小規模な地方都市、月ヶ瀬市の夜は、ひんやりとした静寂に包まれている。
ただでさえ活気溢れるとは言えない街なのに、このところの静けさはなんだろう。
夜の帳が下りた二十時。住宅街に等間隔に並んだ街灯が照らす道路を、
高校一年生の彼女は図書館で借りたミステリ小説を手に帰宅途中だ。春の夜風が頬を撫で、遠くで犬の遠吠えが響く。桜の花びらが、街灯の光に照らされて地面を舞った。
いつもならこんな時間に一人になることはまずない。
四歳年上の大学生の兄、
渚は図書館の常連だ。顔見知りの司書に「もう閉館よ」と肩を叩かれて初めて時間を思い出したほどだった。読みかけのミステリに没入し、気づけば外は真っ暗になっている。
慌ててカウンターで本を借りると図書館を出た。
遅くなったが、このあたりは人家が途切れることもなく危険度は低い。図書館のすぐ横にショッピングセンターがあるのも大きかった。
都会の人から見れば「スーパーマーケットに毛が生えた」程度でも、地元では「何でも揃う」便利な施設だ。街灯に加えて、ネオンの明かりが、夜道をほのかに照らしていた。
渚の家系には、特別な力が受け継がれている。
嘘を見抜く力。言葉や態度に潜む「違和感」を、頭の中の光で感じ取るのだ。母も祖父も同じ力を持ち、兄の海も例外ではない。父だけが持たない力。
「
以前、祖父が感慨深気に呟いていたのを思い出す。
その意味も、今の渚にはよくわかっていた。そもそもこの「力」について、誰かに打ち明ける勇気など欠片もないからだ。
社会で認められない存在。それくらいは子どもでもわかっている。
この力は渚にとって呪いのようなものだった。どんな小さな嘘も彼女には鋭い刃のように突き刺さる。
友達の「大丈夫だよ」も、教師の「努力すればできる」も、嘘だとわかると心が冷えてしまうのだ。
家族以外で心を許せるのは、なぜか決して嘘をつかない大地だけだった。彼の言葉にはいつも不思議な透明感がある。
けれど渚はその理由を深く考えないようにしていた。大地は海の親友で、渚にとっても「もう一人のお兄ちゃん」のような存在なのだから。
「ん?」
バッグの中で、本がカサッと音を立てた。立ち止まり、渚は紺のスクールバッグのファスナーを開けると、内部から漏れる光。
「え⁉ スマホスリープしてないの? 設定変えたっけ?」
驚いてバッグの口を大きく開くと、スマートフォンではない何かが光を発しているのがわかった。
図書館で借りた、夢中で読み掛けていたミステリー小説の全三巻分の間に見覚えのない薄い古びた本が挟まっていた。光はそこから発せられている。
表紙にはタイトルも著者名もなく革のような装丁の本。手に取ると、不思議な光はすぅっと本に吸い込まれるように消えた。
薄い割に重みのある感触に、渚の指先がわずかに震える。
もう遅いんだから早く帰らなきゃ。──心の中でそう思いつつも怖いもの見たさには抗えず、立ち止まったまま本を開く。
最初の数ページは白紙だった。しかし途中から、インクの滲んだ手書きの文字が現れる。左手の親指が掛かる本の小口に違和感を覚えて後ろの方を捲ると、終盤の十数ページ分が乱暴に破り取られているのがすぐにわかった。波打つ破れ目が、まるで誰かの怒りを閉じ込めているようだ。
渚の胸にはまず怒りが走った。本好きとして、ページを破るという暴挙が信じられない。
そして、その後に湧いてきたのは疑問だった。光は静まったままでこの本に嘘がないことを告げている。これはただの古書ではない。間違っても自分では入れた覚えのない本。
つい先ほど図書館で借りた本を入れるときにも確かめたが、こんなものは絶対になかった。そもそも「借りた本の間」というのがあり得ない。なぜこんなものが自分の荷物に紛れているのだろう。
誰かが意図的に入れたのか。どうやって?
好奇心と警戒心が交錯し、彼女は本をバッグに戻した。家に帰ったらじっくり読んでみよう。
目指す道の奥で風が一瞬強く吹き、木の葉が擦れて立てる音が響いた。渚は背筋を伸ばし、足早に家に向かう。
夜空には異様に明るい星が一つ、静かに輝いていた。