエは、レヴィによって念入りに鍛錬を施される。レヴィの態度から全てを察したシェイドは、憐れむようにキリエの顔を見つめた。果たして彼女は、レヴィの指導に耐えられるのだろうか。凄く不安だ。


 とはいえ……レヴィの言う通り、不測の事態に対して少しでも即応出来るようにならなければ、生き残ることは出来ない。キリエには頑張ってもらう他ない。


 具体的な方策が定まったところで、アモンが全員の顔を見回しながら、


「……ここで大事になってくるのは、精霊教会にこちらの動きを悟られないようにすること。各々、くれぐれも慎重に行動するように」


 アモンの言葉に、眠っているセラフィナを除く全員が、無言のまま大きく頷いた。


 "絶対に、生きて祖国へと帰る"──強い決意を身に宿して。

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