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第5話

机の前に誰か座っている。黒髪の幼顔の青年だ。一目見てそれが昨日名刺を手渡してきた者と同一人物であることに健一は気づいた。


昨夜は暗くて表情まで正確に見れなかった。動揺していたのもある。

こうして冷静に観察してみると本当に大学生なのかと疑うくらいに青年は童顔だった。

いや、疑う余地はないのだろう。こうして我が物顔でサークル棟の一室を占拠しているのだから彼が学生の類であることは間違いない。


それはわかるのだが、外見だけで見れば中学生……少し背の高い小学生と言われても通るのではないかというほどに幼く見えた。彼の瞳に触れそうなくらい伸ばした前髪も幼さを手助けしてるように思えた。


青年は本を読んでいた。大柄の男性が声をかけた後に入出したにも関わらず健一たちに気付いてすらいない様子で集中していた。


ページをめくるたびに視線が横に動き、前髪がかすかに揺れた。

青年の読んでいる本がなんとなく気になって健一は首を伸ばした。


見た目通りならば純文学か歴史小説を好みそうな雰囲気がある。見た目は子供だが、子供にしては大人びたような本を好みそうな雰囲気だ。しかし、健一のその期待は見事に裏切られる。


目に入ったのはアニメ風のイラストが施された拍子だった。背表紙には一目では負いきれないほど長いタイトルが書かれている。つまり、これはライトノベルだ。


健一は予想外のジャンルに驚き、おもわず「え……」と声を上げてしまう。

ラノベというジャンルに嫌悪感はない。むしろ、とっつきやすい読み物として健一もたまに買うことがある。


しかし、目の前の青年の雰囲気と手荷物ライトノベルの色合いは噛み合っていないかった。


「あれ……お客さんだ」


健一の声を聞いてようやく青年は本から目を離した。視線はすぐ目の前に立っていた大柄な男性。その横でほほ笑む女性。最後に一番後ろにいた健一へと注がれる。


「ああ。昨日の。さっそく来てくれたんですね」


青年は少しばかり声を弾ませてそう言った。そして健一を迎え入れるように颯爽と席を立ちソファに座るように促す。


「今お茶入れますね。紅茶がいいですか? それとも緑茶? コーヒーもありますよ」


そそくさと動き回る青年。部屋に置かれたキャビネットの上から紙コップを一つ取り出す。その向こうにはいろいろな柄のマグカップが綺麗に慣れべられている。

恐らくマグカップは研究会の部員ようで紙コップが来客用なのだろう。

そんな予測を立てながら健一は「お茶で」と短く答えた。


青年は慣れた手つきでお茶を沸かし、紙コップに緑茶を注ぐと健一の前に置いた。

それから黒いマグカップにコーヒーを、薄いピンクに花柄のかわいらしいマグカップに紅茶を淹れてそれぞれ男性と女性に配る。


「すいません。インスタントなんです。本当はもっと本格的な奴を淹れたいんですけど、ここだと物を置くにも手狭だし、片付けも大変なので」


そう言って青年は畏まる。しかし、健一からすれば十分なほど手厚いもてなしだった。

青年はそのまま健一の真向いのソファに座り、その隣に男性が座る。健一の隣には女性が座った。


「さて、改めまして。ようこそ獣研究会へ。ここは少しばかり特殊な部員たちが揃っていますが、表向きは普通の研究会です。テニスサークルや映画研究会なんかと同じ。学生の健全なサークル活動ですよ。獣研究っていうのは具体的に何をするかというと……」


淹れてもらったお茶に口をつける間もなく、せきを切ったように青年がまくし立てる。その口の速さに健一は少し押され気味だった。見かねた男性が小さくため息を吐く。


「待て、大神。いきなりすぎる。俺たちはまだ彼に自己紹介もしていないんだ」


健一の隣で女性も笑う。


「そうですよ。昨日から驚き続きでそんなにまくし立てられたんじゃ。頭がパンクしてしまいます」


二人の言葉を受けて青年がハッと我に返る。それから恥ずかしそうに頭をかく。


「ダメですね。僕の悪い癖だ。えっと……まず自己紹介か。僕は大神明昭おおがみあきてる文学部の二年生です。こちらは獣研究会部長の井波渚いなみなぎさ先輩。理学部の三年生。そしてそちらが芸術学部三年生の小野花咲おのはなさき先輩です」


まだ早口ではあったが十分に聞き取りやすい声色で青年――大神は言った。健一は男性と女性の顔を交互に見ながら井波渚、小野花咲の名前を頭に刷り込む。


「あともう一人、渚くんの妹の美奈ちゃんっていう子がいます。それで獣研究会のメンバーは全員」


と紅茶を飲みつつ咲が補足する。間に置かれたローテーブルの上にはいつの間にかお茶菓子まで用意されていた。大神が喋っている間に渚が用意したものらしい。


どこぞのお土産屋さんで買ったらしい少し高そうな桜色の饅頭だった。その包装紙を手早く開けて大神が一口食べる。


「うーん。おいしい。僕はあまり甘い物に目がないってわけじゃないんですけど、こうしてお土産で貰ったものって不思議と何割増しかに美味しく感じるんですよね」


「あ、それわかります。私もお土産で貰うお饅頭大好きなんです」


大神と咲がそんな会話を繰り広げる。まるで貴族のお茶会のような雰囲気に健一は少し面食らう。

そしてこの二人がお互いに敬語どうしなのが気になった。


後輩である大神が咲に敬語なのはまだわかるとして、咲の方もなぜか敬語だった。大神も年下であるはずの健一にずっと敬語を使ったままだ。

どうでもいいことだが、なぜかそれが気になった。



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