「一博さんは、明日、参考人として、マルガイと推測される中村俊さんに関する事情聴取をされるでしょう」
「シュンは中村俊って名前だったのか。じゃ、花房や健太の本名は?」
「え~っ、今まで知らなかったのですか?」
大げさに驚いてみせる日向にムッとした。
「別に困らなかったし。オレにとっちゃ、人の名前なんて、判別するための記号でしかないからな」
「花房修の本名は飯田修二で、通称健太は三谷健太です」
バックミラーに、小バカにしたように笑う顔が映った。
どんなときもスーツをビシッと着こなしている頑なさ、生真面目さも気に食わない。
「事情聴取では最小限の事実のみで、余計な話は絶対しないでください。わたしも同席しますが」
「そんなことぐらい分かってる」
話をぶった切った。
「それにしても誰がシュンをあんな目に……」
「恐らく、敵対グループによる脅しか、グループに深い恨みを抱いている者の仕業でしょう。世の中には思い掛けないサイコパスがいますからね」
「サイコパス中のサイコパスか」
「鑑識さんがくまなく調べても、周辺に、梯子の跡も、ロープなどを掛けた痕跡もありませんでした」
「サイコパスを通り越して、人外の仕業ってこと?」
オレの言葉に、日向は一瞬、間を置いて、
「だからこそ、我々六係が真相を突きとめるのです」いつになく強い口調で言った。
安全運転を続けて、大田区にある、五階建てワンルームマンションに到着した。
ちなみに、釈放された三日後から、日向の部屋の隣に住まわされている。
シャレた造りのマンションは、土御門家が所有する賃貸物件の一つだった。
駐車スペースに車を停め、車外に出ると、ひそやかな香りが鼻をくすぐった。
嗅いだことのない香りだった。
白いコートの女が、目の前をツイっと横切っていく。
抜けるような手の白さだけが目に焼き付いた。
香りからの連想で、以前、花房が『そのうち落としてやる』と狙っていたモデルを思い出した。
そのときも、すれ違っただけで顔を見ていなかった。
日向が、フェンス下部に生えた雑草をジッと見ている。
声を掛けようとすると、何も言わず共用玄関に向かっていった。
オレの部屋、四〇六号室の先、四〇七号室が日向の住まいだった。
自室の鍵が見つからず、バッグの中を探ってモタモタしていると、日向が、
「うちに寄っていきませんか」
四〇七号室のドアを開きながら、声を掛けてきた。
今まで、日向の部屋など一歩も入るかと、意地を張っていたが、
「たまにはいいじゃないですか」
軽い口調に釣られて、見つけた鍵をもう一度バッグに戻した。
部屋に足を踏み入れた。
日向が続く。
カタリ
ドアがロックされる音に、遠い記憶がフラッシュバックし掛ける。
鼓動があり得ないリズムを叩き出す。
心臓が痛くなる。
息ができない。
落ち着け、落ち着くんだ。
何度も深呼吸すると、記憶は封印が解けないまま霧散した。
部屋の中は、男の臭いが全くせず、オーデコロンの微かな香りだけがした。
左手にキッチン、奥に七・七畳の洋室が見える。
物が散乱したオレの部屋と同じ間取りだとは思えなかった。
キレイに整頓され、妙な清潔感が漂っている。
キャビネットの上にポツンと置かれた小さな額が気になって、手に取った。
重厚なデザインの額に入れられていたのは、一枚の写真だった。
人形が金襴の着物に冠り物を被り、錫杖を手にして立っている。
「
鮮やかな色を帯びた声だった。
生人形という、仄暗い言葉に、胸の中の琴線が弾かれて、ビンと大きな音を立てた。
「あなたにソックリでしょ? 涼しい目元、スッキリした顔立ち、性別不明な印象とか」
「エッ。こんな古くさい顔とどこが似ているんだ」
即座に否定したが、
「瓜二つじゃないですか」
日向の口調が、急に熱を帯び始めた。
「この観音像との出会いは、わたしが中学一年生の夏でした」
美しい思い出を語るように、メガネの奥の瞳を瞬かせた。
――人形をひとめ見て以来、艶やかな姿が脳裏に焼き付いて離れなくなった。
そのまま歳月が流れ……。
上司として目の前に現れた忠刻の顔を見て驚いた――と一気に語った。
「体が固まりました。谷汲観音像ソックリな人がこの世に存在したなんて……ってね」
日向は内面から噴き出したような強い感情を見せた。
ほんの一瞬だけだったが……。
オレは写真を、もう一度、マジマジと見ながら、
「初恋の女性にうちの親父がソックリってわけか」と苦笑した。
「理想の『人』というわけですね」
「……ってことは、オヤジソックリのオレも理想の人か」
「ハハ、顔だけですけどね」
日向は相好を崩した。
こんな鮮やかな笑みを見たのは初めてだった。
今まで、さわやかさ、謙虚さを装った嘘っぽい笑顔しか見ていなかった。
「巡り合った理想の人が男性で、しかも既婚者だったとは……当初はほんとうにショックでしたよ」
日向は苦笑しながら言葉を続けた。
「で……お父さまの旧姓や家系を知って、なるほど、そういうことも有り得るのかと納得しました」
「オヤジは婿養子で、もとは池田という姓だけど、それがどう繋がるんだ」
オレの問い掛けに、日向は目を細めた。
「少し長くなりますが、過去の『因縁話』を、最初から順に説明しますとね……」
日向は得々と話し始めた。
「生人形は江戸時代末に隆盛した見世物で、人とソックリな外見が大いにもてはやされました。ですが……明治に入ってだんだんすたれていきました。妖艶にも見え、清楚とも思え、人のようで人でなく、人形でありながら息遣いすら感じてしまう美しさでしょ」
日向の口ぶりに、まるで彼女を自慢しているような微笑ましさを感じた。
「作者は鈴木茂吉師です。同じ熊本出身の生人形師松本喜三郎から、是非にと請われ、東京に出てきました。二人の名で新しい興行を打つはずでしたが、茂吉師に、喜三郎を上回る才能があったことが仇になり、袂を分かつことになりました。で、茂吉師は、岡山藩主の末裔で、興行も手掛けていた実業家池田修太朗を金主として、小屋掛けを始めましたが……」
「それで?」
オレの合いの手に、
「庶民派の喜三郎と比べ、茂吉師は、あくまで芸術家肌でした。興行は大失敗に終わりました。で……」
日向はさらに言葉を続けた。