冬の女王は舌打ちをしました。
「ああ、彼女がやって来るわ」
氷柱で出来た女王の耳飾りから、雫が滴り落ちていました。霜柱の腕輪も薄く脆くなり、青白い手首から崩れて消えてしまいました。
ここは四季宮の庭。
数ヶ月に渡り、冷たい美貌の冬の女王がこの庭でお過ごしでしたが、そろそろ自室へお戻りの頃合でしょうか。
宮殿には四人の女神がお住まいで、交代でこの庭にお出ましになります。
冬の女王が庭でお過ごしの間、下界には寒風が吹きすさび、雪が全てを覆います。植物も、生き物も、凍てつく大地に閉じ込められるように眠りにつくのです。
冬の女王は気難しい気性の方です。
庭のお世話をしている庭番は、女神の交代時期が近いと知って、ついホッとしたような顔をしてしまい、慌てて頬を引き締めました。
女王は面白くなさげにフン……と鼻を鳴らし、淡雪のローブを翻しました。
庭からテラスへ上がり、雪を敷き詰めた肘掛椅子に女王が座ると、庭に吹く風がわずかに暖かくなりました。
隣に並ぶ、花を敷き詰めた椅子に目を向けて、女王はため息をつきました。
「現れるまで、どれ程待たされるかしら」
不機嫌に呟くと、庭に小さく粉雪が舞いました。
下界の民はそれを三寒四温と呼ぶそうですが――
春のお姫様は道草がお好きなのです。
スキップで近づいて来たかと思えば、何かに興味をそそられて立ち止まり、そんな事を繰り返しながらのんびりお出ましになるのです。
冬の女王がイライラしながら、そして下界の民は楽しみに、首を長く長くして待ちくたびれた頃。
暖かい突風「春一番」と共に扉が開いて、春のお姫様が到着しました。
「春の君さま。お待ち申し上げておりました」
庭番が出迎えると、春のお姫様はまさしく花が咲いたような笑顔を向けました。
思わずうっとりと見とれてしまう庭番の様子に、冬の女王はため息混じりに首を振りました。
「ごきげんいかが? 冬の君さま」
「ええ待ちくたびれましてよ、春の君さま」
天真爛漫な春のお姫様にすっかり毒気を抜かれた冬の女王は、諦め顔で返して立ち上がりました。
「庭を頼みます。部屋へ戻るわ」
短く言い残して踵を返し、冬の女王は足早に宮殿の自室へ戻って行かれました。
それをにっこりと見送って――
春のお姫様は、庭へと降り立ちます。
「さあ私の庭よ、目覚めなさい」
まるで絵の具を流し込んだように庭が色づきました。一斉に花が開き、芳香で満たされます。
下界に春が訪れました。
お姫様が振り撒く華やかな色香は、うっとりするほど暖かく、かと思えば、意地悪に強い風を吹き付けたり、花粉症という名の毒も持っていたりして、皆の心を翻弄します。
この春のお姫様こそが、庭番が知る限り、民の心を最も掴む最高に魅力的な女神なのです。
訪れは花と共に。
花々で飾られたパステルカラーのドレスで可憐に現れたお姫様は、やがて若葉色のドレスにお色直しをされます。
木々が一斉に新芽を伸ばすように、伸び伸びと動きやすそうなゆったりとしたドレスです。
ぐんぐん広げた枝葉の緑が、たくましく濃い色になる頃――
お姫様は、あじさい色のドレスをお召しになります。
庭番は毎年、あじさい色のドレスを見ると、胸がキュッと締め付けられるような寂しさを覚えるのです。
そのドレスは、お姫様が庭を去る頃合を知らせる衣装でしたから。
皆の心に華やぎを振り撒いて、虜にするだけしておいて、名残を惜しむ暇も与えて下さらないのです。
微笑みをたたえたまま、呆気に取られるほどさっさと行ってしまわれるのです。
鬼姫とも呼ばれる激しい気性の夏の君が、声望集める春のお姫様に嫉妬して荒れ狂うのか。
それとも、お姫様を想う民の涙なのか。
春の君と夏の君の交代の折、下界には長雨が降るのです。
桜の花びらが舞い踊っていました。
そうです、春のお姫様はまだお出ましになったばかり。この庭を謳歌していらっしゃいます。
お姫様がさっさと行ってしまわれるまで、もうしばらくの間、華やかな庭を堪能させて頂きましょう。
庭番は芳香を吸い込むように深呼吸をして、庭のお世話に精を出すのでした。
おしまい